祖母が出会わせてくれた
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:草間咲穂(ライティング・ゼミNEO)
祖母の死は突然だった。
歌を歌うことが大好きだった祖母は、母と一緒にコンサートに出かけ、
「あぁ最高だったわ〜」
と言って元気に私の実家に帰ってきた。
お風呂に入りながら歌声が聞こえているなと思った矢先に突然倒れ、
病院に運ばれた1時間後に亡くなった。
祖母の口癖は常々
「ポクっといきたいわ〜、それが一番だわ〜」
だったが、本当に大好きな歌を歌いながら、
そのまま流れるように向こうの世界へと渡ってしまった。
官僚、会社の役員だった祖父を支え、立て続けた祖母。
2人の子育てをしながら、官僚時代は十数回の転勤にもついていき、
役員時代は部下を大勢連れて帰ってくる度に、どんなに深夜でも
大量の食事を作ってもてなしていたそうだ。
その時の名残りか、食事を作るときは割烹エプロンをし、
「よし、作ろうか!」
と言って気合を入れている姿が今でも記憶に残っている。
祖父が亡くなった後は
「ようやく自分だけの人生!」と言わんばかりに
ずっと習いたかった歌を始めた。
”荒城の月”が十八番で、自分の声をテープに取って練習し、
「は〜る〜こぉろ〜の」と何度も何度も繰り返し歌っていた。
孫の私にとっては、祖父よりも逞しい存在だった。
亡くなる時も有言実行。
最後まで、とても逞しかった。
祖父を支え、立て続けた人生だったが、
一度だけ曲げずに自分の意思を押し通したことがあった。
それは、東京豊島区にある「雑司ヶ谷」に住まいを構えることだった。
何回にも渡る転勤先を経て落ち着いた時に住まいを構え、
最後亡くなるまで住んでいた地は、雑司ヶ谷。
孫である私も、物心着いた時から、雑司ヶ谷の家に通っていた。
「ここは、ばあばが守った所だから。
だから、ここにいる限り、家族みんな大丈夫。
お空にいる、ひいおばあちゃんも守ってくれるから。」
そう口癖のように言っていた。
祖母は幼少期、雑司ヶ谷に住んでいた。
母親であるひいおばあちゃんは雑司ヶ谷の近くにある小学校の先生だった。
日本で初めて女性だけの学校を創設した「日本女子大学」の附属の小学校の教員だった。
太平洋戦争が勃発し、日本全体が混乱にある最中、この地で幼少期を過ごした。
その混乱の中、学校教育は実質的に停止されていた。
この地帯一帯も大きな被害があった中、多くの子どもたちは疎開をしていた。
ただ学校として機能していなかったにも関わらず、
教師は学校、生徒を守らなければばらなかったのだ。
だから祖母も残った。疎開せず、命を奪われるかもしれない場所に残った。
実際に雑司ヶ谷、今で言えば池袋一帯は戦争の被害を大きく受けたという。
毎日空襲の中、恐ろしいほどの大きな音で警報が鳴り響く。
その中でも、いや、その中だからこそ、学校に向かって、自分の身よりも
学校やまだ疎開が叶わない生徒たちの安全を確保しに行く。
そんな姿を祈り見送りながら、雑司ヶ谷の家で、祖母は一人、
母の無事を祈りながら、
「母の代わりに私がこの家を守る」という強い意志を持って
帰りを待っていたらしい。
当たりが空襲で焼け野原になっていく様を見ながら、
母親を見送り、家で一人帰りを待つことはどんなに不安だっただろうか。
守られるべき存在である年齢にも関わらず、
我が子よりも学校や他の生徒を守りにいく母を毎日送り出しながら、
自分は家を守ると決めた祖母は、どんなに思いだったのだろうか。
祖母は家を守り切った。
実際に、当たりが焼け野原になっている中で、
雑司ヶ谷の家は焼かれずに済んだ。
祖母も無事に生き延びた。
今となっては、私が感じていた祖母の強さ、逞しさは
ここに原点があるのだと思えるが、その逞しさの背景を思うと少し複雑な気持ちになる。
そんな出来事、思いがこの「雑司ヶ谷」にはあったのだ。
だから、転勤の繰り返しを経てようやく落ち着いて住まいを構えられるようになった時、
祖母が強い意志を持って希望したことが、
住まいを雑司ヶ谷に構えることだったのだ。
かつて幼い頃に守った場所、
焼かれず残ったという守られた大切な場所だったからだ。
そんな祖母は私に生前よくこう言っていた。
「咲穂にはここの場所を大切にしてほしい」
言われた時はまだ元気だったし、私の母もいるし、
深く考えたことなんてなかった。
だが祖母が歌を歌いながら、
そのまま流れるように向こうの世界へと渡ってしまったあと、
その事について考えるようになった。
そして大学生になり、住んでた学生寮を出たあと、
住まいに選んだのは、祖母が住んでいた雑司ヶ谷の家だった。
祖母が亡くなった後、誰も住まなくなっていた雑司ヶ谷の家を思った時、
少しでも祖母の言葉に従いたいと思ったからだった。
3年、社会人になるまで友人と共に住んだ。
そして、その3年目の冬に天狼院書店と出会った。
池袋と雑司ヶ谷の間にある、蕎麦屋の2階の10坪の天狼院に出会った。
家から池袋に自転車で向かう間、東通りを掛け抜けるだけのはずだったのに、
「天狼院書店」という看板に目が奪われ、気がついたら入り、
アルバイトとして働いていた。
この雑司ヶ谷に住んでいなければ、
天狼院には出会わなかった。
本当は祖母の思い出を書くつもりだった。
でも書きながら、天狼院との出会いは、
祖母がくれた出会いだったのだと気がついた。
どんな繋がりが、人生の大切な出会いをもたらしてくれるかはわからない。
でも、逞しく大好きだった祖母がこの縁を作ってくれた。
そう気がつけた今、とても暖かい気持ちに包まれている。
***
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