神戸の醍醐味食にあり
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:キヨタトモヨ(ライティング・ゼミNEO)
「この店のメインは肉ではなく、ソースや! ジャガイモと肉を一緒に絡めて食べてみてぇ」
さっきまで寡黙だったシェフが、ついに口を開いた。
シェフはわかっているようだ、私が一見さんであることを……。
出張先の神戸は元町、地下鉄みなと元町駅からほど近い、地元では有名な洋食屋さん。
せっかくこの街に来たのだから、せめても神戸らしさを味わいたいと思い、その晩、この店へ足を運んだ。
夜、ひとりで外食をするのは得意でない。でも、私にはもう、神戸を楽しむ時間がない。せめて食事だけでも神戸を味わいたいんだ……!
明るいオレンジの扉の前には小さな黒板が立っていて、白のチョークでメニューが書いてある。お店の入り口の近くには真っ赤な折り畳み式の自転車が飾られている。まるでヨーロッパの都市にありそうなビストロの外観だ。扉近くの柱にはステンレスの大きな鍋が3つ、上下に並んでいる。お鍋の底の部分には営業時間などのアナウンスのほか、このレストランのシェフの紹介が載っている。
「いらっしゃいませ」
中に入ると、女性のスタッフが私を迎えてくれた。でも、シェフとおぼしきムッシューには、なんだかにらまれた気がするぞ。
まだ外は明るく、19時前だというのに、既に数組のお客さんが夕食を楽しんでいた。テーブル席に数組、カウンターには地元のお客さんとおぼしき男性がひとり。扉を開けた瞬間、そこにいた皆がこぞって私を見た。
「えっと……ひとりですが……(あぁ、きっと、この人ひとりで来ていると思われているかな……)」
「お好きなお席へどうぞ」
私はカウンターの端っこの席に身をひそめた。
このお店はフレンチ系のレストランなのだろうか、よくわからないけれど有名だからという理由で入ってしまった。メニューはオードブル、メイン、デザートの順に並んでいる。メニューの品は、エビフライ、ハンバーグ、カレーライス……どこにでもありそうな洋食が並んでいるのだが、なになに、このほかに「お勧めメニュー」として「マッシュポテトで囲んだ煮込み料理」があるらしい。
「おすすめの料理は何ですか」
「そうですね、こちらのメニューにありますように、煮込み料理がおすすめです」
シェフがこちらをちらりと見た。すみません、分かってなくて……。
お客さんの多くも、マッシュポテトが敷かれたビーフシチューのような肉料理を楽しんでいる。
他のメインメニューは1,000円台だけど、煮込み料理、つまりビーフシチューは2,200円、テールシチューは2,800円。予算の足を大いに出てしまうが、せっかくだからおいしいものが食べたいな。お金を出さない女性客と思われるのがなんだか悔しいので……とはいえお酒類は控えるにしても、前菜にポタージュだけでもプラスで注文した。
料理が出るまでの間、お店の中をじっと見回した。神戸らしい海辺の夜景の写真と、フランス語の古いポスターが交互に飾られている。そして目の前には、フランスの映画監督、猫のイラストとジャン・コクトーと書かれた古いポストカードが木枠にはめられ飾られている。店内は明治、大正とはいわないまでも、決して今どきのカフェやレストランにはない、気取らない、昭和のノスタルジックな空気が漂っていて、なんだか居心地がよい。
「お待たせいたしました」
どれくらい待っていただろうか。ようやく前菜のポタージュが来た。
あつあつのポタージュ。ポタージュといえばてっきりコーンかかぼちゃの黄色系かと思い込んでいたのだけれど、目の前のポタージュは白っぽい。くだいたクラッカーのようなもの2枚に、黒コショウがたっぷりかかっている。口の丸いスプーンで少しすくい、口に含めると……野菜の甘味が一気に口に広がった。
おいしい……。
スープの色は白っぽいけれど、にんじんや玉ねぎ、トマトの味を感じた。昼食をろくに取らず空腹だったのか、一気に食べてしまった。
「大変お待たせいたしました」
いよいよビーフシチューがやってきた。
平たい大きなお皿の上には、マッシュポテトが描くように敷かれていて、その上にどっしりとお肉のかたまりが載っている。お肉には黒っぽく、つやつやしたソースがたっぷりとかけられている。そして具のない、茹でたスパゲッティ、インゲン、豆が添えられている。これは絶対、おいしいやつだ……。
実際、お肉はナイフが不要なほど柔らかかった。ほろほろ、ほろほろ。これは、おいしい……。そしてソースがお肉に負けず、とても濃い。むしろ、あまりにも濃すぎて、一気にたくさん食べられない。お肉、ポテト、お肉、の順番に口に運び、ときどき何もついていないパンで口休め、を何回か繰り返していたら……
「この店のメインは肉ではなく、ドゥミグラスソースや! ジャガイモと肉と、全部一緒に絡めて食べてみてぇ!」
今までずっと黙っていたシェフが、私の目の前で語りかけた。しかも、お店の中の人全員に聞こえるくらいの大声で。
シェフ……!
ちゃんとお客さんのことを見ているのね。
このドゥミグラスソース(デミグラスではなく、ドゥミグラス)、確かに他のお店のものとは格段に何かが違う。いろんなスパイスやエキスが抽出されている感じがする。つやつやしていて、なめらかだ。でも、私にはあまりに濃くて、苦みすら感じた。
「うちのソースはな、昔先代が船で作ってたものでな。それから何十年もの間、少しずつ継ぎ足して作っているんや」
ソースの苦みに少しだけ甘みを感じた気がするのは、気のせいだろうか。
いやぁ、長い歴史のあるソースは、奥が深い。
後から調べて分かったことなのだけど、この洋食店「グリルミヤコ」は、日本が勢いに乗っていた1960年代に先代のシェフが始めたものだ。その先代のシェフが自分の店を構える前は、神戸から出向する外国航路の船舶でコックとして働いていたらしい。そこでも今と同じスタイルのビーフシチューを出していて、まさにその時船の厨房で作られていたソースが、その後この店に引き継がれ、今のシェフが昔と同じ材料でソースを追い足しているらしい。つまり、その日私がいただいたドゥミグラスソースの濃さの所以は、もう何十年もの時を刻む歴史そのものなのだ……。
そう、神戸のお店の多くにあてはまることかもしれないが、このお店は見かけこそ新しい感じがするものの、古い歴史のあるレストランだ。1995年の阪神大震災でお店は崩壊したが、ドゥミグラスソースは奇跡的に無事だったようだ。震災後、お店は元町に移り、今に至るらしい。
私といえば、その後も、少しずつ、少しずつ、ゆっくり、ゆっくり、ソースを味わって食べた。味わえば味わうほど、ソースはより濃く感じた。きっと、私の舌がまだまだお子様なのだろう……。
やっと食べ終わるころ、シェフが作業をしに目の前に来たので、勇気をもって話しかけた。
なんとなく、これを打ち明けられずに帰れない気がしていたのだ。
「今日は出張で、遠い北関東から神戸に来ました。ここに来られて、おいしいソースを味わうことができて、光栄です」
怖い顔つきのシェフの顔が、ほんの一瞬ほころんだ。
神戸の歴史を味覚で味わうことができた、貴重な一夜であった。
そしてこれからは、あまり気張らずもひとりでおいしく食事ができそうな気がする。
***
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