メディアグランプリ

向田邦子の瞳に映るもの 


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:やまの とこ (ライティング・ゼミ 12月コース)
 
 
あれ、瞳の中に人影が映っている! きっとそうだ! カレだ! 写真の彼女は、まっすぐにレンズを見ている……ということは、この写真を撮ったカレは、彼女の真正面に立っていた。間違いない、この人だ!
 
向田邦子のポートレート。70年以上前に撮ったものであろう。モノクロ写真なのに、瞳がきらっきらに光っている。どうみても20歳代。1950年代であろう。当時の彼女は、社会人になったばかりで、ほぼ普通の女の子だったに違いない。「向田邦子」になる前だ。それなのに、何かが普通じゃない。彼女の視線は、挑むような甘えをまとい、迫力さえ感じる。何かが今もって色あせていない。かっこいい。
 
それにしてもハイクオリティーな一枚だ。ただものではない。撮られた彼女の静かな気迫と、撮ったカメラマンの微かな不安がうつり込んでいるかのようだ……そうか! ただものではないのは、写真にうつらないふたりの関係だ。
 
今「不倫」と呼びあちこちにある関係は、70年前にはずいぶん違った非日常だったのであろう。向田邦子のカレは、彼女より13歳年上で、妻子を持つ家庭のあるプロのカメラマンだったと言う。
 
彼女が飛行機事故で突然この世を去って、20年が過ぎたころ、遺品整理をしていた妹が「向田邦子の恋文」を発見した。彼に渡した手紙が彼女の手元にあった訳は、彼の遺族が、まとめて返してきたからだ。彼女は、自分が書いた「終わった恋文」を捨てることなく持っていたのだ。カメラマンは自死だった。
 
向田邦子とその瞳にうつった彼に目がくぎ付けになった私は、単なる自分勝手な思い込みで、70年前のふたりの関係を妄想する。
 
ふたりには申し訳ない。アドレナリンが出た勢いにのって、向田邦子を読み直した。そして、直木賞作品から一遍選んで、ライティングゼミの課題、文ストのとおり、読み倒してみた。
「かわうそ」
紙で読んで、画面で読んで、買って新しい本で読んで、図書館で借りて古い本で読んで。声で読んで、手で読んでみた。久しぶりに原稿用紙を広げて、書き写してみた。乱筆だったという彼女の書くスピードは、きっと私のブラインドタッチより早かったのではないか。
 
等身大の向田邦子が現れた。
 
70年前の不倫。今はその心もようを言い当てる言葉さえ、見つけるのが難しい。
妾 愛人 囲われもの 2号さん 日陰者 情事 密通 情婦 隠し妻 手掛け 道ならぬ恋 わりなき恋 禁断の恋 秘めたる思い アバンチュール……なんと呼ばれていたにしろ、どれも、ピンとこない。
 
なんで不倫だったんだろう? 周囲はまったく知らなかったという。閉じた2人だけの世界で幸せだったのだろうか? こんがらがった苦しい恋だったのか? どうして、奪い取らなかったのだろうか?
 
彼女の声が聞こえるようだ。「それを言っちゃ、女がすたる」
「すたる」なんて言葉も態度も、今では使うひとは少ないだろう。
 
生涯独身をとおした彼女は、結婚生活も子育ても想像で書いている。だからなのか、彼女の書くものは、不倫のドロドロでさえ、私にはイヤミなまでにスッキリと感じる。生身の生活臭が、確かにただよっているのに、ありえないぐらい上品だ。
 
女目線で、不倫男の心境を語るあたり、彼女の女が隠せていない。(あーそれ、ないない。男はそんなことは気にしない)と、私は妻目線で突っ込みをいれながら、字づらを書き写す。
 
「かわうそ」では、脳梗塞の後遺症でまひの残った夫が、外出していく妻の様子をみているくだりがある。男は妻の支度をみて、結んだ帯の高さから「逢う相手は女ではない」と察する。胸をぐっと押上げる着付けだったからだ。
 
女のそんなあざとさに、男は気づかずに、ただ騙されるだけであろうに。
 
書写していた手が、悲しくなって止まった。
カメラマンは脳梗塞で倒れ、障害があったという。向田邦子自身も乳がんの手術で乳房を取っている。「かわうそ」が直木賞を受賞したのは、彼の死から15年、彼女の乳がん切除から5年後のことだ。モチーフの後ろ姿に自分たちの影を落としこんでいる。
 
売れっ子作家になった彼女は、撮影が終わった自分のシナリオ原稿をそのままゴミ箱に捨てて、
「私の仕事は、トイレットペーパー。人の役にたつけど、後に残らない。流れて消える」と言い切った人だ。
「一流の人とは」と、問われて
「本当に欲しいものがあったら奪い取る位の人じゃないと一流じゃない」と言ってのけていた人だ。
手袋ひとつ買うのも、気に入ったものがなかったら、妥協して適当なものを買うことをせず、寒くても手袋なしで過ごしていた人だ。
 
嘘だ。だれかに嘘をついていたのではなく、自分に嘘をついていた。
 
トイペを流すどころか、終わった恋文を捨てずに、彼女の美意識が集結した住い、あの伝説の「南青山第一マンションズ」にひっそり仕舞っていたのだから。
よその夫を家族から奪い取らずにいたのは、一流になるよりも彼への愛が大切だったからだろう。
 
でもひとつだけ本当だ。
必要なのもでも気に入ったものがなかったら、いらない。ありあわせでは妥協しない。彼の死後、お見合いはしても、結局は結婚しなかった。カメラマンとは、最初で最後、本物の恋だったのだ。
 
向田邦子の瞳には、今では言い当てる言葉さえ見つからない感情『「愛」や「恋」や「秘めたる思い」や「それを言っちゃ女がすたる」や「本当に欲しいものがあったら奪い取る」やら』の結晶が、きらっきらと反射してうつっている。
かっこいい。彼女には、承認欲のにおいがしない。誰かに賛同を求める弱みがない。言い訳しないのだ。向田邦子に「イイネ」は無用。只々かっこいい。
 
 
 
 
参考:
向田邦子「手袋をさがす」『夜中の薔薇』所収1985
向田邦子「かわうそ」『思い出トランプ』所収1980
向田和子 「向田邦子の恋文」2002
向田邦子「向田邦子」 増補新版 脚本家と作家の間で2021
***
 
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2023-02-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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