消えてなくなるほうを選んだひとたち 不倫の極意と通訳の極意
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:やまの とこ (ライティング・ゼミ 12月コース)
2つの選択肢があった。ひとつは、後までずっと残るものと、もうひとつは、すぐに消えてなくなるもの。私は、消えてなくなるほうを選んだ。ズルかったのだ。そっちのほうが責任が薄いと思ったからだ。
今のボスに秘書として付いた時に、英語力をなんとか一丁前にしなければならなくなった。ちょうど、職場に、研究所勤務者・大学職員向けに「英語セミナー開始」の案内がきており、費用ボス持ちで、研修を受けることが許された。
推奨されたコースは、翻訳コースか通訳コースだった。私は、迷うことなく通訳コースに決めた。
理由は、口から発したらなくなってしまう通訳のほうが、翻訳のように書き止められてずっと残っていくものよりも100倍気が楽だろうと思ったからだ。
通訳なら、言葉は瞬発的に繰り出されて、次々に流れて消えていく。浅はかな考えだが、途中で間違えに気が付けば、言い換えたり、端折ったりして逃げ切れると思った。一方翻訳は、言葉を何度も何日も考えぬいて推敲し、そのあかつきには訳文が手元に残る。うっかり再読などしてしまったら、果たしてこれが正解だったのかと、いつまでも迷うのではないかと考えた。確かに美しい名訳は、記憶に残る。でもその半面、誤訳も歴史に残る。自分の選んだ言葉に、いつまでもとらわれるのは嫌だった。
スーッと消えてなくなるほうを選んで、半身で取り組んでいるくせに、どこか余裕面をしている。最初から逃げ道を決めている。
ズルい。
授業は、従来の英語勉強法とはかなり違った。先生は、開口一番「英語は教えません」自分で勉強しろと。同時通訳のトレーニングは、短距離走のようだった。重視すべきは、瞬発力と集中力。意外なことに日本語力が出来の差を生んだ。まったく新しい思考回路をインプットしてもらった。
先生の指導で、肝に落ちたのは「通訳の沈黙は、産業廃棄物」
海外の人が不快だと感じる会話中の無音の状態は、3秒だと教わった。通訳たるもの言葉に詰まっても、話を止めるな、何か言えと……Wellでも Soでも何でもいい。音を出せと。沈黙によってクライアントに不安を感じさせないためにも、何か言って場をつないで「会話は続いています」という安心感と「通訳ここにあり」という存在感を主張しておくものだと。
通訳は、目立たないように目立て。クライアントが通訳を探すようでは失格。一目で「今日の通訳は私です」とわかる服装と行動をしなさいと。
面白かった。
私の英語力は一皮むけたが、かえってプロとの雲泥の差が明確になった。そして、研修中に積んだトレーニングの成果は、口から出た途端になくなってしまった。アドレナリンを出しながら必死で訳出しした言葉もその場で消えてしまった。残ったのは、少しマシになった言葉に反応する瞬発力ぐらい。あと、天才的に「分かったそぶり」がうまいことにも気が付いた。それだって、「これが出来るようになりました」と証明するものは残念ながら何もない。そんな曖昧な成果は「消えてしまった」ぐらいで、ちょうど良かった。
そしてもうひとり、消えてなくなるほうを選んだ人を知っている。夫の不倫相手だ。
夫に不倫相手がいることは、なんとなくわかっていた。目星をつけた名前で検索したところ、あっけなく彼女のブログがヒットした。
自身の名前を冠したブログは、ありふれた日常で構成されていた。「いつ、どこで、誰が、何を、どのようにして、どうだった」人称を代えて書かれてはいたが、明らかに夫と一緒だったことが分かるエピソードが散在していた。
読み進む程に、彼女が自分で作り上げた「知ってほしい自分」が溢れていく。彼女にとっては、これは事実なのだろうが、私にとっては、うら事情を透かして重ねると、完全な不倫日記だ。
責任のないその場だけの関係。自分だけのおとぎ話の中心で当然のようにいいとこ取り。そこは、彼女が作った一瞬で消えてなくなる世界だった。逃げながら前進している。
「某老舗お蕎麦屋に行った。今年の新蕎麦は、ほんのりとヒスイ色できれい」
「まずは、そばつゆなしで、わさびを直接お蕎麦にのせて、そのままいただく。かみしめて、鼻から息をすると、蕎麦の香りも味わえる」
……そのとおり。
それは、その前の週末に私が夫と「某老舗お蕎麦屋」でふたりでわかした会話そのままだ。
ブログで語られる彼女の文章に主語はなく、代わりに写真に撮ったザル二人前の「私たち」をアップして、存在感を主張している。
ふと、考えた。
ブログ発見当初は、私の生活に土足で入り込こまれたようで、怒り心頭であったが、時間をおいたら疑問がわいた。彼女はなんでこんなことをしているのだろうか? せっかくバレずに(表向きは)デートしているのに、投稿してしまってはダメだろう。
私が読んでいることを知ったら、ブログに鍵をかけるだろうか? 削除して彼との世界を消すだろうか? さっさと逃げるだろうか? もともとが自分だけのお伽の世界なのだから、逃げても誰も咎めない。自分で自分を許しさえすれば、解決だ。虚構は消せばなくなるから、それでいいのか。
もしかしたら、妻の眼にさらすぐらいは、計算に入っているのかもしれない。
だとしたら、彼女のブログは、私へのメッセージだ。意のままに「私ここにあり」と存在をむき出しにしている。
嫌なことに気づいてしまった。
彼女のそれは、私が同時通訳の先生に教わった3秒ルールと同じだ。目立たないように目立て……
私も彼女も、責任のない消えてなくなるほうを選んだ。得したつもりのそつない態度が、我ながら鼻につく。
メリットがあるときは、自己主張して、存在をアピールする。デメリットを予感すれば、速攻で、消してなくなったことにして、まるで、必然的にそうなったような顔をする。自分のせいではないことにしたいからだ。いつでも逃げられるポーズだ。
私の通訳の極意と彼女の不倫の極意。どちらも知らん顔でお気軽なふりして、うまいこと都合のよいところだけ、取ろうとしている。
結局、消えてなくなってしまったことにしたのは、ズルい自分で、それを薄目で見ないフリをしている訳だ。よくわかっていらっしゃる。
***
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