メディアグランプリ

無限の可能性と限界の狭間


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:渡邊真由子(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
文章を書くということ。
それは無限の可能性の世界であるのと同時に、完全に本質を伝え切ることができないという限界を孕む行為。
 
それなのに何故、私は書くことを諦めないのだろう。
一般人なのにこの『ライティング・ゼミ』まで受講するのはどうしてなのか。
何となく浮かんだこの疑問。答えがあるようで無いようなこの問いについて、少しだけ想いを巡らせてみたい。よろしければお付き合いのほどを。
 
子どものころからなんとなく文章を綴るのが好きだった。
好きである理由を問うのはある意味野暮というもので、どうして好きなのか今なおわからないし、それでいいとも思っているのだけれど。
 
恐ろしいほどSNSが発達した時代に入り、比較的自由に誰もが何でも発信することができるようになった。絶えず何かが発信され、そのすべてを網羅することは不可能だし、言い換えれば掃いて捨てるほどの文章がそこかしこに転がっている。
 
私が綴る文章もその中のひとつに過ぎない。
そんな私の文章を第三者が読む価値はあるのか?
 
私が導き出した結論は「ない」だ。
 
何故ならば私は一般人だし、文章も磨かれていないし、特定の分野の専門家でもなく、有名人でもないから。読んで頂くメリットが見当たらない。
 
だからこそ、読んでくださるあなたには心からの感謝しかないのだ。
あなたの大切な人生の一瞬のひととき。その貴重な時間を割いて私の文章に目を通してくださるのだから。
 
自分に文章力があると思ったことはなく、たとえばこのゼミの他の受講者のかたの文章を読んでは「何故アタシはこんなにセンスがないんだろう」と思うのはよくあること。どうすればあれほどまでに磨き上げられた言葉を紡げるのか。それが天性のものならばどんなに私ごときが努力しても追いつくことなどできない。いい意味で開き直ることしか私に残された道はないというものだ。
 
記憶を辿ってみる。
大学時代に文章論などを学んだ気がするが、それ以外で誰かに文章の書き方を習った記憶はほぼない。そもそもそれ自体は遠い過去の出来事であり、もはや忘却の彼方。
 
そのほかに記憶にあるのは多少の読書歴(読書家だった母の影響で家には文庫本が山ほどあった)、それから小学校時代に授業の一環として義務付けられた日記の提出だとか、読書感想文、あるいは友達との交換日記や、雑誌の「読者ページ」的なものへの投稿とか、そういう類いのもの。
そういえば作文コンクールで何度か入賞した記憶がある。あのときの賞状はいまどこにあるのだろう。いずれにしても手書きで文章をよく書いていた記憶が甦る。
 
その延長線なのだろうか。義務も義理もないのに、何の疑問も抱くことなく個人ブログを立ち上げ、SNSで想いを発信し続けるいまの私がいる。あの頃の私と今の私。その二者を繋ぐものがあるとしたら、それは「書くこと」なのかもしれない。
 
とはいえ、スラスラと書けるときもあれば、なかなか書けなくてドツボにはまったりもする。たとえばこの記事のように!
自分の限界を痛感するときだ。たとえば今この瞬間のように!
でも、書き続けることで答えが見つかることもあるから不思議だし面白い。
 
そしてまさにいま、私は気付いてしまったのだ。私が書く本当の理由を。
私は、ただ、私が生きた証しを残したかった。
 
市井の人に過ぎない私が生きた証しなど、死んでしまえば役所の書類手続きひとつで簡単に消えてしまう。両親が亡くなったときにそれがよくわかった。死後二~三日もすれば「私」という存在は誰の記憶からも消えてしまうはずだ。この世には永遠などないのだからそれはそれで良いのかもしれないし、それもまた風流な生き方なのかもしれない。
 
でも、だからこそ、何かを残してみたいと本能が感じたのかもしれない。
 
それは絵でも、スポーツでも、音楽でも何でも良いはずなのだけれど、私の場合は「言葉」だった。否、今生で子どもを持つことすらできない私が後世に残せるものはそれしかなかった。
 
たとえばあの小さな文庫本一冊の中に恐ろしいほど素晴らしい世界が言葉によって繰り広げられているように、言葉の世界は果てしなく、無限大。その可能性の世界の中で私の言葉は果たしてどこまでひとの心に残るのだろう。
誰の心にも届かないかもしれない。でも、もしかしたら届くかもしれない。そんなエゴとのせめぎあいだ。
 
感謝の気持ちを乗せながら私は書く。綴る。紡ぐ。
何を? 想いを、だ。
「言葉」というものに翻訳しながら。
 
想いを言葉にすること。それは心を翻訳するようなもの。
誰にも見えない自分だけの世界を、言葉に乗せることで誰かと共有することができる。
どのような言葉を与えるかで結果がまるで違ってくるけれど、しかし、個人的に「想い」は完全に伝え切れるものではないと思うのだ。言葉を紡ぐことの限界と言えるかもしれない。
 
その「翻訳」のズレ……即ち「純粋な【想い】の結晶」と「翻訳した【言葉】」との間の絶対的に交わることのできない隔たり。その領域。可能性と限界の狭間。それが猛烈にもどかしい。
 
願わくは生涯をかけてその狭間の隙間を埋めていきたい。
どこまで行っても「ほんとう」に辿り着けないかもしれないけれど。
 
 
 
 
***
 
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2024-05-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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