気がつくと、いつもそばにいた、あの女について《プロフェッショナル・ゼミ》
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記事:ノリ(プロフェッショナル・ゼミ)
ある朝、目を覚ますと、女が私の体の上に、乗っかっていた。
どこかで見たことのある女だった。女は私の胸の上で正座をして、細い目で私を見下している。しかし重い。女がいるのは胸の上なのに、なぜか私は、足先まで動かすことができないでいた。大きな石か、鉛か、何かが乗っかって、強い力で全身を押さえつけられているように重い。布団の外に出ていた右腕を動かして、乗っている女を押したり、引いたりする。だが、どうがんばっても、女はどかない。それどころか、押したり引いたりが気持ちいいと見え、女は目を閉じて、ゆらゆら体を揺らしている。
腕を思い切り伸ばして、ベッド脇のテーブルに置いてあるケータイを取り、片手でメールを打った。
「おはようございます。起きたら女に乗られているので遅刻します」
−−−−いやいや、なんだこの言い訳は。
デリートボタンを長押しして書き直す。
「おはようございます。朝から具合が悪く、少し遅れて出勤します。どうぞよろしくお願いします」
宛先は、グループのリーダー、タカハタさんだ。メールを送り終えると、少しほっとした。
−−−−早く、この女をどかないと。
女は、ゆらゆら揺れているうちに、やがて私の体の上でうつ伏せになると、寝息を立て始めた。すると、ゴロンと女の体がどいたので、私はやっと支度して会社に向かった。
「……チッ」
会社に着いたのは、始業時間を一時間過ぎたところだった。一時間を越えたので、一時間半の遅刻扱いだ。タイムカードの時計の前で、誰にも聞こえないように舌打ちをした。
「おはようございます」
部長の机の前をそそくさと通り、6人分ほどの机が集まるグループの場所を抜けて、大きな本棚の陰、窓に面して机が置いてある、自分の席へ急ぐと、黒っぽい影が見えた。
−−−−なんで? ベッドに置いてきたのに。
女だった。さっきまで体の上に乗っていた女が、私の席に座っていたのだ。おそるおそる椅子に近づく。女は、私に気づいて振り返ると、くちびるの左端だけで笑って見せた。
「おはようございます!」
思わず女の肩をつかみそうになった時、隣の席のシンイチロウが笑顔を見せてきた。
「お、はよう」
2年前に入社してきたシンイチロウは、私と同じ専門学校出身だった。5歳年下だから学校内で会うことはなかったが、出身校が同じということだけで、私は親近感を持ち、弟みたいにかわいがった。シンイチロウが私を姉と思ってくれているかは知らないが、信頼してくれていることは、しっかり感じているつもりだ。
「大丈夫ですか? 最近ずっと遅かったから疲れたんじゃないですか? 今日は午後からでもよかったのに……」
ビーグル犬みたいな顔で私の体調を気づかう彼には、女が見えていないようだった。やっぱりか、と、思った。女は、話しているシンイチロウの体を通り抜けると、部屋の壁もやすやすと通り抜けて、建物の外へと出て行った。
「そうだね、ありがとう」
部長に遅刻届を提出しながら、窓の外を注意深く見ていたけれど、女の姿は見えなかった。
その女のことは、ずっと前から知っていた。
−−−−いつからだろう。
思い返してみる。会社に入る前? 専門学校の時? いや、高校生の時にはすでにいた。もっと前、中学、小学校の時? 幼稚園の時にも、見かけたことがある気がする。いつも私の近くにいることは、ずっとずっと知っていたのだ。
女はいつも暗くて、おびえた顔をしていた。物陰に隠れていたり、部屋の隅で膝を抱えて座っていたり、いつの間にか私の布団の中に入りこんできたりもした。いつもどんよりとした雰囲気を連れて、私のそばに来ていた。しかしこれまでは、ジトッとした目で私を見つめるばかりで、声をかけてくることはなかったのだ。
「このままだと、よくない!」
−−−−結構、低い声なんだな。
だから、最近、久しぶりに目の前に現れて、女から声をかけられた私は、のんきに、そんなことを思った。
「今、忙しいの。わかるでしょ!?」
会社の帰り道、電信柱の陰から出てきた女につかまれた肩を振り払って、私は終電が待つ駅へと走っていた。
私は女が嫌いだった。暗いんだもの。女が近くにいると、あたり全体、カビが生えそうなくらいジメジメしてくる。いつも、暗くて、モジモジして、周りの様子ばかりうかがっている。そして、私をジッと見つめてくる。何かにおびえたみたいな顔をしているから、いつも、こっちが悪いことをしているような気がしてくる。
なんとか飛び乗った車両は、アルコールのにおいが充満していた。そうだ、今日は金曜日だった。賑わう終電の中で、さっきまで仕事をしていた人はどれくらいいるだろうか。私はドアに寄りかかりながら、うんざりしていた。発車の音楽が鳴って、ゆっくりと電車が走り出す。寄りかかるドアの窓には、声のボリュームボタンがすっかり壊れた、飲み会帰りの集団の隣で、目の下に黒い影を落とした自分の顔が映し出されていた。
−−−−ひどい顔。
今日1日、化粧直しどころか、鏡もロクに見ていなかったことに気がつく。それもそのはずだ。今日で何日休んでいないんだろう。14日を過ぎたところで、数えるのをやめてしまった。とにかく今はやるしかない。忙しいんだから。
「あ、明日は雨か」
電車が郊外に差し掛かると、小高い山の上に、緑色にライトアップされたテレビの電波塔が見えてくる。晴れはオレンジ、曇りは白、雨は緑。地元では知られた、ライトアップで天気予報をする電波塔だ。土曜日だけれど、明日も仕事。そして雨。飲み会帰りの集団が会社の同僚の悪口で盛り上がっているのが聞こえ、私はイライラした。
車窓の中に遠ざかっていく電波塔から、自分の顔へと視線を合わせる。
−−−−やっぱり、ひどい顔。
すると、自分の顔のすぐ後ろに、あの女の顔が見えた。目を見開いた私の耳元で、女はささやく。
「このままだと、大変なことになる」
「ひっ!」
息を飲んで振り返ると、飲み会帰りの集団が一斉に、私の顔を見た。そこに女の姿はない。窓の外に視線を戻すと、集団はさっきと同じように騒ぎ出した。女の顔は消えていた。
「ねえ、大変なことになる」
次の日の帰り道、また女はやってきた。
「もー! うるさいな! あっちに行ってよ!」
私はこんな女とは、一緒にいたくないのだ。話も、したくないのだ。暗くて、気の弱い女。今日も追っ払ってしまえばいい。しかし、今日の女はしつこかった。
「お願い、聞いて」
「私は忙しいの! あんたなんかに、かまってる暇ないんだから!」
「大変になる!」
「うるさい! こっちに来ないで!」
「このままでは、だめ!」
「もう! あっちに行ってよ!」
「……いいから、聞け!!」
私のブラウスの襟をつかむと、女がいっそう低い声で言い返してきた。
「へ?」
膝の力が抜けて、私はその場に座り込んでしまった。これまでおびえているように見えた女の顔が、一瞬にして、鬼のようにゆがんだ。女は怒っていた。そして私はきっと、おびえた顔をしていただろう。その時から、私と女の立場が逆転してしまった。それから毎朝、目が覚めると、女が体の上に乗っかっているようになったのだ。
女は、日に日に現れる時間が増えていった。
これまで、会社帰りや家でしか見かけなかったのに、会社にも現れるようになってしまった。女は、私の席に座るだけではなく、仕事中にも出てきて、耳元でずっと話しかけてくるのだ。毎日遅刻するだけではない。私はいつも気が散ってしまい、これまでできていた仕事も進まなくなり、同時にミスも増えていった。
「最近どうしたの?」
シンイチロウが席にいない間を見計らって、話しかけてきたのはグループのリーダー、タカハタさんだった。私より5歳年上のリーダーで、優しいし、決して悪い人ではないけれど、なんか、頼りない。
「心配しているんだよ、最近遅刻が多いし。ミスも増えた。らしくないと思って」
「遅刻もミスもすみませんでした! でも心配って?」
「なにか、悩みとか、メンタル的な病気ではないかと」
私はなぜか、頭がカッと熱くなるのがわかった。
「もしそうだったら、どうなんですか?!」
「それならそれで、仕事の割り振りとか、少しまとまった休みとか、こっちも考えるから」
「それはどうも、ありがとうございます! でも大丈夫ですから!」
「大丈夫……なのかな。そうは見えないんだけど……。このままではいけないんじゃないかな」
「このままではいけない……」
あ、これは女の仕業だ。そう思った。女がタカハタさんの姿になって、私に話しかけてきているのだ。
「ほんとに大丈夫ですから!」
あの女だ! 女が言わせているんだ! 私は、タカハタさんの言葉を受け入れることはできなかった。
「ねえ、ちょっといい?」
昼休み。声をかけてきたのは同僚のヤマモトちゃんだ。今、会社に残っている唯一の同期入社。入社当時から仲がいい。
「顔見てるとね、わかるんだよ!」
「えっ? 何が?」
「なんか悩みがあるんなら話してよ! 最近飲み会も断ってばかりだしさ」
「ごめん、忙しくてさ」
「いい? 忙しいから、飲み会すんの! 飲まなきゃ、グチらなきゃ、いい仕事なんてできないじゃん!!」
ヤマモトちゃんは大真面目に力説した。私はこの人の、こういうところが好きだ。
「はは、そうだったね」
「まあ、飲み会はいいわ。でもさ、このままでいいわけ?」
あっ、またあの女だ! ヤマモトちゃんまで……。
「このままって……」
「仕事に決まってんでしょ、あんた! このままだと体壊すよ! 私が見過ごすとでも思ってんの!? バカ!!」
何をどう切り返しても、ヤマモトちゃんの気はおさまることはなく、私は渋々「上司に仕事量の相談をする」という約束を取り付けさせれた。しかし誰にも話す気はなかった。だってこれは、私とあの女との問題なんだから。
「ちょっともう! いい加減にして!」
女は、会社の人になりすまして説得してみても、私が動かないことがわかると、今度は私の体の中に入り込み、体のあちらこちらを、内側からガンガン叩き出したのだ。頭やお腹、肩に背中に腰。痛みに耐えられなくなった私は、何度もトイレに駆け込んで、女をなだめてみるけれど、女はずっと同じことを言い続ける。
「このままでは、だめ!」
「あなたもわかっているでしょ! 今は忙しいの!」
「そんなの、わかっている。だから、言っている」
女は引かない。
「私だってわかってるよ、無理かもしれない、大変なことになるかもしれないって。でもどうしようもないじゃない! 人も足りないし、私の力もまだまだ足りない。でも仕事だもん。やるしかないじゃない!」
私も引くわけにはいかない。
「それがだめだって、言ってるんだ! なぜわからない!」
そんな言い争いから、つかみ合いになり、会社のトイレの洗面台の前で、女に首を絞められたことまでは、覚えている。
「センセ! センセー!」
次に目を覚ました時、誰かが部屋の入り口にかかったカーテンを揺らして出て行った。ぼんやりした頭に、母親の声が、廊下を遠ざかっていくのが聞こえる。部屋に四つあるうちの一つのベッドに、私は寝かされていた。他のベッドには布団は入っていなかった。
それからセンセーと看護師さんがやってきて、目を電気で照らしたり、顔や首を両手でつかまれたり、手首に指を当てられたりした。どうやら長い間、眠っていたらしい。センセーの話を聞きながら涙ぐんでいる母親を見て、大変なことが起きていたのかも、と、思った。しばらく話をすると、みんな部屋から出ていった。
−−−−顔でも洗おうかな。
ふと病室の入り口にある、小さな洗面台が目に入った。ベッドを下りようとしたけれど、足がヘラヘラしていて、力が入らない。手すりをつたいながら洗面台へ行き、レバーを上げると、冷たい水が手にかかる。なんだか懐かしい。両手に貯めた水に顔をつけてみる。ヒリヒリとした冷たい刺激が、手と顔の皮膚を伝って、私の目を覚ましていく。大きく息を吸って顔を上げると、そこには、見たことのある顔があった。
「あ、あの女!」
それは、鏡に映った自分の顔だった。
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