芸術は厳しくも優しい先生《週刊READING LIFE Vol.370「芸術の秋 」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「あれっ…… この時間でもう暗いんだ」
数週間前まで会社帰りの電車から見える空は明るかったのに、今日見た空はもう夜の色をしていて、仕事で疲れた目に街のネオンがまぶしく感じる。これから夏本番、暑さ真っ盛りだというのに、暦では立秋。秋が始まるらしい。
「秋が始まると言われてもねぇ」と思いつつ、秋に思いを馳せると心なしか涼しくなるような気がして、「秋といえば」と考えてみる。暑いのも寒いのも苦手で、春は花粉症で苦しむ私にとって、秋は一番過ごしやすい時期だ。湿気が少ないので、癖毛の髪が爆発することなく有り難い。
なんと言っても楽しみなのは、スイーツだ。暑さを気にして買い控えていた生菓子やチョコを、思いっきり楽しむことができる。そして、秋といえばモンブランだ。各ケーキ屋が趣向を凝らしたモンブラン達が、ショーウィンドウに並ぶ様は、いつ見ても心が躍る。
いけない、いけない…… いい歳をして食べ物ばかりを考えては、と別のことを考えてみる。世間でよく言われるのは、と思いを巡らせて浮かんできたのは「芸術の秋」だ。昔からよく言われている言葉だ。「芸術といえば」と考えて思い浮かぶのは、私にとっては絵画とピアノだ。
私は4、5歳くらいから絵画教室とピアノの教室に通っていた。どちらも自分から「やりたい」と親に頼んで始めたが、楽しかった思い出よりも、ほろ苦い思い出の方が多い。
私にとって絵画とピアノは、寂しさと懐かしさをはらんだ、ちょっとセンチメンタルになる思い出で溢れている。
子供の頃住んでいた家の近くに、その界隈ではちょっと有名な絵画教室があった。自宅兼教室となっている敷地には緑が溢れていて、教室エリアは海外のアトリエのような趣で、子供心に「なんてオシャレなところだろう」と思っていた。先生は竹を割ったような性格で物事をハッキリと言う人で、目に余る行為をした生徒を厳しく叱る人だったため、しつけを兼ねて通わせている親もいたらしい。時々「怖い」と思うこともあったが、私は先生のことが好きだった。なぜかというと、先生は私のどんな作品も否定しなかったからだ。
私がその絵画教室に通いたいと親に行った理由は、姉が通っていたから、そして同じ社宅に住む幼なじみが通っていたからだ。絵画教室は絵だけではなく、版画を作ったり、廃材を使って工作をしたり、粘土で作品を作ったりと、色々なものを制作することができた。
作品作りは本当に楽しかった。ただ、「自分に美術は向いていない」という思いを、いつも心の片隅に抱えていた。というのも、雑な性格か、もしくは手先の不器用さが影響してか、姉や幼なじみのようなきれいな作品が作れなかったからだ。
ハロウィンの時期に、ハロウィンらしい作品を作ろうとなり、幼なじみも私もカボチャのランタンの絵を描いたことがある。幼なじみのキャンバスを見ると、まさにカボチャらしく丸みを帯びたオレンジ色のカボチャに、三角の目とギザギザの口が描かれている。私も同じようにカボチャを描いているのだが、輪郭がガタガタで、自分で言うのも何だが「とても下手な絵」だった。同じような絵を描いているのに、こんなにも違うのかとガッカリしたものだ。
小学校に上がって少し経った頃のことだ。美術の授業で、学校の敷地内の好きな場所で、絵を描くことになった。私は校庭にある大きな木を描くことにした。気がつくと、一人のクラスメイトが隣りで同じように木を描いていた。何気なく見て、「あっ…… すごく上手い」と思った。
そのクラスメイトはいつも落ち着いていて、はしゃいだり騒いだりすることがなく、優等生然とした女の子だった。描かれている木は、まさに目の前にある木そのもので、細部もしっかりと描かれており、キチンとした彼女らしい絵だった。
自分の手元に目を戻すと、目の前にある画用紙目一杯に幹を描いてしまったため、木の上の方を小さく描くしかなかった、アンバランスな木が飛び込んできた。これで絵画教室に通っているなんて、恥ずかしくて到底言えない。しょんぼりしながら続きを描いていたところ、担任の先生が様子を見に来た。
先にクラスメイトの絵を見た先生は「丁寧に描いているね」と声を掛けた。その後私の方にも来てくれたが、アンバランス極まりない木の絵を見せるのは、すごく気が引けた。でも見せないわけにはいかないので見せたところ……
「すごくいいじゃない! 勢いがあって、先生好きよ」
耳を疑った。クラスメイトの絵を見たときの落ち着いた雰囲気とは打って変わって、満面の笑みで先生は私を見ていた。「幹と葉の間に何かあるよね? そう、枝よ。枝を描くと、より木らしくなっていいと思うよ」アドバイスこそあったものの、バランスが悪いとか、もっと丁寧に描きなさいという、想像していた言葉はなかった。
絵画教室の先生は芸術肌だから私の作品を否定しないだけで、他の人は在るものをその通りに描かなければ「下手」と感じると思っていた私の予想は、見事に外れた。自分が感じたように表現していいんだ。表現したものがそのものの通りでなくても、人の心は動くんだ。
姉の絵を見ては「上手でいいな」と恨めしく思い、幼なじみと比べては「同じ歳なのに、なんで私は上手くできないんだろう」としょげていた思いが、和らぐのを感じた。
大人になって、母から聞いた話だ。絵画教室の先生から、私のことを色彩感覚が優れていると言われたらしい。「生まれ持った才能の一つです。将来、絵の世界に進みたいと本人が希望したら、応援してあげてください」と言っていたそうだ。子供の時は惨めな思いをすることもあったけれど、自分のことを気に掛けてくれていた人がいたことを嬉しく思った。
同じようなエピソードがピアノでもある。
私がピアノ教室に通い始めたのは5歳のころだ。これもまた、姉や幼なじみが通っているのをうらやましく思ったのがきっかけだ。私はてっきり姉と同じ教室に通うのだと思っていたのだが、「せっかく習うのだから」と、母が知り合いにお薦めの先生と教えてもらったところに通うことになった。
どうお薦めと言われたのか、未だに母に聞いたことがないのだが…… 確かに技術力や指導力は高い先生だったと思うが、私にとってはただただ怖い先生だった。教室に行くたびに練習量が少ないと注意され、思わず泣いてしまったときは「泣くな!」と怒られ、一度も褒められたことはなかった。指が太くて短いから繊細な音が出せていないと言われ、指が短いことにコンプレックスを持っていたため、落ち込んだことがある。自分はプロのピアニストになりたいと思っているわけではないのに、なぜこんなにハードなのだろうと思いながら、教室に通っていた。
小学4年生になり少し経った頃、父の転勤が決まった。一足先に父は引っ越し、私達は夏休みに入ってから引っ越すことになった。あと数日で夏休みとなったある日、音楽の授業が終わった後、なぜだか音楽室のグランドピアノで弾いてみたいという思いに駆られた。それまでの私は、ピアノ教室と家、そしてピアノ教室の発表会以外の場所で、ピアノを弾いたことがなかった。なぜなら、自分のピアノは下手で、人には聞かせられないと思っていたからだ。先生から一度も褒められたことがなく、家族は何も言ってくれないため、自信がなかった。なぜあの時、ピアノを弾きたいと思ったのかは自分でも分からないが、夏休みにこの地を去ることが影響していたのかもしれない。
音楽の先生に許可をもらい、ピアノの前に座った。弾いたのは、その時練習していた曲だったと記憶している。
「すごい! 上手いじゃない! ピアノ弾けたのね」
弾き終わった途端、音楽の先生が満面の笑みで褒めてくれた。いままで「上手」と言われたことがなかったので、ビックリしてうろたえてしまい、先生にちゃんとお礼を伝えることができなかった。「また弾いてね」という先生に、引っ越すことを告げられないまま、1学期が終わった。
2学期から新しい学校での生活が始まり、新しい生活に慣れてきた頃、以前通っていた学校のクラスメイト達からの手紙が届いた。担任の先生が、手紙を書こうと皆に声を掛けてくれたようだ。先生からの手紙もあり、その中に「音楽の先生が、『合唱祭でピアノを弾いてもらおうと思っていたのに、お願いできなくて残念』と言っていました」と書いてくれていた。
その時、私のピアノをお世辞ではなく、本心から褒めてくれていたのだということに気がついた。ピアノの先生には怒られてばかりだったけれど、私は人の心に届く音色を紡ぎ出すことができていたのだ。何度も辞めたいと思ったけれど、続けてよかったと初めて思えた瞬間だった。
改めて、私にとって絵画やピアノとは、そして芸術とは何だろうと振り返ってみると、「そういう考え方もあっていいよね」という、色々な解釈を受け入れるマインドを育むきっかけを与えてくれたものだということに気がついた。
あるがままの状態を描くことで伝わる美しさもあれば、「これは…… 何を表現したいんだ!?」と思わず首をひねってしまうものの、いつまでも記憶に残り続けるような、そんなアート達も人の心を動かす。
歴史に名を残す作曲家達が心血注いで作った曲を、楽譜の通りに表現することで多くの人が魅了されることもあれば、アーティストなりのアレンジが入ることで、独自性を帯びた音となって心に残ることもある。私にとってフジ子・ヘミングの「ラ・カンパネラ」がそうだ。原曲の流れるような曲調も好きだが、まるで焦らすかのようなフジ子・ヘミングの弾き方を初めて聞いた時、私は引き込まれてしまった。
様々な解釈があっていい。そしてそれを自分なりの方法で表現していい。それに対し、「いいね」と言ってくれる人もいれば、否定的な反応をする人もいるかもしれない。それは受け取った側の自由だ。
自分が受け取る側になったとき、心が動かされたなら拍手を送ればいいし、思いもよらない表現であったとしても、「へー…… そんな見方もあるんだね」と、自分なりの視点で観察してみたらいい。
不格好な木の絵を褒めてくれた担任の先生、そして誰も褒めてくれなかったピアノの音色を褒めてくれた音楽の先生のおかげで、自分なりの表現をしていいんだと勇気づけられて、今の私がいる。
最後に絵を描いたのはいつだろうと振り返ると、20年以上前のことになる。ピアノに至ってはもっと前だ。今年の秋は、芸術に触れる機会を設けてみようかと、エアコンをガンガンに効かせながら思いを巡らす真夏の夜だ。
❏ライタープロフィール
松本萌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
兵庫県生まれ。東京都在住。
2023年6月より天狼院書店のライティング講座を受講中。
「行きたいところに行く・会いたい人に会いに行く・食べたいものを食べる」がモットー。趣味は通算20年以上続けている弓道。弓道と同じくらい、ライティングも長く続けたいと思い、奮闘中。
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