ゼミ

折れない秘密《週刊READING LIFE vol.377「フリー」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:吉田倫子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

「あ、美代子か」
父が私を見て言った。美代子は父の妹、私の叔母である。病院に面会に行ったときのことだった。看護師さんが、「ええっ? 娘さんですよ」と言った。そこへ主治医が入ってきた。
「昨日の夜中、これから会社に行くぞと言って、着替えようとされたので、お薬を飲んでもらいました」
そう伝えられた。私は静かにうなずいた。父は、私の顔を不思議そうに見つめていた。それが、最後に見た父の姿だった。それから二週間ほどして、父は息を引き取った。93歳の夏だった。

そんな父は生前、「塚本さん」という名前をしばしば口にしていた。北海道の親戚筋の吉田姓が出てくるのはわかる。けれども、なぜ福井の「塚本さん」が出てくるのか、ずっと不思議だった。

その答えを、私は父の遺品の中から見つけることになる。

550円のこんがり日焼けした値札が貼られた、黄色いファイル。開けてみると、『徳川幕府時代の初期三河国から越前国に。昭和の初期、福井から北海道に移住した吉田家先祖物語、第十三代子孫巧記述』という文字が目に飛び込んできた。

A4サイズ、Wordで縦書き、上下三段組。几帳面に、ところどころ、さかのぼれば大正6年頃の家族写真までスキャンされて載っていた。初めて見る写真ばかりだった。

20ページにわたって、福井時代のこと、北海道へ渡った経緯、スケールの大きな開墾の記録、家族のことが書かれていた。その中でも、特に心に残ったのは、会ったことのない私の祖母、イシのありようだった。

吉田家の嫁

時は、明治から昭和にかけての家制度、封建社会の盛りの頃である。

イシは、今の福井県越前町気比庄から越前町金谷の祖父、第十三代吉田長左衛門のところに20歳で嫁いできた。祖父はやり手で、若い頃から公職に就いていた。けれども、家業の農業を省みず、野良仕事は一人、イシの肩にかかった。祖父は「子は親のためにあり、親は子のためにあらず。家族の生活費は妻子が稼ぐものなり。主人の役目は、それを督励して監督するものなり」を実践した人であったという。

舅はすでに他界していた。イシを待ち受けていたのは、吉田家を切り仕切る苛烈な姑・サクだった。祖父の母、曽祖母のサクは、もともと勝ち気娘で有名だった。その嫁いびりはかなりのものだった。また、曽祖母サク自身も、猛烈に姑からしごかれ、天王川に身を投げたいと思ったほどだという。

姑のシゴキは吉田家伝来のものなのか。この時代の日本社会の産物なのか。イシはいじめられて泣きの涙の日々を送った。猛烈な姑と、家を顧みない夫。ダブルの悲劇である。イシは姑サクにしごかれ、泣きながら幾度も実家に帰ったという。孫たちも激しく折檻を受け、長男を除けば、孫兄弟はうなじの部分に大きなお灸の痕が残っていた。

イシの実父・塚本新左衛門は、娘イシとその子供たちが姑サクから受ける仕打ちを見過ごすことができなかった。離縁してもらうように、娘と子供が住む家屋敷まで準備した。当時、「出戻り」というのは決して許されない厳しい世間の目があったと想像する。それでも、イシには塚本家という理解ある実家、帰る場所があった。

そう考えると、父がしばしば口にしていた「塚本さん」の意味合いが、少しわかったような気がした。きっと子供達にとっても、イシの実家、塚本家は吉田家とは違い、心休まる場所だったのではないか。
冷え切った身も心も受け入れてくれる場所。変わらぬ温かい視線。自分をひとりの人間として見てくれる家族。

帰る場所がある。
それだけで、人はもう一度、立ち上がれるのかもしれない。

一方で曽祖母サクの逸話は、どれも印象的だった。そのうちの一つ、夫不在の折、自分の家の上にダムを造る計画が持ち上がった。その寄り合いで「うら(自分)の屋敷の上に池を作るのなら、うらをこの包丁で殺してから造れ」と懐から包丁を差し出したという。さらには、包丁を畳に突き刺したとの噂話も残っていた。

サクは後妻として吉田家に入り、農作業を一手に引き受けた。さらには家制度につきまとう姑の猛烈ないじめにも耐え抜いた。夫なきあとは、その押しの強さで家を支配した。そして、その矛先は、嫁であるイシにも容赦なく向けられた。人は、自分が受けた仕打ちを、立場の弱い者に返してしまうことがある。

けれども、サクの厳しさの裏側には、深い孤独があったのではないか。頼れる実家もなく、逃げ場のない中で、家を守っていかなければならなかったサク。自分の気持ちを誰にもわかってもらえないまま、その苦しさを、弱い立場の嫁に向けてしまったのかもしれない。家族を威圧することでしか、サクは自分を保てなかったのかもしれない。

サクという猛風が吹き荒れる吉田家の中で、祖母イシは後年、姑の仕打ちに耐えられたのは、小姑キサの優しい心遣いであったと、しみじみ父に語ったという。

どんな心遣いであったのかは、わからない。けれども、きっとさりげない気遣いだったのだろう。大げさな救済ではない。誰にも気づかれないような、ただひとりの人間が向けた温かな視線。

人は、大きな正論や仕組みだけで救われるのではない。極限の苦しい状況で、人をつなぎ止めるのは、こうした「小さな温もり」や「密やかな気配」なのかもしれない。

そのサクから容赦ない仕打ちを受けながらも、イシが嫁に同じような仕打ちをしたという気配は、手記にはない。実家・塚本家で受けた無償の愛と、キサから受け取ったささやかな心遣い。そうしたものが、イシを支えていたのだろうか。

祖母のイシは、吉田家に嫁いで五十年。勝気な姑にしごかれ、我儘気儘で家業を省みない夫に逆らうこともなく仕えた。十人の子供を生み、八人の子供を育て上げながら、家業の農業を一人で守り、働き通した。

けれど、ただおとなしいだけの女性ではなかったようだ。

父の記憶では、一度だけ祖父とけんかして、一人、北海道から実家である福井の塚本家へと引き揚げたという。祖父が迎えに行くと、再び北海道に戻ってきた。

なぜ、戻ったのだろう。

もしかすると、実家で自分を取り戻したからこそ、もう一度、吉田家でやっていこうと思えたのかもしれない。吉田家に残してきた我が子たちの姿も、彼女の脳裏をかすめたのかもしれない。

そうしてイシは、再び北海道へ戻った。

「要らん子」の裏にあった愛

「わしは七男で、もともと要らん子やったからな」

父のその言葉が耳に残っている。

明治から昭和にかけて、子だくさんの家では、生活が苦しければ、口減らしのために丁稚奉公に出されたり、女の子であれば遊郭に売られたりすることもあっただろう。

父の手記『吉田家先祖物語』には、子どものいないイシの実家・塚本家が、吉田家はたくさん子どもがいるからと、父を養子に欲しがったと書かれていた。そのとき、祖父は断り、イシも断固として反対したという。

七男で、一番下の男の子。それでも、父は吉田家の一員だった。たとえイシの実家である塚本家に入るのだとしても、養子になれば、何かと肩身の狭い思いをすることもあったはずだ。そんな中で、イシは父を手放さなかった。

「要らん子」と父は自らのことを言う。そのあっけらかんとした言葉の裏には、七男で一番下の男の子だった自分が、それでも母に守られたという、愛された実感と誇りが、うっすらと感じられる。

その思いは、兄弟たちにも伝わっていたのかもしれない。父が京都に働きに来てからも、兄弟たちは毎年、数の子やニシン、鮭、ウニなどを送ってきてくれた。そして、京都にも訪ねてきた。極寒の開拓地、日本海の荒波、猛吹雪の中で、手記の中では、いつも父の隣には誰かしらの兄弟がそばにいた。

「要らん子」でありながら、父は九十三年を生きた。

北海道時代のことを、生前ほとんど語らなかった父。その父が「遠い昔の家族の昔話」を残していた。

なぜ、父はこれを書いたのだろう。

退職後の手持ち無沙汰や、暇つぶしとは思えない。それは、ただ出来事を並べただけの記録ではなかった。家庭内で起きたことを、兄弟で一緒に見つめるような目線があった。激しい折檻をした祖母サクのことも、鬼祖母としてだけではなく、年老いた哀れな姿まで書かれていた。父はかつて祖父と袂を分かったけれども、後には和解したとも言っていた。そんな家族の歴史を、父は一つひとつ書き残していた。

その父は、会社員時代、日本中、いろんなところに出張していた。種苗会社に勤めていたため、茨城県のメロンや、沖永良部島のグラジオラス、百合の花なども、よく家に送られてきた。会社からのご褒美旅行で、オランダにも行った。九十三年の人生の中で、会社時代にも、それなりに多くの思い出があったはずだ。それなのに、会社時代のことは、何も書き残していない。父が残したのは、福井から北海道へ渡った家族のことだった。その手記には、先祖の記録だけではなく、父自身が生きてきた家族の記憶が刻まれていた。

そこには、そんなにうれしかったことは書かれていない。家庭内での出来事、その時々に感じた複雑な胸の内が、生き生きと描かれている。会社員時代を経てもなお、残っていた遠い昔の家族の記憶。私の全く知らなかった世界が、そこにある。

今、私はその手記を開いている。
古い写真と、遠い昔の家族の記憶を、ひとつずつたどるように。

 

《終わり》

 

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