深夜のリサイタルには誰もいない
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:コバヤシミズキ(チーム天狼院)
「歌うのは好きですか」
もしそう聞かれたら、私の場合、答えはイエス以外ありえない。
なんせ少なくとも6年は合唱をしていた身だ。
人生の3分の1。それだけ続けていれば好きと胸を張ったっていいだろう。
化粧をするときだって、人と話すときだって。今も、もちろん。
幼い頃から、“歌を歌う”ことが生活に染みついていた。
歌いたいときに歌う。そりゃTPOもわきまえるけど。
「好きですよ」
だから、こう答えたし、何も問題ないはずだった。
「じゃあ、どんな時歌うの?」
思わず言葉に詰まる。
歌いたいときとすぐ答えられたら、どれだけ楽だったか。
人前で歌わなくなって、2年。
ボソボソと口ずさむのに慣れて、2年。
観客の居ないリサイタルに、果たして意味はあるのか。
幼い頃は、本当にところ構わず歌っていたと思う。
4歳くらいの時のビデオを見ると、大抵訳の分からない歌を歌っているのだ。
「なんちゃらかんちゃらーだーいすきー」
「くもーにーのってー」
……こういうビデオって見返すと結構恥ずかしい。
いつだったか、家族でいわゆるホームビデオを見ていたとき、自分が映るたびにトイレに逃げていたことを思い出した。
「ほんと、昔はみずきのリサイタル癖がすごかった!」
もちろん、両親は懐かしんで笑っていたし、その後登場した弟も似たようなものだったけど。
「こりゃ遺伝だな」
勝手にそう結論づけて、恥ずかしい気持ちを抑え込んだのを覚えている。
そう、遺伝。
だから、これは本能なのだ。
「きっと、一人リサイタルを開催するDNAが組み込まれているに違いない!」
ふとテレビの中で伸びやかに歌う幼い自分を見やる。
画面の中の少女は、周りの大人や親戚に囲まれながらニコニコと歌っていた。
「……あれ?」
画面の中の少女は、確かに自分なのに。
「私って、こんなにニコニコしてたか?」
まるで、自分じゃ無いみたいで、薄気味悪かった。
今もよく歌うことはあるけど、なんか違う。
「まあ、いい年だし。そりゃTPOはわきまえますよ」
確かに、ところ構わず歌わなくなったし、ちゃんと意味のある歌詞を口ずさめるようになった。
……あの頃より、はるかに歌の精度は上がっているはずなのだ。
音程だって取れている。リズムも完璧。歌詞の意味だって考えられる。
それなのに。
「なんでこの人、こんなにニコニコ歌ってるわけ」
圧倒的に、幼い頃の自分の方が楽しそうに歌っているのだ。
“出来ることが増えれば楽しい”はずなのに、なぜか今の私の方が負けている。
「歌うの、好きだけどな」
歌うことが好き。そう胸を張って言えるのに。
「じゃあ、どんな時歌うの?」
この質問にだけは、自信を持って答えられない。
“歌いたいときに歌う”? 果たして本当にそうだろうか。
年齢を重ねるごとに、周りの目が気になって仕方が無い。
“あいつは変だから”というレッテルを貼られた人を見るたび、“次は自分だ”と思ってしまう。
だから、TPOをわきまえ続けた結果、伸びやかに歌う少女は姿を消したのだ。
とはいえ、歌を歌わなくなったわけではなくて。
私が祖父母の家で開催していたリサイタルは、気づけば時間と場所を移されていた。
「……しんど」
アルバイトから帰った、深夜12時のバスルーム。
最近は専らここで、シャワーの音に紛れて歌うのが習慣になっていた。
一日の疲れをぬるめのお湯で洗い流しながら、ぼんやりと口ずさむ。
風呂場で反響する音を聞く限り、2年ブランクがあろうが悪くはない、と思う。
しかし、ふと顔を上げると、鏡に映る自分の顔はどこか浮かない表情で。
「ほんと、何が違うんだろ」
回数を重ねるたび、ピアニシモで口ずさむのがうまくなる。
それに比例するかのように、どこか寂しげな曲が増えた。
「深夜帯にふさわしい、とはいえども」
まるで、私が一方的に歌のことが好きみたいで、なんだか複雑。
……誰も知らない曲を歌っていた自分と、選んだ曲を歌う自分。
何が違うのか分からないまま、今日もバスルームで体を拭くのだ。
自分にとって、歌とは一体何なのか。
再び、バスルームで一人考える。
……“歌も自己表現の一つ”とは誰が言ったっけ。
「全くもって、その通りなんだよな」
あの頃自分が歌っていた歌は、確かに訳が分からない。
きっと、そのときの感情を切り貼りして出来た、つぎはぎだらけの歌なのだ。
……今私が聞いても意味が分からない歌を、他人が聞いても意味が分からないだろう。
全く、意味の無い歌だった。
「でも、それしかなかった」
そんな歌を歌っていたのは、それしか手段が無かったからだ。
今と変わらず口下手な私が、自分の思いを伝える唯一のツールが歌だったのだ。
それ以外の方法を知らなかったのだ。
「でも、今は違う」
SNSがある。文章も絵もある。まともに喋る口がある。
……必ずしも歌である必要性が無くなってしまったのだ。
だから、私のリサイタルは昼番組から、深夜帯に移ったのかもしれない。
今まで一人で私の熱量を背負っていた歌が、他のツールに世代交代した。
きっと、歌は共闘する仲間から、私の相談役になったのだ。
「お互い、年取っちゃったね」
バスルームでの私の独り言は、やっぱりシャワーの音に溶けた。
随分、長い時間歌ってしまった。
深夜1時のバスルームで、シャワーを出しっぱなしにしたことを少し反省する。
それでも、どこか心はすっきりとしていて、明日もちょっと頑張れそうな気がするのだ。
「深夜のリサイタルも、なかなかいいじゃん」
観客の居ないリサイタルに果たして意味はあるのか。
「あなたが知っていればそれでいいよ」
深夜のリサイタルには誰も居なくていい。
歌にしてしまえば、きっとそれでこのリサイタルは成功するのだ。
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