メディアグランプリ

名前をおぼえることは、愛のはじまり


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中 伸一 (ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
昨年の今ごろのことだ。我が家に薄紫色の涼やかな花が咲いた。小さなユリのような花が、長く長く伸びた茎のてっぺんで輪のように連なって咲いている。写真を撮ってSNSに投稿しようとして、ハッと気づいた。
……花の名前が分からない。
「そんなこと、画像検索すればいいでしょう?」
という声が聞こえてきそうだが、画像検索の仕方がよくわからない。画像検索の仕方を検索しなければいけないのか……。憂鬱になっていたら、SNSで同じ花の写真を投稿しているのを見つけた。
「アガパンサス」という名前が添えられていた。さらに、「アガパンサス」という名前で検索すると、気になる結果が表示された。
「アガパンサス」とは、「アガペー」と「アンサス」をくっつけた言葉だというのだ。「アンサス」は、花の意味で、けっこういろいろな花につけられている。問題は「アガペー」だ。この言葉を花の名前につけるとは……。
名前を知らなかったときは、ただのきれいな花だったのに、名前を知ってから、この花は私にとって特別なものになった。
すると、我が家の周りでアガパンサスが咲いているところがヤケに目につく。小学生の娘と散歩しながら数えたら、ものの10分もしないうちに、13か所も見つけてしまった。
「いっぱい咲いてるんだね!」
娘も若干興奮気味である。名前を知るだけで、漠然とした風景に、意味が加わって見える。
「でもさ、父ちゃんもよく知らないけど、草も木も、全部名前があるんだよ。もっと名前がわかったら、道を歩いてても面白くなるんじゃないかな」
そう言いながら、ちょうど私が娘と同じくらいのころ、お世話になった方のことを思い出していた。
 
秋枝さんは、我が家の近くに住んでいた。200坪はあるような、昔の大きな農家の屋敷を買い取って引っ越してきたのだ。秋枝さんのおじいちゃんは、園芸が大好きで、季節ごとに花の苗を育てては、近所の人に配ったりしていた。大きな温室は、ランの鉢でいっぱいだったし、庭木は季節ごとに花や実をつけていた。
友達の少ない私は、いつしか秋枝さんのおじいちゃんのところをしばしば訪れるようになった。おじいちゃんは、私のことを孫のようにかわいがってくれた。花や木を前に、おじいちゃんの話を聞いた。どんなふうに育ち、どんな花を咲かせるのか、土はどう配合するのか、肥料は……、そんな話を熱心に聞いた。
温室を二人で歩く。ランの花がきれいに咲いている。
「これは何てゆうの?」
「カトレアやね」
「これは?」
「シンビジウム」
「あっちのは?」
「オンシジウムゆうんや」
鉢につけられた名前を見ると、「カトレア」の後ろにもカタカナが続いている。「ラン」の中に「カトレア」があって、さらに「カトレア」にも多くの品種があり、それぞれに名前があることを知った。サクラソウや菊だって、ものすごく種類がある。そして、全部名前がある。
名前が違うということは、何かが違うということ。色や形、性質の違い。そして、その違いを生み出すために、品種改良をする仕事があることも知った。
家で取っていた「趣味の園芸」のテキストを熟読して、おじいちゃんの話についていこうとした。そうすると、通学の途中で見かける花も、だいたい名前が言えるようになっていった。
とはいえ、小学生だから、実際に花を育てるのは下手だった。おじいちゃんがくれた菊の苗の世話をさぼって、メチャクチャな形で花が咲いたこともあった。
そんなときも、おじいちゃんは決して私を否定せず、友達でもあるかのように接してくれた。「将来なりたいもの」の欄に、職業ではなく「秋枝さんのおじいちゃんみたいになりたい」という意味不明なことを書いたのも、そのころのことだ。
今、思い返してみると不思議な関係だ。でも、そのおかげで、たくさんの花には、みんな名前がついていて、名前を覚えていることで会話が弾むことを学んだ。
 
名前を覚えること。それは、愛することの入口だ。
普通、好きになって名前を覚えるものだろう。
好きになった人の名前を忘れる人はいない。好きだから名前を覚える。
だが、逆のパターンもある。
「花が咲いてるな」
と思っても、名前を知らなければ、その場かぎりになってしまう。身近に花に詳しい人がいたら、例えば
「それは、ガーベラだよ」
と教えてくれるだろう。そうすると、別のところで同じ花を見かけると、
「またあの花が咲いている」
ではなくて、
「ガーベラがここにも咲いている」
に変わる。そうすると、名前を知らない他の花よりもずっと、ガーベラが自分にとって親しいものに感じられてくるだろう。好きな花を訊かれて
「ガーベラです」
と答える日は近いかもしれない。
スポーツにしても、鉄道にしても、ちょっとしたきっかけで選手や電車の名前を覚えるようになると、とたんに面白くなってくる。名前に紐づけされて、さまざまな知識が入ってくるからだ。
 
そう考えると、名前とは単なるラベルではない。
名前をつけるときの真剣さを考えてみればわかる。
自分の子どもに名前をつけるとき、その子の一生を夫婦で想像し、幸い多かれと願う。私の場合、いつも出生届の提出期限ギリギリまで考えてしまう。簡単に決められるものではない。
新しい生物を発見して名前をつける人は、自分が発見したその生き物に愛着をもっているだろう。ペットを飼い始める人、新しい商品を企画する人、みんな同じだ。
名前を覚えるということは、名前をつけてくれた人の愛を受け取ることかもしれない。
世界のほとんどのものに名前がついているということは、愛をもって名前をつけた人たちがいるということだ。
名前をつける。名前を覚える。
その営みを思うと、世界のすべてのものが誰かに愛されているような気持になる。
 
今年も我が家のアガパンサスのつぼみがふくらんできた。
アガパンサスの由来である「アガペー」とは、「神の愛」を表すギリシャ語で、新約聖書の最重要キーワードの一つと言っていい。神に背を向ける人間を、それでもなお愛し続ける神の愛。この言葉を「悲愛」と訳した人もいる、と言えば、恋愛とも親子の愛情とも違う、尋常ではない雰囲気を感じ取っていただけるだろうか。
この花に、そんな重い意味を持つ名前をつけた人がいる。どんなところに、神の愛を感じたのだろう。
それは、わからない。
けれど、私はこれからアガパンサスの花を見るたびに、神の愛について考えるだろう。神の愛、と聞けばアガパンサスの花を思い浮かべるだろう。
そんな名前をつけられた花に、今年も会えることを楽しみにしている。

 
 
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2018-06-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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