やるせない便り
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記事:田中義郎(ライティング・ゼミ日曜コース)
先日、山本君の訪問を受けた。
挨拶もそこそこに、彼は年賀状を差し出した。青木君からのものだった。
「ぼくももらったよ。何かの間違いではないかと……」
山本君も悲しそうな顔で頷いた。
以下は年賀状の文面である。
今年77歳になります。寄る年波には勝てず心身の衰えを感じるようになってきました。勝手ながら年賀状でのご挨拶は本年を持って控えさせていただきます。
長年にわたりご厚誼賜り誠にありがとうございました。
毎年、ぼくは彼からの年賀状を楽しみにしていた。印刷された年賀状の余白に、いつも小さな字で社会を風刺するウイットに富んだ文章が書かれていた。長くなったときは両面に書かれていた。
今年は印刷だけの悲しい「便り」だった。
青木君、山本君は、ぼくの幼なじみである。
成績優秀で常に主席の道を歩んできたのは青木君である。定年退職後も天下りという道があり、60歳代の半ばまで勤め上げた。かたわらで見る限り、生涯、日の当たる場所を歩き華やかな人生だったはずだ。
山本君は海外勤務が多く、退職後は海外企業と(日本の)中小企業を繋ぐ仕事で、つい最近まで東奔西走していた。
ぼくは52歳で起業した。自分のやりたい仕事だけをしながら今日に至っている。
普段は顔を合わす機会はあまりなかったが、三人三様、それぞれ違う道を歩んできたので話題は事欠かすことはなかった。集まるといつも時間の経過を忘れ激論を交わしていた。楽しかった。だが、その一角が崩れた。いずれその日がやってくることは分かっていたが早すぎる。10年、否、15年は早い。
「青木君にとってエリートの道は過酷すぎた」
この彼の一言に、ぼくは続けた。
「そう言えば青木君は『君たちがうらやましい』と、よく漏らしていた。いつも聞き流していたが、彼は進むべき道を誤ったのかも知れない」
山本君は、
「君は悪運が強い。まかり間違っても青木君のようにはならない」
「運、不運の問題ではない。チャレンジする世界が大きすぎたのだ。成績優秀であることが彼を大きな世界に導き、彼を災いに巻き込んだ」
「もっと仕事のことを議論すべきだった。そうすれば君の悪運が少しは彼に乗り移ったかも知れない」
われわれが社会人になったとき「横並び社会」の真っ只中にあった。「出る杭は打たれる」「出すぎず、へこまず、無難に生きる」が尊ばれた時代だった。中庸に生き平均値に寄り添いながら組織に溶け込み、組織の一員として活躍する人材が好まれた。良くも悪くも両極端を排除する力学が働いていた。トップの座を求めて情熱的に働いても、必ずしも高い評価を受けられなかった。
青木君は幼いころから勉強の虫だった。苦手な科目も簡単にクリアし、われわれを寄せ付けなかった。多分、社会人になってからもこの生き方を踏襲したのだろう。しかし、彼にとってこの生き方はベストな選択ではなかったかも知れない。
華やかに見えても、彼はいつも目に見えない敵と戦っていたのであろう。社会というメカニズムの中では、さまざまな制度や風習などの制約を受ける。「横並び社会」との戦いもある。人間関係を無難にこなせたとしても、社会的、政治的力学なども働く。実力がNo.1でも、トップの座を射止める保証は何もない。
コツコツ型の彼にとって決して居心地の良い環境ではなかった。神経をすり減らしながらの人生であったことは想像に難くない。
人生の選択肢は2つしかない。
これは、ぼくの持論である。
1つは、自分の「強み」を武器にして生きる。今1つは、自分の「弱み」をさらけ出して生きる生き方である。
おそらく青木君は自分の強みを武器に懸命に生きたが、目に見えない敵に武器を奪われ、自由を失い、目標も失った。
数十年前、自由について議論したことがあった。
われわれはさまざまな社会的制約を受けているが、自らの自由を抑制しているのは自分自身である。自らの中にある「恐怖心」が自由を希求する衝動をさえぎっているのだ。
恐怖心を恐れ、無難なリスクのない生き方を優先したとき、自分の心の軸と人格を失う。なぜなら、自分の思考や行動が自分の身を守ることに集中し、自らの能力を鍛え成長を図る取り組みにまで気が回らなくなる。
この持論を展開していたのは確か青木君だった。
その青木君が社会という舞台から降りた。77歳という若さで降りた。さまざまな思いがぼくの頭の中を駆け巡るが、すべては過ぎ去った思い出になった。しかし、これも時の流れというものかも知れない。
山本君も同じ思いであったのだろう。しばし、思いにふけっていた。
そして今……、
ぼくの背中を押しているのは「悪運」である。
ぼくも自由を求め、会社という組織で孤軍奮闘した。しかし、大きな組織には勝てず飛び出した。起業して25年、自分がやりたい仕事だけに絞り込むという方針を守り続けてきた。自分の突出した分野に特化する。間口を広げない。時の経過とともに間口は徐々に狭くなっている。
客数は減り売上も減少しているが、ぼくの強み(能力)はより生かされている。ぼくにしかできない社会貢献ができれば、売上が減っても構わない。常に強みを磨く努力を怠らない限り、新しい光が差し込んでくる可能性もある。
自由に生きる。これは理想的な生き方である。青木君には悪いが、これを機に一気に次のステップを目指したい。これからどんな未来が待っているのか、それを決めるのは自分自身なのだ。
青木君は過ぎ去りし友になった。寂しいが、これも時の流れなのだろう。
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