自分で頑張るって決めたことだから頑張るのは当たり前なんだけどでもやっぱり頑張るのは辛い。《川代ノート》
こんなに辛く感じてしまっている自分が不思議で仕様が無い。
どうしてだろう。頑張るって決めたのは自分自身のはずだ。
それなのに辛いって思うのは、甘えなんじゃないか?
自分が愚かなんじゃないか。
自分の責任だ。
好きなことを一生懸命頑張れるって、なんて幸せなことなんだ。
なかにはやりたくないことを頑張らなくちゃいけない人だっているのに。
うん。
わかってるよ。わかってますよ。痛いくらい。
でも仕方ないでしょう。
それでもやっぱり、頑張るのが辛いときだってあるんだもの。
ずっと自分が本気で頑張りたいと思えるものが見つからなかった。 テニスもだめ。茶道もだめ。勉強もだめ。英語もだめ。バイトもだめ。高校生になっても大学生になっても、自分が本当に心から好きで、本気で頑張りたいと思えるものなんてひとつも見つからなかった。
就職活動をしたとき、次々にとんでくる、面接官からの質問。
「あなたが学生時代、いちばんがんばったことは?」
「あなたの長所は?」
「あなたは将来、どんなことをしたいの?」
すべての質問も、それに淡々と答える自分自身も、なんだか無機質に思えた。
エー、ワタクシは、学生時代に留学をしまして・・・
そこで得たものは・・・
御社に入れましたらゼヒその経験を生かし・・・
ウンタラカンタラ。
別に嘘をついているわけじゃない。大学生活で本当に一番がんばったことをそのまま伝えていただけだった。正直に答えていたのには間違いない。
だけど。
ときどき自分でも驚くほど冷めた頭で、なんのために大学に入ったんだろう、と思った。 たしかに頑張ったことはある。それは間違いない。でもなにか。なんだか。
物足りない感。
限界まで頑張ってないよなあ、と思った。どう多めに見積もったとしても、自分を追い詰めるほど頑張ってはいなかった。そこまで熱中出来るものがなかったのだ。
そして他の、ダンスとか演劇とか音楽とかのサークルに命をかけて、それこそ朝から晩まで、学生生活のすべてを捧げているようなまわりの友人たちが羨ましくて仕方なかった。
どうしてあそこまで熱中出来るんだろう。
不思議だった。同時に、どうして自分にはそこまで好きと言えるものがないのかも。
不思議だ。
みんな持ってる。みんな好きって言えるものがある。これだけは人にまけないくらい頑張ったって言えるものがある。
なのに、私には何もない。 どうしてみんな、そんなに頑張れるの。どうしたらそこまで夢中になれるものが見つかるの。
それが悲しくて、寂しくて、友人たちが妬ましくて仕方なかった。私だけがなにかが欠けている、不満足な人間のような気がした。私は将来なにがしたいんだろう。何をして生きていけば幸せなんだろう。ぼんやりとした不安。でも、見かけは明るく振る舞う。みんなと同じだよって顔をする。自分にも好きなものがあるんだ、熱中出来るものがあるんだ、って言い聞かせる。
そうやって大学三年間、過ごした。
はじめに、「天狼院メディアを強化するから、みんな記事を書いてね」って三浦さんから指令があったときは、まさかここまではまるとは思っていなかった。 昔から作文は好きな方だったから、少しでも面白い記事が書けるといいなあ、なんてぼんやり思っていただけだった。
三浦さんにアドバイスをもらいながら書いた。はじめのうちは。 でもだんだん、自分が普段考えているモヤモヤを、文章にしたくなった。普段から抱いていた疑問。それを目に見える形にすれば、この気持ちを共感してくれる人が現れるかも、そう思って、挑戦させてもらった。
自分の考えを明確に言葉にして、「川代が考えているのはこういうことです」とどーんと人様の前に出すのは本当に怖かった。だって後戻りができない。違う価値観の人からは批判されるだろうし、もしかしたら仲の良かった友人も消えて行くかもしれない。「人から嫌われたくない」という思いが強い私にとっては本当にリスキーなことだった。一歩間違えば、誰かに喧嘩を売ることになりかねない。
でもそれをわかっていても、自由に書くようになってからは、もうやめられなかった。子供の頃、スケッチブックいっぱいに絵を書き続けていたときのような感覚を、久しぶりに思い出したのだ。
純粋なわくわく、どきどき。気分が高揚して、勝手に鼻の穴が膨らんでしまうようなあの感じ。ただ楽しくて、好きで。
文章を書いている間、私は完全に集中することが出来た。こんなに集中濃度が高いことって、いままでにほとんどなかった。でもそれくらい、頭はクリアで、キーボードをたたけば、自分の気持ちが言葉に変換されて出てくる。書けば書くほど自分のことがよくわかる。画面に文字が映し出されると、別世界への扉が開く。私は吸い込まれるようにして、言葉だけの空間に入る。その不思議な感覚が面白かった。もっともっとうまく書けるようになって、たくさん自分のことを知りたいと思った。
自分の書いたものが人に評価されるのはものすごく嬉しかった。「わかる、わかる」と言ってくれる。記事を読んで店に来てくれる人もいたのは嬉しすぎて泣いてしまうほどだった。やっぱりもっともっと書きたいと思った。これだけ楽しいなら、書くことを仕事にしたいとも思うようになった。自分に向いているんじゃないか、と厚かましく調子に乗った。
でも。
そのときは、突然。
あれ?なんだか、頑張れない。
頑張りたいのに、頑張れない。
こんなに好きで、夢中になれることで、しかも、ようやく見つけた夢で。一生続けていけたら、なんて思っていた、矢先に。
パッと、書けない。なんにも書けない。
でも無理して書いた。書けない自分にイライラした。
どうして?どうして出来ないの。こんなに好きなのに。こんなに頑張ってるのに・・・。誰よりも頑張ってるはずなのに。頑張らなきゃいけないのに。
どうして、キーボートに置いた手が、まったく進まない。 打っては消し、打っては消して。
簡単だった。
はじめは「好きなことを思いっきり書きたい」という欲求だったのが、「みんなが読んでくれるようなものを書かなきゃ」という義務感に変わってしまっていたのだ。
気がつけば、ツマラナイ一般論の詰め合わせの、完成。そんな人の評価を気にして書いたものなんて、もちろんアクセスがのびるはずもない。
おかしい。こんなはずじゃない。こんなところで躓いている場合じゃないのに。
でもやっぱり駄目だった。言葉の世界への扉は、まったく開かなくなってしまった。 おかしい。 ダメなのに。こんなんじゃダメなのに。 もっと頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、頑張らなきゃ頑張らなきゃ頑張らなきゃ・・・。
夢を叶えたいなら、もっと一生懸命、やらなくちゃ。
だって、「頑張る」って決めたのは、自分なんだから。
「辛い」なんて、弱音吐くのはおかしい。
いつも思っていた。
スポーツに勉強に留学に、一生懸命、夢中になって頑張る友人たち。 でも彼らはときどき、愚痴を言う。弱音を吐く。
はあ、練習めんどくせえなあ、とか、もうやりたくない、辛い、とか。
そのたびに私は思う。
そんだけ文句言うならやめればいい。
弱音吐くくらいなら最初から手出すな。
そんだけ熱中できるものがあるあんたらより、好きなものが何もない私の方がずっと不幸だ、と。
自分がやりたい、って決めたことに対して頑張れるってだけで十分幸せなんだから、文句たれてないで頑張れよ、と。
そう思っていた。
それなのに、今の私ときたらどうだ。
昔の私が今の私をみたら、ちゃんちゃらおかしくて嗤うだろうか。
だって、好きだから続けたいって、自分で頑張るって決めたことで。別に私が書くのをやめても誰も困らないのに、どうしてここまで追い詰められているのか。そんなに苦しくて辛いって弱音吐くなら、やめちゃえばいいんじゃないか。
でもやめたくない。続けたい。やっと見つけた夢なの。実現したいの。限界まで頑張りたいの。だってこんなに面白いんだもの。
でも辛いんでしょう?やめたいんでしょう?別にあなたがやめたって誰かが死ぬわけじゃないわよ。大丈夫、嫌なら頑張らなくてもいいの。普通に生きていれば、普通の幸せが手に入るんだから、それでいいじゃない。
二人の自分が囁きかける。私はどうしていいかわからない。
だれか、たすけて。
ふいに、昔、5歳か6歳くらいの頃、上り棒の練習をしていたときのことを思い出す。
私はどうしても上り棒を上までのぼりきりたくて、でも、なかなか上に進まなくて。 一日中練習していたけれど、空は夕焼けに、手にはマメができて痛くて。
いくら頑張っても、途中までは行けるんだけど、上にのぼりきることが出来ない。もうどれだけ頑張っても無理じゃないか、と思って。
辛くて、涙が出てきて。
そばにいた母親が、「さき、もういいよ、そんなに辛いなら帰ろう?また別の日に頑張ればいいじゃない」と声をかけてくる。
途端、私はイヤ!と大泣きして。
これだけ頑張ってきたのに、途中で帰るなんて、プライドが許さない。
じゃあ、もう一度のぼるの?と母がきいてくる。
イヤ!もう痛いからイヤだあ、と私は大泣きする。
じゃあ帰ろう、それもイヤ。
なら練習する?それもイヤ。
全部イヤ。頑張るのも、頑張らないのも、イヤ。
上り棒を最後までのぼりきるまで帰らないって決めたのは自分なのに、やっぱりマメができて手が痛くて、肩の力も抜けてきて、疲れたし、本音を言えばもう帰りたいのに。
でも、目標を途中で諦める方がなんだかもっとイヤに思えて、やめるにやめられない。
どうしよう。
母は困った顔をして、私の泣き顔を見つめる。
やめたいけどやめたくない。 頑張りたいけど頑張れない。
でも、「じゃあもう一回だけ挑戦して、だめだったら帰ろう?」と母に言われたあと。
しばらく泣いて、泣き尽くして、ふっと体がリラックスした瞬間もう一度のぼると、今までの苦労が信じられないくらい、スルスルとのぼれた。
なにが違ったのかわからない。
でも母と私はふたりでキャーと喜び合って。
マメだらけの汚い手を繋いで、二人仲良く家路についた。
いくら頑張っても駄目だ、たどり着けない、なんて時期は絶対に来る、きっと。
どれだけそれまでうまくいっていても、順調に思えても、どんなに好きでも。 いきなり駄目になってしまうとき、頑張れなくなってしまうときは、誰にでも来る。
高い目標を決める。
世界を変えてやりたいという野心を持つ。
超狭き門の難関を突破する夢を持つ。
夢を追いかけているせいで、今まで信頼してきた友人に突然裏切られたりもする。
上を目指せば目指すほど、敵は増える。 難関も増える。トラップも増える。どこぞの少年漫画と同じだ。
それでも上を目指したいと決意すれば、頑張るのがスジだろう。 周囲に公言している場合はなおさら、頑張らなければウソだと思う。 頑張らなきゃ、こんなところでへこたれている場合じゃない、と自分を叱咤激励して。
それでもやっぱり辛いこともある。もちろん。 だって、辛いもんは辛いんだもの。
どれだけ頑張っても終わりが見えなくて。遠すぎて。味方はどんどんいなくなっていく。でも敵は増えていく。自分一人で頑張らなくちゃいけなくなる。
まわりの人に心配かけまいとしてか、セルフブランディングのためか、いくら他人に弱味見せない、と思っても。 それでも辛いときはある。当たり前だ。
でもそれでいい。
これだけ辛いのは、頑張っている証拠だ。
これだけ悔しいのは、熱中している証拠だ。
辛い時期なくして、夢実現すべからず。
そうでも思っていなきゃ、誰も夢なんて叶えられやしない。
こんこん。
おそるおそる、扉をノックする。
がちゃり、覚悟を決めて取っ手をまわすとようやく、扉が少しだけ開く音がした。
さて。
どんなに辛くてもきつくても、他人に嫌われようとも。
自分と運命を、信じよう。
必ずいつか光が見える。
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