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毒親に育てられた私が、雨の日を好きな理由


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ちなみ(ライティング・ゼミGW特講)
 
 
「あ、雨だ……」
朝起きて、窓の外から聞こえるサーッという音を聞くと、私は嬉しくなる。
 
たいていの人は、雨が嫌いだ。
服が濡れる。靴が濡れる。髪が広がる。癖っ毛が目立つ。傘を差すのが面倒。
雨の日は、快適でないことの方が多い。
 
それでも私は、雨が好きだ。
理由は、私の母にある。
 
私の母は、いわゆる毒親だった。
子供を自分の支配下に置き、人生に悪影響を与える親。
毒親にもいくつか種類があるが、私の母は過干渉で言葉による圧力が大きかった。
 
母は完璧主義者で、こと娘の私に対しては完璧な娘であることを求めた。
小学校のつうしんぼは、オール◎(にじゅうまる)。俳句や読書感想文など、そのほかのコンクールでもたくさん賞をとっていた。
絵に描いたような優等生だった。
 
しかし、母の目にはそうは映らなかった。
テストで98点をとると、なぜ2点の問題ができなかったのかを徹底的に詰められた。「身体がだるいから学校を休みたい」と訴えたときは「ともちゃんはお父さんを亡くしてるのよ! あんたみたいななんにもない平和ボケしたやつが休む理由はない!」と友達の家族の不幸を引き合いに、熱があっても休ませてもらえなかった。
 
中学校に入ると、母の毒親ぶりはさらにエスカレートした。
それまで完璧を求めるがゆえの怒号だったのが、だんだんと私の人格を否定する言葉に変わっていった。
 
「あんたを見てると虫酸が走る」
そう言われてもピンとこなかったのは、すでに麻痺していたからかもしれない。でも不思議と、母のことは嫌いではなかった。母に認めてもらうにはどうしたらいいか、そればかり考えていた。
 
ある休日のこと。その日は塾の日だった。
実家が中心街から離れたところにあった私は、塾に通うのにも親の送り迎えが必要だった。日中に用事があった母は「夕方には迎えに来るから」と言い残し家を出た。
私は近所のショッピングモールで時間をつぶし、夕飯用にハンバーガーを2つ買って帰宅した。私の分と母の分。その日夕飯を食べる時間がないであろう母と、車の中で一緒に食べられるように。気の利く娘だと思われたかった。
 
予定の時間を少し過ぎて、母の車が到着した。
ハンバーガーを2つ抱えて、車に乗り込む。
 
「遅かったね。これ……」
そう言いかけた瞬間、何かが私の視界を遮った。
 
バンッ。
 
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
気づいたら、私は手で顔を覆っていた。
母の手が、私の顔面を直撃したのだ。
 
そのあと母が何を言っていたか、ほとんど記憶にない。ただ、家に向かう途中、車で事故りそうになった、という話をしていたのはなんとなく覚えている。
 
それまで散々暴言を浴びせられても、決して手を上げられることのなかった私は、思考が停止し現実を受け入れられなかった。
 
しかしそんな私をよそに、母の手は休む隙を与えない。
「なに顔隠してんの! もう痛くないでしょ!」
そう言って、無理やり手を下ろさせられた。
と同時にまた、母の手が顔面を直撃した。
 
母の命令に背いてまた手で顔を隠すと、今度は髪を引っ張られた。
助手席に座っていた私の体が、運転席に倒れこむ。
髪を引っ張られたまま、母の怒りのままに何度も顔を殴られた。
 
車の中は、逃げ場がない。
 
青信号になったところで、ふっと頭の上が軽くなった。
 
 
その日から私は、母が嫌いになった。
何事もなく平和に過ぎる毎日が嫌いになった。
ヘラヘラと笑っているクラスメイトが嫌いになった。
晴れの日が、嫌いになった。
だってみんな楽しそうだから。
 
そして雨の日が、好きになった。
雨が降ると、安心した。
ちょっと憂鬱そうにする人が増えるから。
髪型が決まらないって嘆く人が増えるから。
ベタベタして気持ち悪いってうんざりする人が増えるから。
私だけじゃないって思えるから。
 
……いや、本当はそれだけじゃない。
 
私が雨の日を好きな理由。
それは、雨が降るとどうしても思い出してしまうのだ。いつかの母の言葉を。
 
「雨が降ると、花が喜ぶ」
私が幼い頃、庭いじりが好きだった母が言っていた。
 
そう、雨は、母が好きだったのだ。
完璧主義で、暴言を浴びせ、顔面をぶち、私に精神的苦痛を負わせた母が、雨を好きだったのだ。
 
私は母が憎い。
違う人が母親だったらよかったのにと何度思ったことだろう。
しかし、花のことを思いながら言った母のあの言葉だけは嫌いになれない。
そして、憎しみが愛情の裏返しであることも知っている。
愛情の反対は、無関心だからだ。
 
親を嫌いになるって難しい。
どうしたって、無関心になれない。
それが血の繋がりであれなんであれ、「親」と聞いてなにかを感じずにはいられない。
 
私は、母が好きだ。
暴言を吐かれようがぶたれようが、母が好きだ。
雨の音を聞いて思い出すくらいに、母が好きだ。
雨を好きな、母が好きだ。
 
平成の終わりに、心地よい雨音を聴きながら思う。
ああ、私の心に抱えたこの闇も、平成と同時に終わりを迎えられるだろうか。
雨と一緒に洗い流せるだろうか。
 
そう思いながら、故郷にいる母のことを思い浮かべる。
雨が降る限り、私は母を、嫌いになれない。
 
 
 
 
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2019-05-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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