37歳でたった13万円握りしめて行った中国留学は500倍の価値があった
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記事:佐藤祥子(ライティング・ゼミGW特講)
「もうやることやり切った。何か新しいことしたいなー」
31歳で立ち上げた会社は、6年経っていた。
私は心理カウンセラーとして仕事をしながら、前職のマーケティングの知識を用い経営コンサルティングをしている。
開業から含めると独立してからは12年が経ち、できることはやり切った気持ちになっていた。業務内容も売上も先が読める。少し退屈していた。
そうだ! 全てを捨ててゼロからチャレンジしてみよう!
私は上海行きの飛行機に乗った。
13万円を握りしめて。
遡ること半年、出張で訪れた上海という街に私は魅了された。
喧嘩のような話し声と車とバイクの騒音。
湯気の立ちこめる飲食店。
街は熱気に包まれ、人々は興奮している。
人生にも仕事にも分かりきったような気持ちになっていた私にとって、何もかもが新鮮に見えた。
30代半ばを過ぎ、40までのカウントダウンが始まっていた。
何かするとしたら、今しかないのではないか。
今が一番若いのだから。
私の知らない何かがあるとしたら、知ってみたい。
久しぶりに気持ちが高揚した。
どうせなら長くいたい。出張や旅行では知ることができない世界を、人を、生活を見たかった。
一番簡単に長居する方法、それは「学生ビザ」取得。
そして、37歳の留学生となった。
13万円は、大学の入学と半年分の学費だった。
生活に必要なお金と住む場所は、友人の働く日系のお店で働かせてもらうことで賄うことができた。
出張で訪れていた時に行っていたきらびやかな街や外国人の行くお店に行くことはできない。
学食で1食50円の麺を食べ、ローカルな市場で野菜を買い自炊する。好きなお酒もたまにしか飲まない。お金がなくてトイレットペーパーを1巻だけ買ったこともあった。寒い季節になってきた時には、友人が着ない服をくれて過ごした。
これで1か月1万円で生活することができた。
後にも先にも、こんな極貧生活をしたことはない。
日本では社長であり妻でもあり、会社経営をしている家に育ちまあまあ裕福な方だったと思う。節約なぞとは無縁な生活を送っていた私が、やってみるとできるものだ。
私は“貧乏ハイ”になっていた。
中国で得た1つ目の教訓。
「お金はなくても人は生きていける」
学業にも専念した。
行く前には、「ニーハオ」と「シェイシェイ」しか知らなかった私が、中国語検定1級2級3級と取り進めた。
この国では、何でも交渉だ。
言葉が話せないとりんご一つ買えない。もちろん大金を叩けばどこでも買えるが、極貧生活のため、1個ずつ、数グラムずつの買い物が迫られていたために言葉が必要なのだ。
タクシーでは全く違う場所に連れて行かれる。
「ユーユェン」というところに行きたかったのに、「イーユェン」に連れて行かれて、大損したことがあった。
言葉が話せないと生活に困るのだ。
中国で得た2つ目の教訓。
「学びのための語学は身につかない、生活のためなら言葉は道具である」
中国では、少しでもスペースがあると、道端でも公園でも人の家の前でもシートを広げてすぐに物を売る。フルーツから家財道具まで何でも売るのだ。
空き物件が出ると、段ボールに店の名前か売っているものをマジックで書いて、即席の麺屋さんができたりしていた。中はまだ取り壊し中何てお構い無しである。
場所があれば商売が生まれるのだ。
日本では、事業計画を作り、資金調達をし、売るものをマーケティングし、人を教育し、順追うのが当たり前。
このスピード感に度肝を抜いた。
やってみてだめなら、麺屋さんがお茶屋さんになるだけだ。
中国で得た3つ目の教訓。
「商売は勢い。売れるものは何でも売れ」
私の留学していた上海交通大学は、中国のエリート大学だ。
朝も休み時間も放課後までも、廊下や学内の道端で、暇さえあれば教科書を開いている学生の姿があった。
ここで勉強できる学生ということはエリートの出身か、一家を背負って学んでいるかのどちらか。いずれもこの国で生きていくのに必死なのだ。
上海で開業している医師に話を聞いたことがある。
その人は、中国東北地方の朝鮮民族の村で生まれ、貧乏だったので村を出て町に出稼ぎに出た。ところが、村の出身者は就ける仕事が少なく、町で掃除の仕事をしていた。お金を貯めながら勉強をしていたところいい出会いがあり、学校に行くチャンスに恵まれたということだった。
医師は言った。
「努力してもどうにもならないことの方が多い。一生掃除をしていたかもしれない。そういう人はこの国にはたくさんいる。私はラッキーだった」
日本に生まれた私たちは、努力さえすれば、どんな勉強もでき、どんな職業にも就くことができる。どこに住んでもいいし、何をしたっていい。
選ぶ選択肢があり、選ぶ権利がある。
それなのに、私という人間は、勉強をサボり、仕事も辞め、家庭も平和なのに不平不満を言っていた。何と愚かなことだ。
日本に帰った私は、どんな仕事もいただけるものは喜んで引き受けることにした。
突貫工事でカフェを開いたり、家族に内緒で借金をして仕事を拡大したり、呼んでいただければ九州でも東北でもどこでも行った。
あれから5年経つ。
私はあの時握りしめていた13万円を500倍の価値に変えた。
そして今、42歳。
また新たなチャレンジをしようとしている。
人生分かりきったような気になっている時はチャレンジ時だ。
中国で得た4つ目の教訓。
「いつだってチャレンジできる、思い立った日が一番若い日だ」
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