メディアグランプリ

32年間、本を読まなかった私の部屋が、本だらけになった理由。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:坂元沙也可(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
32歳の秋まで、本を読まずに生きてきた。
記憶にあるものといえば、幼い頃に親戚のおじさんに、何度も読みきかせてもらった絵本『おやつがほーいどっさりほい』と、小学校で読書感想文を書くために、タイトルの響きだけで選んだ『タイコンデロガのいる海』の2冊ぐらい。
 
国語が苦手なわけでも、活字を読むのが苦手なわけでもなかったけれど、本を読むことに興味がなかった。求めていなかったのだと思う。読書家の父と、まったく本を読まない母。きっと私は、母に似たんだ。うん、血筋ならしょうがない。そんなふうに思っていた。
 
社会人になっても、本に興味を示すことはなかった。本屋へ行くのは、新しく担当することになったクライアントの業界について調べていて、ネットでは情報が不足していた時ぐらいだった。
 
37歳になった私は今、本に囲まれて暮らしている。
 
休みの日に時間があれば、どこかで古本市が開催されていないか調べて出向き、旦那さんがマラソンで地方の大会に出るときは、応援の待ち時間を計算し、地元の本屋を探して覗く。
36歳の誕生日には、会社帰りに中央線沿いにある古本屋の100円棚をはしごして、36冊買って帰った。
 
なぜ、こんなふうになったのか。
それは、自分なりに「読書の面白がり方」を見つけられたからだと思う。
 
私にとって、「本」は「めがね」だ。
 
「めがね」と言っても、双眼鏡や望遠鏡、顕微鏡なども含むので、きちんと定義するなら「視界を変化させるもの」だ。
 
私が読書にはまったきっかけは、ある本を再読したことがきっかけだった。
その本は、私にとって「乱視用めがね」だ。
 
32歳頃、仕事で悩んでいた。
初めて人に教える立場になったのだ。小規模の会社にしか属したことがなく、自分の下に人がつくことがなかった私は、いざ教えるとなって、これまで自分が自己流でやってきたやり方が正しいのか、間違いではないにせよ、自分が知らないだけで、もっとよい方法があるのではないかなど、不安や迷いが生まれた。
 
自信がなくなったことで、これまで何も感じなかった物事についても、「これで正しいかな」「そもそもこれは必要かな」と考える癖がついた。
すると、クライアントからの依頼にも、疑問が生まれてきた。例えばウェブサイト制作の依頼があったとして、なぜつくりたいのかと理由を尋ねてみても、挙げた課題と解決のための施策に、ズレを感じるのだ。けれど、私のもとに届くまでに、あれやこれやと話し合った末に出てきたであろう要望に、コンサルタントでもないのに「優先順位違ってませんか?」「他の選択肢もありますよ」などと言ってもいいものか。
「デザイナーの仕事の範囲って、どこまでなんだろう」
「そもそも、範囲なんて決められないんじゃないか? これ」
 
その答えのようなものが見えたのが、読書の引き金となった『デザイン思考が世界を変える』という本の再読だった。
疑問をいだきながら仕事をしていたある日、ふと、自分の部屋に置いてあった1冊の本に目が留まった。
それは、数年前に弟が「あねき、これ読んだらいいよ」と言って、くれたものだった。
タイトルを読んで「胡散くさ……」と思ったことをよく覚えている。
せっかくもらったし……と中身を読むも、その当時は何も感じなかった。
何も感じなかったというのは正しい表現ではないかもしれない。初めて読んだときに何を思ったか、それすら全く記憶に残っていなかったのだから。
 
ところが、二度目に読んだその本の中には、私の疑問の答えにつながる言葉が、あちらこちらに並んでいた。共感、納得、発見、図星……。
一気に読み終えて、今度は気になるところに線を引きながら、また読む。同じ本を同じ人が読んでいるのに、自身が求めているか否かで、こんなにも違って見えるとは。
ぶれて見えていた視界のピントが、合っていくような感覚があった。
 
それからは、貪るように本を読んだ。
本屋に行って、目についた本をかたっぱしから買って読む。
 
当たり前だが、本には様々な種類がある。
普段見逃しがちな、身近にある物事について新たな気づきをもらえる本。
遠く離れた国のことが、手に取るようにわかる本。
書いた人の、私的で偏った意見を愉しむ本に、肉眼では見えない世界を教えてくれる本。
 
本を読み漁る中で、ある時気付いたのが、「本」と「めがね」は似ている、ということだった。
本を通すと、視界が変わるような感覚があるからだ。
 
身近な事柄にも目が向くようになる=「遠視用めがね」
はるか遠くのことが手に取るようにわかる=「望遠鏡」
私的で偏った意見を愉しむ=「色めがね」
肉眼では見えないものを知る=「顕微鏡」
 
私は、ガチャ目だが視力はさほど悪くなく、めがねをかけていないのだが、「今日はどのめがねを掛けようか」。そんな感覚で、毎日カバンに入れる本を選んでいる。
 
数年前に一度、増えすぎた本をどうにかしなければと、西荻窪で開催された「一箱古本市」に出店したことがある。
屋号は「古本めがねや」。
 
同じスペースに出店していた人たちに「あれ、めがね掛けてないんですね。なんで、めがねや?」と聞かれ、「(しめしめ)それはですね〜……」と、この話をしたことを、今でもよく覚えている。

 
 
 
 

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2019-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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