【承認欲求】もしもいま自分が死んだら、何人の人が自分のために泣いてくれるだろうか《川代ノート》
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私はぼんやりと、自分が死んだあとのことを想像する。
たとえば今、私が不慮の事故か突発性の病気か何かで死んでしまったとして、何人の人が私のために集まってくれるだろうかと想像する。何人の人が、私のために、貴重な時間を割いて黒い服を着てやってきて、香典を上げてくれるだろうか。いったい何人の人が、私を惜しんで泣いてくれるだろうか。もっと私と話したかったと、私との思い出がいくつも浮かんでくると言って、別れの言葉を言ってくれるだろうか。私の遺影のまわりには、いくつの花が添えられるのだろうか。
私が今大切に思う人々は、私が死んだことを、どれくらい惜しんでくれるのだろう。
そして私はぼんやりと、さらにふかく想像する。自分の大切な人が死んだあとのことを。
母が死んだら。父が死んだら。祖父母が死んだら。恩師が死んだら。恋人が死んだら。親友が死んだら、どう思うだろうか。
親しい人は数少ない。心から信頼出来る友人も片手で足りるくらいしかいない。そんな彼らがもし死んでしまったとしたら、私は大きな痛手を負うだろう。誰にも止められないくらいに、みっともなく、赤子のように泣き腫らすだろう。
そのときのことを私はなるべく、具体的に、鮮明に、色がついて見えるくらいに、立体的に想像する。
そして、強く思う。もっと彼らのことを大切にしなければならないと。人がいつ死ぬかなんてわからない。気がついたときには死んでいたなんてことになったら遅いのだ。
忘れっぽく、自分勝手な私は、そうやってときどき、できるだけリアルに「死」を想像しないことには、まわりの人たちを大切にすることができない。愛情をきちんと向けることができない。行動に起こせない。いざいなくなってしまったら、バカみたいに、「ああしておけばよかった」と後悔するくせに。
だからまるで自分への戒めみたいに、私は死を想像する。
でも、彼らが死んだときのことを想像したあと、決まってこうも考える。
私が信頼している人たちは、みんなとても魅力的な人間だ。情熱的で、芯を持っていて、愛情深くて。私と同じように、多くの人が彼らの魅力に吸い寄せられるように集まる。私は彼らのことが好きだ。いなくなられたら困るし、私のそばにいて欲しいと思う。きっと多くの人が、彼らに対してそう思うだろう。
でも私はきっと、彼らの葬式で、彼らを惜しんでたくさんの人が泣く光景を目にしたら、こう思うだろう。
もし、自分が死んだら、こんなに多くの人が、自分のために泣いてくれるだろうか──と。
子供の頃からどうしてか、みんなに好かれる人のことが苦手だ。
なにもしていないのに、気が付いたらいつも多くの人に囲まれている人間というのが、この世にはたしかに存在する。とくに自分から大きなアクションをとるでもなく、とくべつ面白いでもなく、とくべつ秀でた派手な特徴や能力があるわけでもない。でも勝手にまわりにどんどん人が集まってくる。いつも気が付いたら、たくさんの人の輪のなかにいる。そんな人間。
私の母は、まさにそういうタイプの人間だった。芸能人並みに美人というわけでも、話をするのがうまいわけでも、スポーツがものすごくできるわけでもなかった。でも私が母と公園に行くと、母はいつもたくさんの子供に囲まれた。私がひとりで砂の城を作るのに夢中になっているあいだに、母は他の子供たちの輪のなかにいた。私のおかあさんなのに、と幼心に、嫉妬したのを覚えている。
母は、お笑い芸人のようにすべらない話ができるわけではなかったが、リアクションがとても大きかった。実子の私に対してはもちろん、子供がしたことに対して真剣に向き合い、そしてたくさん笑っていた。私が自転車に乗れるようになっては大喜びし、オセロで勝負をしては真剣に負けを悔しがった。ころころ変わる母の表情を私も、初対面の子供たちも面白がった。
母は子供だけでなく、大人からも好かれた。もちろん好き嫌いは多少あるものの、母自身が居心地がいい、と感じたコミュニティでは、母は人を惹きつけることができた。以前の職場でもみんなからいじられ、面白がられるキャラクターだった。母は転職するときにも多くの人に惜しまれていたし、いくつものプレゼントをもらっていた。なくてはならない存在だった。
「川代さんは面白い」とよく言われるが、どうしてだろう、と母は不思議がっていたけれど、私には母がみんなからいじられ、愛されているのも、わかるような気がした。実子である私が一番よくわかっていた、と言ってもいいのかもしれない。母は愛されるべき人間であり、人の輪のなかにいるべき人間だったのだ。
そんな母を見て育ったからかもしれない、私は物心付いた頃から、「人気者」にとても強い憧れを抱いていた。
でも私は人気者と呼ばれるには到底及ばないような「キャラクター」だった。
真面目で、臆病者で、とても校則をやぶることなんてできないような子供だった。小学生の頃は本ばかり読み、勉強もちゃんとしていたから、いつも難なくいい成績がとれていた。模範生徒として先生からみんなの前で褒められることも多々あった。
川代さんはさっき、ちゃんと目上の方に大きな声で挨拶できましたね、えらいですね。みんなも川代さんを見習いましょう。
みんなの前で褒められるというのは、正直言って鼻高々ではあったが、みんなの面倒くさそうな「はあい」という返事のなかに、軽蔑の色がにじんでいたのを、当時の私は気がついていなかった。
たったひとりでも、「正しい行い」をする生徒が褒められるという行為によって、大人の求めるレベルが上がる。子供が「正しい行い」をしなければならない理由ができてしまう。大人に褒められるためによい行いをしなければ、という空気が流れる環境で過ごすと、子供は少しずつ歪んでいく。自分の意思よりも大人の顔色を優先して行動するようになる。
そうして気がつけば、私は「優等生」というカテゴリーから出ることができなくなっていた。キャラクターというのは、一度みんなから決められてしまうと、よっぽどの衝撃的な事件がないかぎりは変更が許されない。昨日までいじりキャラだったやつが、いきなり明日からいじられキャラになりたいですと言ってもそれは無理なのだ。ゲームみたいにボタン一つでキャラを変えるなんてできない。
私はいつも先生から褒められた。褒められるためによい行いをしようとつとめた。私はますます「優等生の川代さん」になった。私を「さきちゃん」とか「さき」とか、名前で呼ぶ人はひとりもいなかった。私は「川代さん」以外の何者にもなれなかった。
徐々にクラスのみんなは、大人に模範生徒として褒められるための行動をしなくなっていた。私がいたからだ。私がとくべつ優等生でいて、とくべつ模範生徒でいれば、みんながみんなよい行いをする必要はない。私ひとりがクラス代表としてよい行いをしていれば、それですむのだと、優等生を私ひとりに押し付けたほうが楽だと、みんなが気がついたのだ。みんなは、大人に褒められようとするのをやめた。
でも私は、いくら褒められても、なんとも思わなくなっていた。一時的に褒めてもらえたからなんだというのだ。いくらいい行いをしたからって、みんなの仲間に入れるわけでもない。面白がってもらえるわけでもない。
大人は優等生の私をいい子だと褒めた。えらいと言って頭をなでた。でも私は、先生が模範生徒の私よりも、勉強ができなくてふざけてばかりの「問題児」の方が、ずっと好きなのを知っていた。いくら「よい行い」をしても、「正しいこと」をしても、私を好きになってくれるわけじゃない。
「好き」と「正しい」は違うのだ。
私は、クラスの中心にいる「人気者」たちが羨ましかった。私も「人気者」のカテゴリーのなかに入りたかった。でもどうやったら入れるかなんてわからなかった。勉強すれば合格できる試験もなかった。人間関係やコミュニケーションには、過去問もなければ、必勝法もなかった。でも私はどうしても人気者になりたかった。「人気者」の立場から見える景色を、一度でいいから見てみたかった。
どうしたら人気者になれるだろうかと必死に考えた。キャンディキャンディみたいな、みんなに好かれる人間になるにはどうしたらいいだろうと考えた。キャンディの考え方やものの見方の真似をした。クラスにいる人気者の子がどんな性格なのかを研究した。いろんな人気者の共通点を探そうとした。でもこれという決定的な共通点なんて見つからなかった。明るくて、みんなとよく話して、優しくて。それくらい。おとなしくてあまり話さなくても人がよってくる人もいるし、ぶっきらぼうに見えてもクラスの中心に居場所をちゃんと作っている人もいた。よくわからなかった。
でも悩んでいても仕方がないから、その人気者の真似をした。みんなから囲まれて、愛されて、好かれている人間がやっていそうな仕草や行動や、言葉遣いを真似た。
「最近変わったね」と誰かが言った。「明るくなった」と。「アクティブになった」と。
ああ自分は変われているんだと、確実に成長できているんだと、私は安心した。私の変化をまわりのみんなも感じ取ってくれているのだと思った。自分が人気者になれる日も近いと思った。
でも私のまわりには、人の輪はできなかった。
いつも、私の隣にいる誰かのところに、輪ができた。私はあくまで、その輪をつくる人間の一人にしかなれなかった。
どう頑張っても、どんな努力をしても、いくら人気者の真似をしても、私のまわりに、人は集まってこなかった。
正直に、私には友達が少ないのだと、自分のまわりには人があまり集まらないのだと、母に吐露した。でも母みたいになりたいとは言えなかった。どこか、何かが、嫉妬していた。母に対してすらも。
そうやって悩む私に母はこう言った。
そんなにたくさんの人に囲まれなくてもいいじゃない、と。自分が大切にしたいと思う人が数人そばにいてくれれば、それでいいじゃない。人気者になる必要が、どこにあるの、と。
たしかにそのとおりだと私は思った。別にみんなに好かれたところで、自分にその全員を平等に大切にできるエネルギーも甲斐性もないことくらい、わかっていた。
私にはよく遊ぶ友人が何人かいる。気も合うし、楽しい。そういう人たちに、愛情を向ければそれでいいのかもしれない。広く浅くよりも、狭く深く、の方がずっといい。そもそも、今いる友人を大切にせずに、もっと愛されたいと求めることこそが、贅沢すぎる悩みだ。今のままで十分幸せだと、どうして満足できないのか。
母の言うことはもっともだったし、母も実際にそういう信念を持って人と接しているのがわかった。
でも頭では納得していても、私は心のなかではこうも思っていた。
お母さんはいつも人に囲まれているからそう思うんだよ、と。
母は、自分のまわりに人が集まってこないという苦しみを知らないのだと思った。
自覚がないのだ。そして、「人に囲まれたい」だの、「人気者になりたい」だのという悩みも、母にはなかった。母には承認欲求なんてものは存在しなかった。
そして人に好かれることに執着しない人間だからこそ、母のまわりには人の輪ができるのだということも、私は痛いほどよくわかっていた。母は何かをしてもらうことよりも、人のために何ができるかということしか考えていない。愛されることよりも、いかに愛するかということに尽力していた。そういう母のところに、みんなが愛を求めて集まるのは当然だと思った。無条件で、自分を受け入れてくれる。愛してくれる。自分はここにいてもいいと、安心させてくれる。愛を持った人と一緒にいるのは、楽しいのだ。自分の敵じゃないと思える人のそばにいるのは、楽なのだ。
私みたいに、どうしたら人に認めてもらえるかとか、そういうことばかり気にしているような人間のところに、人はよってこないのだ。シンプルなことだ。人に好かれたいなら、人を好きになればいい。自分が人に愛情をこめて接すればいい。
でも私にはそれができなかった。
なぜなら、私は自分が一番かわいかったからだ。自分が一番大切で、自分に愛情を注ぐのに必死で、人に愛情を向ける余裕なんて、なかった。
私はとてもずるい人間だった。
でもやっぱり誰かに愛されたかった。
みんなに愛されたかった。
***
大人になっても、人を求める衝動は、変わらなかった。
むしろ、大学受験や、就職活動を経たぶん、私の承認欲求は増していた。私はもっと人に愛されたいと思うようになり、もっと人気者になりたいと思うようになった。
でも人気者になりたいという感情を露骨に出すのはためらわれた。人の顔色をうかがってばかりの人間のまわりに人はよってこないと、それまでの経験からわかっていたからだ。
だから別に多くの人に好かれようとは思っていないという風を装った。自分を好きでいてくれる人だけ大切にすればいいんだと思い込もうとした。
でもみんなから愛されたいという感情は、なかなか簡単に払拭できるものではない。結局はそういう私の心の奥底にある欲求が顔に出てしまって、やっぱり人はよってこなかった。
就職活動はそんな私のコンプレックスを残酷に刺激した。ほとんどの面接官は、私をつまらなそうな目で見た。きっと私なんかありふれていて、一緒に働きたいなんて思ってもらえていないんだろうと思った。自己アピールをするたびに、私は嘘をついているような気がした。どこかまったく別の人間の話をしているような、知らない誰かが私の口をつかってしゃべっているような。
集団面接などは一番嫌いだった。自分の隣の人が面接官を笑わせたり、食いつかせていたりすると、ひどく焦った。みんなが隣のこの子に興味を持っている。私も何か面白いことを言わなきゃ、と。
隣の人が失敗することを願った。頼むから、面接官を喜ばせないで。楽しませないで。面白いことを言わないで。つまらない答えばかり言って。
そしてもちろん、そうやってネガティブな気持ちで受けた面接は落ちた。
いやな汗が背中を流れて、私は気持ちが悪くなった。同じ真っ黒の同じ形のスーツを来ているはずなのに、どうしてこうも違うんだろう。どうして私は人から好かれないんだろう。
好かれたかった。みんなに好かれたかった。その「みんな」が誰をさしているかなんてわからなかったけれど、とにかく、好かれたいと思った。
いくら、たくさんの人に好かれる必要はないと言われようと、数人の友人を大切にすればいいと言われようと、無理だった。わかっている。そんなこと、頭ではわかっている。
でも好かれたいんだ。自分でも馬鹿みたいだと思う。こんなことばかり考える自分を気持ちが悪いと思う。嫌いだと思う。でも仕方ない。だって、経験したことがないから。みんなに愛されたことがないから。一度くらい、それを望むことの、何が悪いというのだろう。
ほしかった。人に好かれるという才能がほしかった。
でもやっぱり、私のまわりに人の輪ができることはなかった。
***
文章を書くという手段を手に入れたとき、私は救われたと思った。
それまで自分に特筆すべき才能もないうえに、人に好かれることもないつまらない人間だと思っていた。
その不安な気持ちや悩みを正直に文章にして整理すると、気持ちが落ち着いた。それをブログに書いた。はじめはもちろん怖かった。自分の思いが人に受け入れてもらえる保証もなかったし、不特定多数の人が見るネット上に自分の思いを吐露するなど、ひどく勇気のいることだった。
でも素直に書いた私のコンプレックスに、共感してくれる人がいた。
わかる、わかる、自分もそうだと言ってくれる人がいた。
私の文章を好きだと、もっと読みたいと、言ってくれる人がいた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
私はもうこれだけで、十分かもしれないと思った。
私は好かれなくても、私のまわりに人の輪はできなくても、私の文章なら、人が好いてくれる可能性がある。
愛されるのは、人気者になるのは、もう諦めよう。自分のまわりに人がいなくても生きていく決心をしよう。そばにいてくれている人を、精一杯、大切にしよう。
私は愛されなくてもいい。私は、人の中心にいなくてもいい。部屋のはじっこにいるような、誰からも気がつかれない存在でもいい。
でも、せめて、せめて私の文章だけは、文章くらいは、人に愛されるものであってほしい。そうこだわってもいいんじゃないか。私の文章が人に愛される存在でありたいと思うのは、いけないことだろうか。
それは不純な芸術だと人は言うだろうか。芸術ですらないと言うだろうか。そんなものは文章とは呼ばないし、作品とも呼べないと言うだろうか。
言うかもしれない。人に好かれたくて書く文章なんて、汚いと言われるかもしれない。そんなもの認めないと言われるかもしれない。
でもどうしようもないんだ。だって自分には、愛される才能もなければ、他人を自分自身よりも愛せる余裕もない。もちろんいつかは人を愛せるような人になりたい。でも今はまだ、私は承認欲求の奴隷から解放されることはないだろう。
人に愛されないというのは、好かれないというのは、さびしい。まわりに人が集まってこない自分は、さびしい。
私は、自分がここにいてもいい証明がほしいのだ。安心したいのだ。私という存在が生きていてもいい証を、何かで記したいのだ。
もしかしたら、世の芸術家たちだって、作家たちだって、そう思って作品を残しているのかもしれない。アーティストだけじゃない。ビジネスを起こす人だって、政治家だって、スポーツ選手だって、普通のサラリーマンだって、そうだ。
愛されたい、必要とされたいという想いをなにかで表現したいから、誰かに受け入れてほしいから、がんばって仕事で成果をあげようとしたり、何かの作品をつくったりするんじゃないのか?
愛される才能を持っている人は少ない。でも努力で手に入れられるようなものでもない。だから、何のかたちでもいいから、とにかく自分のなかから生まれた「何か」を代わりにつくるために、それが愛されるものになるように、頑張ろうと思うんじゃないんだろうか。
つくることのモチベーションというのは本来、そういうことなんじゃないかと思う。
偉大な芸術家や作家と同じ土俵でものごとを考えるなんて厚かましいとも思うのだけれど、「つくりたい」という根本的な気持ちや、衝動は、有名も無名も、社会的地位があるもないも関係ないような気がして──というか、そう、思いたくて。もしかすると、天才には天才なりの「つくりたい」の理由があるのかもしれないけれど、どんな人だって、根本は一緒なんだと思い込むことは、私を元気付けてくれるから、私はそう信じることにしている。
何かをつくる人は、数少ない、愛される才能を持った人になれないかわりに、愛される何かをつくりたいと、生み出したいと、そう思うのだと思う。
人に好かれたくて書く文章なんて邪道だと、そう言われようが、なんだ。好かれたくて書く文章なんて芸術ではないと言われるなら、私の文章が誰にも芸術として認められなくても、私は構わない。
そんなものは知らない。私は嘘をつかない。正直な気持ちを、文章を書く。
人に愛されたいというのが、私の正直な気持ちだ。なら、そう思う自分を受け入れて、自分のかわりに、少しでも遠くまでこの文章が届くように、祈るしか、ないんじゃないのか。
それが私の生き方で、いいんじゃないのか。
そう思うことでようやく私は、川代紗生という人間じたいが人気者になることを、あきらめる決心ができるような気がする。
もしも今、こうして苦しんでいることを文章にあらわしているから、私の文章を読んでもらえるのだとしたら、私は、自分の悩みなんて一生解決できなくていいと思うくらい、もしかすると、書くことに没頭しているのかもしれない。
案外、それくらいの覚悟で、文章を書いているのかもしれない。
***
私はぼんやりと、自分が死んだあとのことを想像する。
不慮の事故でも、突発的な病気でもなく、寿命が尽きて、死んだときのことを想像する。
きっとその頃には私の母も父も、祖父母も、恩師も亡くなっていることだろう。もしかすると、私の将来夫となる人も、親友もすでにいなくなっているかもしれない。
私の葬式にはきっと、私の子供と、数人の親戚がくるくらいで、静かに執り行われるだろう。
きっと花も少なくて、遺影も小さくて、自宅で静かにはじまって、静かに終わるだろう。
みっともなく、子供みたいに泣く人もいないかもしれない。うるさいバアさんがようやく死んだか、と思う人もいるかもしれない。
葬式なんてまるでなかったみたいに、みんなどんちゃん騒ぎして寿司を食べたり、飲んだりして、すぐに私のことなんか忘れてしまうかもしれない。
でも、とそのうちの誰かが言って。
でもあいつの書く文章って、ちょっと面白かったよな。
そうだね、あのバアさんじたいは好きになれなかったけど、文章は、結構好きだったな。
なんて、そんな風に誰かが言ってくれるなら、私は、私自身のことは、いくらでも、忘れられていい。
だけどふいに、私の文章が、押入れの中からほこりをかぶって出てきて。
古いけど、案外好きだな、これ。
そんな風にときどき、私の文章が誰かに読んでもらえるような。
いつか私のことも何も知らない、ずっと遠くの誰かが、偶然に私の書いた文章を読んで、これ好きだなあ、と思ってもらえるなら──。
だめだ。
全然だめだ。こんなの。
嘘だ。詭弁だ。欺瞞だ。
だめだ、そんなにかっこいいことは書けない。私はまだ、どうしても、川代紗生という人間が忘れられてもいいなんて本気で思えない。
忘れられたくない。忘れられたくないよ。
やっぱり私は、みんなから惜しまれるような人生を歩みたい。
「紗生がいてくれてよかった」って、そう言ってもらえるような、私が死んだときに、そこまで大勢の人じゃなくても、たくさんの人が、親しかった人たちや家族が、悲しい悲しいと、立ち直れないと思って泣いてくれるような人生をおくりたい。
あなたがこの世に生まれてきてくれてよかったと、あなたのおかげで私は救われたと、そう思ってもらえるような。
私が死んでも、せめて私の文章が残っていてよかったと、そう言ってもらえるような、素敵な、愛情のある人になりたい。自分だけじゃなく、人に愛情を注げる人になりたい。それでいて、私の文章も、私が死んだあともずっと、読まれ続けて欲しい。
矛盾しているのも、考えすぎてぐちゃぐちゃなのも、欲張り過ぎているのも、わかっている。自分勝手で、ずるい。
でも仕方ないんだ。私はみんなからたくさん愛されたくて、私の文章もたくさん愛して欲しい、そういう人間だから。今はまだ、がむしゃらに必死に生きている今はまだ、欲張りでも、バチは当たらないと思う。
今際のきわに、とても幸せだったと、面白い人にたくさん会えて、大切にしてもらってよかったと。
川代紗生として生まれてきて本当によかったと、そう思いながら生きて、そして死んでいきたい。
生きるという字の入ったこの名に、恥じないように。
ああ、やっぱり私はまだまだ、あきらめが悪いみたいだ。
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