チーム天狼院

もしも私が巨乳だったのなら、早稲田大学に入ることはなかっただろう。《川代ノート》


スタッフの川代です。

突然ですが、今日はひとつ、告白したいことがあります。恥を忍んで、言わせていただきたいと思います。
私は、貧乳です。まごうことなき貧乳です。具体的なカップ数を言うのは避けますが、まあ、お察しくださいとでも言えば、だいたいわかっていただけるでしょうか。
なぜ突然、このようなことを告白したくなったのかはわかりません。でも突然、言いたくなってしまったのです。まるで神のお告げのように、「あ、私は貧乳であるということを告白するべきだ」と、言葉がきらりと降り注いできたのです。貧乳であるという事実をオープンにすることによって、おそらく私の運命は変わるだろうと思うのです。きっと今日この日が、私の人生を大きく左右するであろうことは、想像にかたくありません。

「ああそうだ、貧乳だと言わねばならない」とふと思い立ったのは、昨日の夜のことでした。天狼院裏フォト部というイベントを昨夜、福岡天狼院で開催していたときのことです。そのとき私は、同僚であるスタッフ永井の乳首を凝視していました。とても綺麗でした。裏フォト部とは、女性のセクシーを追求する女性限定のイベントです。女性が女性を撮りあい、自分の売りパーツを研究したり、色っぽく見える仕草を試したり、体にフィットする色っぽい衣装を着たり、それが最高に盛り上がると、裸になったりします。そのときも、例外ではなく、真夜中を過ぎた頃、より美しい作品づくりのため、そしてセクシーを追求するため、永井は何も身に纏わずに、布団の上に寝転がっていました。そして彼女の体の上にはトランプが置かれていました。そうです、私たちは女体の上で神経衰弱をしていたのです。それはそれは魅惑的な光景でした。パシャ、パシャ、というカメラの音が、福岡天狼院のなかに響いていました。
光栄にも私は彼女の乳首を隠す役割を与えられたため、おのずから美しい女性の乳房を小一時間ほど凝視し続けることになりました。私は震える手を押さえながら、ハートのエースで彼女の乳首を隠していました。あんなに長時間誰かの乳首を眺めていたのは初めてだったと思います。それにしても綺麗な胸だなと私は感心しました。
本人の許可を得ることができたので言いますが、彼女は巨乳です。女性から見てもきれいで豊かな胸を持っています。きっとこの胸が私についていれば、私の人生は違っただろうと私は思いました。いいなあ、と単純に思いました。でも、それだけでした。

そうです、それだけだったのです。驚くべきことはそこなのです。私は「いいな」としか思わなかったんです。それ以上は何も思わなかったのです。その「いいな」は本当に軽い「いいな」でした。1日に30回くらい思いつく「いいな」のうちの一つにすぎませんでした。それはたとえば、友達とご飯を食べに行って、自分が頼んだカレーライスよりも友達に一口もらったハヤシライスの方がおいしかったときの「いいな、そっちにすればよかった」くらいの、本当にそれくらいの「いいな」でした。一度口にしてしまえば簡単に忘れる程度の「いいな」だったんです。私は驚きました。そしてそのときに気がつきました。ああ、私はそれほど貧乳であることにコンプレックスを抱いていないんだ、と。

これまでの24年間の人生で、私は常に「私って貧乳だから」と言い続けてきました。小学校高学年くらいの頃から、周りの友達がみんなスポーツブラをつけ始める頃になっても、私はブラを付ける必要性をまるで感じませんでした。中学生になり、周りの子達の胸がどんどん膨らんでいくのを見て、いつになったら私の胸もああなるのかしらと想像の中の自分の胸を膨らませていました。けれど高校に入った頃には、身長や足の大きさと同じように、「おっぱい」というものにも成長差があるのだという現実を突きつけられました。大学に入っても同じことでした。必死で受験勉強をして、やっとの思いで入った憧れの早稲田大学では、巨乳か貧乳かで大きな格差がありました。胸があるかないかで女としての価値はここまで変わるのかと絶望しました。私は傷つきました。どうしてみんなが持っている武器を私は手に入れられないのか。どうして私にだけそれが装備されていないのか。そして私は必死になって、銭湯に行くたびに、修学旅行に行くたびに、チラチラと横目で自分よりも胸が小さい女性を探しました。でもなかなか見つかりませんでした。なんてことだ、と思いました。悲劇だと思いました。私の人生のありとあらゆる出来事は貧乳によって生み出されているのではないかと思いました。
私はもともとコンプレックスだらけの人間です。足はししゃも足で短く、大きなほくろがあります。きつい目つきをしているので、いつもメイクで頑張って大きく見せています。中身も同じです。人のことを思いやれない、どんくさい、不器用、癇癪持ち。もっとこうなったらいいのに、もっとああなればいいのにということを毎日のように考えているような人間なのです。そんな数々のコンプレックスのなかでも、貧乳というのはトップに君臨するコンプレックスだと思っていました。コンプレックス代表であり、これが解消されれば私はどれだけの恩恵を受けていたのだろうと思います。そういうものなのです。そういうものだったのです。私にとって、貧乳、とは。

だからこそ、目の前の美しい巨乳を前にして、私は驚きました。なぜだ、と思いました。

なぜ、私は、この巨乳に、嫉妬していない?

以前ならば、私は猛烈にその胸に嫉妬していたはずでした。これがほしいと思い、スタッフ永井にものすごい対抗心を燃やしていたはずでした。たとえば胸では負けているから、他の部分で自分が勝っているところを探すとか、永井の欠点を探そうとするとか、そういういじわるな女の本性を剥き出しにしていたはずなのです。
なのに、私は、それを前にしても、何の感情も湧いてきませんでした。ただ、「あ、いいなー」と思っただけでした。それだけでした。
裏フォト部が終わったあと、私は自分の胸を触ってみました。相変わらずでした。胸はない。誰がどう見ても「貧乳」と判断するような胸です。でも私は、それが嫌だとは思わなかったんです。コンプレックスのはずなのに。嫌だったはずなのに。何なら、シリコンかヒアルロン酸を入れたいくらいに思っていたはずなのに。あれほど憎むべき存在だったはずなのに。
そのときふと思いました。「ありのままの自分を認める」というのは、もしかしたらこういうことなのかもしれない、と。
「アナ雪」や「嫌われる勇気」が流行って以来、「ありのままを受け入れる」とか「自分を認める」とか「自己肯定」とかいう言葉をよく聞くようになりました。でも私はそれを何度聞いてもいまいちピンときませんでした。そんなんできねえよ、と思いました。いや、無理だろ。ありのままとか受け入れられないし、自分の嫌なところだらけだし、私の中から承認欲求をなくすとか、無理! と、心の底から思っていました。
でも、私はこの胸がなければ、今の私ではなかっただろうと思うと、ああ貧乳で良かったと、本当にそう思ったんです。
たとえば私はおそらく、貧乳でなければ早稲田大学には入学していなかっただろうと思います。私は高校生の頃からそれはもう負けず嫌いで、巨乳の友達に嫉妬ばかりしていました。私は自分のことが嫌いでした。自分を変えたいと思いました。だからこそ必死になって大学受験をして、それで早稲田に入ったのです。もしも私が巨乳だったら、もっと高校生の頃からもてていて、そして、周りの友達からも可愛い子扱いをされていたかもしれない。そうなったら、可愛い子が多いと評判の立教や青学に入っていたかもしれないんです。そして可愛い子に囲まれた大学生活を送り、OLになっていたかもしれない。もしかしたら、一生文章を書くなんてことはなかったかもしれないんです。
そう思うと、私はやっぱり、自分が貧乳であるということはすべてにつながっていたんじゃないかと思いました。私は貧乳であるがゆえに、コンプレックスだらけの青春時代を送り、そのときの情熱を今こうして文章にこめているのかもしれません。
もしも巨乳ならばもう少し違う道を歩んでいたかもしれない。もしかしたらやっぱり、巨乳の方が幸せだったのかもしれない。「こうだったら」という仮想の未来はわからないけれど、でも、もしかすると、「ありのまま」というのは、自分のダメなところや嫌いなところを受け入れたり好きになったりすることではなく、そのコンプレックスが今の自分につながっている事実に気がつくことなのかもしれないと、そしてそのつながりを「まあまあ、及第点」と言えるようになることなのかもしれないと思いました。どんなところにも原因があり、結果がある。それはどんなときも変わりません。でも「今」の自分が好きな自分の「長所」は、もしかしたら、「過去」の自分の「短所」があったからこそ生まれたものなのかもしれない。消したくて消したくてたまらないような過ちや、恥ずかしい黒歴史や、自分のコンプレックスがなければ、今手にしている刺激や、面白い体験や、出会いは、なかったかもしれない。わからないけれど、そう考えると、なんだか、全ての元凶であるかのように感じていた貧乳が、とてつもなく素晴らしいもののように思えてきたんです。

私は自分の体に自信は微塵もありません。ここまで言っておきながら、もし今神様が現れて「突然変異で巨乳になる魔法をかけてあげる」と言ってきたら、私は迷うことなく「ぜひ、かけてください!」と懇願するだろうと思います。でも、私は貧乳であるがゆえに生まれた、私の粘り強さを、負けず嫌いなところを、気に入っています。貧乳のコンプレックスがあったからこそ合格できた、早稲田大学での4年間を気に入っています。そして、今、こうして天狼院書店で働けていて、そして、貧乳であるということをコンテンツにして文章を書けているという事実が、とてつもなく面白いと思っています。

今日も、私の胸は軽いです。走っても揺れることもなく、胸のせいで肩がこることもなく、よく女子が言う「生理前に胸が張る」というあの感覚を体験したこともありません。でもいいんです。私は私です。私の胸は私の胸です。たとえまたこの貧乳のせいで苦労したとしても、そのときはそのときです。また別の方法を考えればいいんです。

だからこそ、私は告白したいと思います。私は貧乳であると。大きな声で。こんなところで。公衆の面前で。

私は、貧乳です。まごうことなき貧乳です。

何も恥ずかしいことはありません。何度でも言いましょう。それは私は巨乳であると自慢することと、何らかわりありません。

私が持つこの小さな胸に、数えきれないほどの可能性が秘められていることを、私はもう、知っているから。

***

毎回大人気「裏フォト部」、次回の予定はこちら! 参加ご希望の方は下記申し込みページから決済、または下記お問い合わせフォームからご予約ください(件名に「裏フォト部 参加地」を入れていただけるとありがたいです)。

*3月17日:京都天狼院

*3月24日:東京天狼院

*4月14日:福岡天狼院(予定)

 

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