あなたは、今この瞬間にも取り返しのつかないことをしてしまっているということを、自覚していますか?バタフライ・エフェクトについて考える【風が吹くと本屋が儲かる・川代バージョン】
「風が吹くと桶屋が儲かる」とは、日本のことわざで、ある事象の発生により、一見すると全く関係がないと思われる場所・物事に影響が及ぶことの喩えである。(ウィキペディアより)
こんにちは、天狼院スタッフの川代です。
「風が吹くと本屋が儲かる」、第三弾でございます。はじめにこのテーマを聞かされた時、恥ずかしながら、わたし、本来の「風が吹くと桶屋が儲かる」ということわざの由来のお話を知りませんでした。
風が吹くという事柄と、桶屋が儲かるということには直接の因果関係はなくても、
風で土ぼこりが立つ、それが目に入ると盲人が増える、盲人が就ける職ということで、三味線の需要が増える、三味線には猫の皮が必要だから、猫が殺される、猫が減るとネズミが増える、ネズミは桶をかじるので、桶の需要が増えて桶屋が儲かる・・・と、無理やりつなげている感はいなめませんが、思いがけないことが自分の身に起こったことの原因だったりする、という教訓だそうです。バタフライ・エフェクトの一種ですね。
バタフライ・エフェクトとは、カオス理論を表現するもののひとつで、一匹の蝶の一度の羽ばたきが、遠く離れた場所の未来の天候に関係してくるということだそうです。過去に戻る能力を持った主人公が、不幸な未来を変えるために、過去の一瞬を少しだけ変える、というのを繰り返す映画がありましたが、それも同じ。実は、今の自分の一瞬、一瞬は、大きな責任をともなっているかもしれない・・・と思うと、時間が大切に思えてきますよね。
私もよく、
「あのときもし、あの鬼教師にガツンと怒られていなければ、受験に受からなかったかも・・・」
「あのときもし、テニス部を続けていれば、音楽サークルに入っていなかったかも・・・」
「あのときもし、あのお誘いを受けていたら、いまごろはあのひとと・・・」
とか、くだらない、「たられば」空想をよくしています。
就職活動のときは、なおさら、バタフライ・エフェクトのことを強く考えていました。
本当に当たり前だけれど、人は、一つの道しか選べないわけで、もし、化粧品の会社に入ったら、化粧品について詳しくなれるし、女性が綺麗になるためのお手伝いができるけれど、一方で、商社に入ったら、世界をまたにかけて働き、グローバルに刺激的な人生を送れる。その二つが同時に成り立つことは、絶対にあり得なくて、しかも、おそらく、この新卒での就職活動の一歩で、働くうえでの方向性が決まってしまう。すなわち、私の人生が向かう先を、ここである程度決断しなければならないのだ、と思ったのです。
「人生は長いから、やりたいことは、いつからでもはじめられる」というのは、本当だけれど、でも、「今」というのは本当に「今」しかない。
「21歳の、5月29日の自分」は二度と、取り戻せないし、どう抗っても、「人間は、死に着々と近づいている」「人間は、死ぬために生きている」という事実は、覆すことができないんですよね。一瞬、一瞬が、重要な選択肢の連続。
こういうことは、天狼院で働き始めて、なおさら強く思うようになりました。
「もし、あの就活中、思い悩んで、天狼院にたどりつかなかったら、どうなっていただろう?」
そう思うと、ぞっとするほど、怖くなってきます。
私が天狼院をはじめて訪れたのは、2月の寒い時期で、雑誌編集部の発足会議のときでした。
その頃、出版業界に興味を持ち始めたけれど、いまいちピンとこなくて、なにかヒントが見つかればいいな、と思っていた時に、たまたま、ネット上で天狼院のイベントを見つけたのです。
もともと、人と話したり、人の考えを聞いたりするのが大好きで、そういうイベントにはよく足を運んでいたので、まったく未知のイベントでしたが、躊躇なく、フェイスブックの参加ボタンを押していました。
はじめての天狼院は、「ビビッ」ときた、というのが本当に素直な第一印象でした。直感的に、自分が好きな空間だということが、はっきりとわかったのです。論理でも、メリットでもなんでもなく、本当に、体そのものというか、秘めたる魂そのものが、その空間に惹かれたのが分かったのです。
それからは、あっという間に時間がすぎていきました。はじめのうちは(今もですが)、わからないことが多くて、イベントのやり方も、接客も、見よう見まねでやっていって(それでも、まだまだ、どんくさい私は、スタッフのみんなに迷惑をかけてしまうことも多々あるのですが・・・)、でも、次々に新しいことが起こるから、気が休む暇がない。けれど、やっぱり、素敵な本と、素敵な空間と、素敵なお客さんと、素敵なスタッフと、素敵な店主がいる、この場で働けていることは、とっても幸せですし、これから先ずっと、天狼院で働くことにこだわらなくても、何かしら「天狼院イズム」をもって、生きていきたいと思うようになりました。
だからこそ、ふと振り返ると、あのとき、天狼院を訪れていたことは、自分にとってはまさに、バタフライ・エフェクト理論で言う、「蝶の羽ばたき」だったのだな、と思うのです。
もしかしたら、そのとき、別の大事な面接が入って、参加せずに、そのまま天狼院の存在を忘れていたかもしれない。そうしたら、私は未だに、自分にとっての価値あるものがなにか、理解できない苦しみをもって、未だにもやもやしていたかもしれないのです。けれど、もしかしたら、天狼院に来ている時間を他のこと、たとえばバイトとかファッションとかパーティーとか、もっと最後のキャンパスライフ的なものを、エンジョイすることに使っていたかもしれない。「もうひとつの道を選んだ場合の自分」がどうなっているのかは、当たり前ですけれど、確認することはできません。
天狼院は、いろんな人にとっての、「蝶の羽ばたき」だし、それと同時に、お店を訪れる、すべての人が、天狼院にとっての「蝶の羽ばたき」なのだと強く思うのです。
「天狼院に訪れた自分」と、「天狼院に訪れなかった自分」は、同時には存在できないし、
「あるお客さんが来てくれた天狼院」と、「あるお客さんが来てくれなかった天狼院」は、同時には存在できない。
この限られた時間の中で、たとえば、一人のお客さんがお店に来てくれたとか、一見ありふれたことに見える出来事でも、もしかしたら、新しいイベントが始まるかもしれない。思いつかなかった面白いアイデアを与えてくれるかもしれない。
「毎日、生きている」、とは言っても、今この瞬間にも、この天狼院のサイトを通して、私の文章を読んでくださっている、顔も知らないかもしれない誰かも、死に着々と近付いている、貴重な一瞬を、私のために使ってくれている。そう思うと、自分の時間を大切にしよう、自分の選択に責任を持とう、と思うだけではなくて、人の時間をも大切にしよう、とも思えるのです。自分に起こるすべての出来事が、すごく生々しくて、愛おしく思えて、感謝したくなるのです。
「今の自分」の行動は、「未来の自分」につながるし、「今の誰か」や、「未来の誰か」にも、つながる。だとすれば、もしかしたら、今、大風が吹いて、それをしのぐために天狼院に入ったお客さんが、とても貴重なチャンスを持ってきて下さるかもしれないので、「風が吹くと本屋が儲かる」も、ちっともおかしな話じゃない。天狼院に起きるすべての出来事や、人が、「蝶の羽ばたき」であり、「風」なのかもしれません。
すべてのものごとは繋がっている、そのことを、最近、本当に強く、強く感じています。
こんなことを書いておきながらも、忙しくて、バタバタしていると、感謝の気持ちを忘れてしまって、時間を無駄にすごしたり、他人にイライラしてしまったりするのですが。
「メメント・モリ」、死を思え。この言葉をいつも胸に、忘れないようにしていきたいです。
明日死ぬとしたら。
やり残したことが、たくさんある。
会いたかった人が、たくさんいる。
挑戦してみたかったことも、数えきれないくらい。
感謝を伝えられていない家族や友人が、何人いるだろう。
読みたかった本も。
見たかった映画も。
行ってみたかった国も。
今このキーボードを打っている瞬間も、死に近付く一瞬なのだと、
今、この記事を書くことが、自分にとって一番重要だから書いているのだと。
まあ、いちいちそんなことを考えていると気がおかしくなるので、あくまで極端な話ですけれど、つまり、肩の力を抜きつつ、真剣に人生に向き合っていきたいです。
さて、末筆になりますが、これが一番言いたかったこと。
私に関わっているすべての方々、本当にいつもありがとうございます。
この記事が、少しでも、誰かにとっての心地よい「風」になれますように。