川代ノート

塩萌え《川代ノート》


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ファイル 2016-09-01 16 38 32

 

「へい、お待ち!」

福岡某所、夜22時。
福岡に来て二日目の夜、お腹がぺこぺこの私たちは、死ぬほどうまいという焼き鳥屋に足を運んだ。

「本当に私が今までに食べた焼き鳥の中で一番おいしかったから!」

そう強く主張するのは、一緒に福岡天狼院に勤務することになった、同僚の山本海鈴である。

山本は福岡メシが死ぬほど好きらしく、東京から福岡に飛び立つ前日から「明日福岡ついたらフィッシュマン行こう!」「あ、わっぱの方がいいかな!?」と、やたらと福岡で一番最初に食べるご飯の心配をしていた。

「福岡に異動になった」と知り合いに言ったとき、みんな口裏を合わせたように「太らないように気をつけろ」と言ってきた。まるで福岡メシが主人公の恋路を邪魔するひどい悪役であるかのように、「福岡のせいで太った」だの、「いいかげんにしろ福岡」だの、「福岡メシはやばい」だのとしきりに言い、恐れていた。が、私は正直半信半疑だった。いくら「うまい」とはいえ、所詮は食事である。メシである。私だって、まだ23年しか生きてきていないけれど、それなりにおいしいものも食べてきたつもりだ。大学生の頃は好奇心旺盛だったので、就活などで知り合ったエリートの大人に赤坂などの高級焼肉や寿司やしゃぶしゃぶを食べに連れて行ってもらった。第一、私はバカ舌なのである。高いコース料理でも居酒屋のおつまみでもカップヌードルでも全部「おいしい」としか思わないバカ舌なのだ。とくにグルメというわけではない。何がどうおいしいとか芳醇な香りとかふくいくとしたとかそういう細かい表現は何もわからない。食事は「おいしい」か「まずい」かの二択である。おいしいはおいしいのである。だから、別にいくら福岡メシがうまいと言われても、そこまで恐れを感じなかった。「うまい」はイコールただの「うまい」なのである。私にとって「特別うまい」が来ることはそれほどないのである。

「うまいわ」

だがしかし、そう思っていた私は一瞬で福岡に白旗をあげることになった。

「福岡すげー」

「でしょ!?」

その焼き鳥屋は、平日の22時にも関わらず混み合っていた。活気のいい店内に「らっしゃいあせー!!」という大きな声が響いている。店内には、明るく接客してくれるホールスタッフに、カウンターの中で焼き鳥やエリンギを網の上でひたすらひっくり返したりしているキッチン担当の人もいた。男子ばかりで、女子スタッフはほとんどいない。

「あー、何食べようかな」

あごひげが生えたシティボーイ風のフレンドリーなスタッフにカウンター席まで案内される。カウンターの向こうには香ばしいパチパチとした音をならす炭火焼の網が並び、その前でキッチンの短髪のお兄さんが汗をふきふき、焼き鳥を焼いていた。ぼんじり、肉しそまき、糸島豆腐、山芋……おいしそうな肉や野菜達がジュージューと音を立てて焼かれているのを見つつ、さて次の一手は何にしようかと考えていた時だった。

すっと、目の前のお兄さんが、壺の中に手を入れた。
大きな壺である。たこ焼きのソースが入っていそうな壺である。なんだろう、タレだろうかと思いながら見ていると、塩をひとつまみしたお兄さんの手が、すっと出てきた。

瞬間、なんだか、変な気分になる。

ん? なんだこの気持ちは、と思いつつ隣の山本海鈴を見るが、「おいしそうだね」とニコニコしながら焼き鳥が焼かれているのを見ているだけである。

私がおかしいのか、と思いつつ、さらにお兄さんの手の動きを見ていると、さささっと彼の手が上下に動き、焼き鳥にさっと塩を振りかけた。

ごくり。

つばを飲む音が聞こえた。

え? そんなにお腹空いてるの海鈴? たしかに唾液がどんどん出てくるほどおいしそうな音は目の前でしてるけど。

そう思いつつ、隣を見る。私は驚き、目を見開いた。海鈴は、焼き鳥を見ていなかったのだ。少し上を向いて、どこかぼんやりとカウンターの奥を見つめていた。私が見ているのには気がついていないらしい。

いや、違う。

私はハッとした。

これは、うまそうな焼き鳥が自分のカウンターに運ばれるのを待っている山本海鈴の喉から発せられた音ではない。
明らかに、塩をつまむお兄さんの手を見つめている、私の喉の奥から聞こえた音だった。

どういうことだ、私の中で何が起きたんだ、と思い、またお兄さんの手を見つめる。

壺に手を入れる。
塩をつまんだ手が出てくる。
慣れた手つきで、軟骨に塩をふる。
エリンギに、塩をふる。
イカに、塩をふる。

彼の手が、壺と網の上をいったりきたりする。
そしてときどき、無意識的に、制服の裾で額の汗を拭う。

指が、動く。

何度も何度も繰り返す。

塩をふる。

慣れた手つきで塩がふられる。

ジュージューと、焼き鳥が焼ける音がする。

鳥皮の肉汁が滴り落ちる。

そしてまたその手で、焼き鳥をひっくり返す。

「いらっしゃいませー」

エグザイル風の見た目のスタッフが多く、「らっしゃいあーせー」というイケイケな声が聞こえるなか、このお兄さんだけは、きちんと「いらっしゃいませー」と笑顔で言う。

そしてまた、真剣な目で網を見る。たれ目だ。笑うとくしゃっとなり、目尻にチャーミングなシワがよるタイプの目だ。女にモテるタイプの顔だ。

そして彼の指が、いい具合に焼け、彼の手によって丁寧に塩がふられた長州赤鳥の串をつまみ、そして皿に盛った。

「はい、お待ちどうさま」

にっこりと笑い、カウンター越しに皿を渡す。「うわーおいしそう!」と言いながら山本海鈴は長州赤鳥の乗った皿を受けとる。「やったーやったー」「これめっちゃおいしいから! 本当に!」と嬉しそうに言う山本海鈴は早速串を手に取る。なんだ、焼き鳥のことしか考えていないのか。こんな風に突然私に訪れた胸の動悸に、君は共感してくれないのか。この塩をふる仕草に萌えているのは、悶えているのは、私だけなのか。私がおかしいのか。なんだ、私はどうしてしまったんだ。

そう思いつつも、私も何事もないふりをして初体験の長州赤鳥を口にする。ほおばる。おいしい。うまい。めちゃくちゃうまい。ああでもそれでもやっぱり私の目は赤鳥よりもお兄さんに行ってしまう。私にとっては死んだ鳥のももなんぞより生きた人間の指の関節の方がおいしいのである。ああすばらしい関節。すばらしい手首のひねり。すばらしい塩のふりかた。ああこの焼き鳥うまい! なんだこのうまさは。おいしい。おいしい。おいしい。いろいろな意味でおいしい。すばらしい。なんだこれは。最高か福岡。胸がときめきで張り裂けそう。

 

 

「あー、おいしかったね!」

「いやー、やばかった!!」

「ね!? 人生で一番おいしい焼き鳥だって言ったでしょ!?」

「うん、たしかにその通りだった。私も人生で一番おいしかったわ」

「だよねー」

焼き鳥や野菜、焼きおにぎりなどをたらふく食べ、山本海鈴と家に帰る。福岡の街を歩く。この焼き鳥屋から歩いて5分くらいだ。近所にこれほど「おいしい」焼き鳥屋があるなんて、なんてすばらしい場所なんだ。東京じゃいくら探してもこんな店、見つからないぞ。

「いやー、本当においしかったわ」とつぶやく私。

「ね! めっちゃおいしかった」と元気に言う海鈴。

しかし、そんな海鈴を見ているうちに、謎の罪悪感が湧いてきた。純粋に福岡メシを楽しんでいた海鈴に対して申し訳ない気持ちが出てきてしまったのだ。もうどうしたらいいのだ。私はどうしてあんな仕草に萌えてしまったのだろう。どうして塩に萌えるのだ。塩を持つ手に悶えるのだ。もっと単純なことで萌える人間に生まれたかった。もっとちゃんとまっとうに、壁ドンとかに萌えられればよかったのに。まっとうに、おいしい焼き鳥を食べるときは純粋に焼き鳥に集中できる人間になりたかった……。

まあ、そんなことを考えても仕方がないな。頑張ろう。

私は私。こういう人間。私は男性が塩をふる仕草に萌えてしまう人間なのだ。それは生まれ持った性癖なのだ。仕方がない。
自分のことを受け入れて生きていこう。

そう思いつつ、前を向いて、山本海鈴と福岡の夜の街を歩く。

「ねえさき、あのさー」

そんなとき、海鈴が少し真剣な顔をして私の方を見る。

「え、何?」

突然、なんだろうか。何か隠していたことがあるのだろうか。東京から二人、福岡に来た。福岡で、福岡天狼院を盛り上げるというミッションを抱え、私たちはこちらにやってきた。
大学生の頃からの付き合いの私たちだが、二人で福岡に来たからこそ、今のうちに告白したいことがあるのだろうか。

「あの目の前のカウンターのお兄さん、私めっちゃタイプなんだけど」

「……」

お前もか!!!

 

 

そんなわけで、今日も福岡の夜はふける。

私たちはおいしいと噂の福岡メシを食らい、そして噂なのかどうかはわからないけれど、確実に「おいしい」福岡男子たちを見つめながら、今日も福岡の街を歩く。

明日は、どんなおいしい出会いがあるのだろうか。
楽しみである。
非常に、楽しみである。

「今日、どこに食べ行く?」

最高か、福岡。
楽園か、福岡。

 

 

****

今回食べに行ったこの焼き鳥やさんがどこなのか知りたい方は、福岡天狼院までお越しください。

店頭にお越しいただいた方にのみ、お教えいたします。

 

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2016-09-01 | Posted in 川代ノート, 記事

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