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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:江見晴美 (ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「お月さまって、歩いても歩いても、ずっと私のこと追いかけてくるなあ」
まだ私が小学校低学年のころ、母と家に向かう途中、夜空を見上げて思ったことだった。
 
母の命の期限が、医師から父に伝えられた。
1年。
母に伝えるかどうかは、父が選択権を持つ状態になった。
母は長年にわたり統合失調を患っていて精神的に不安定であり、医師は母に余命を告げるべきか判断できないとのことだった。
 
父は迷っていた。
私も姉も、答えは持っていなかった。
父は、母本人に告げないことを決めた。
ますます母が精神的に参ってしまってはいけないと思ったそうだ。
父と母の関係は、私と両親との関係よりも、ずっと長い。
私は夫婦の関係を尊重することにした。
父は趣味のゴルフに行くのを辞めた。
 
病名は膠芽腫(こうがしゅ)。
脳腫瘍の中でも悪性度が高く、罹患した人の5年後の生存率は5%を切る。
もし生存していたとしても、ピンピンと健康で生きている可能性はもっと低くなる。
母はかなりの早期発見だったが、そんなことは関係なく、あまりにも敵が強すぎるものだった。
 
当時私は実家から4時間離れた場所に住んでいた。
仕事を持っていたので、隔週の週末に実家に帰る生活を始めた。
余命から計算すると、このペースで帰省した時、母に会えるのはあと24回。
なんとも悲しい計算結果だった。
 
「今は高速バスで実家に帰る目的が母に会うことだけど、そうじゃなくなる日が来るのか……」
「母の洗濯物を庭に干さなくなるのか……」
想像で涙が頬を伝うことが増えていった。
 
母は開頭手術を終えた。
手術は上手くいったそうで、その時点で確認できる腫瘍の塊は取り除けたらしい。
姉から聞いた話では、精神的に参ることはなく、「縫うたとこが痛痒いわあ」と文句を言いながら笑みを浮かべていたんだとか。
 
そこから肉眼では確認できない細胞レベルのがんをやっつけるために、投薬治療と放射線治療が始まった。
「脳にできた塊を小さくするためには、がんの治療と同じ治療をせなあかんねんて。一緒の治療なだけで、がんとちゃうからな」
父は母にこう告げていた。
母は自分ががんなのではないかと、父に疑いをかけたこともあったらしい。
けれど、父は何度も何度も否定したそうだ。
母がせめて精神面だけでも元気でいられるようにと、思ってのことだった。
 
投薬と放射線治療を終えて、母は退院した。
私は小さな花束を買って実家に帰った。
母と花束を写真に収めた。
このときの母の笑顔を鮮明に覚えている。
この笑顔を、ずっと見ていたかった。
 
母は左脳ががんに侵されていて、右手と右足の動きが鈍くなっていた。
退院後は、理学療法士の指導のもと、リハビリをするようになった。
最初は楽しそうにリハビリを受けていたが、良くなるどころか、ますます動きにくくなってきていることが、母自身も分かっていたようだ。
 
夜中に、理学療法士に教えてもらった体操をしている母を見つけた。
「お母さん、焦る気持ちは分かるんやけど、もう夜中やから。また明日頑張ろう」
私はそう声を掛けた。
 
私は幼いころから、母が統合失調でぐずぐず泣いている姿をたくさん見てきた。
その母が今回の病に挑む姿は、今までの母からは想像できないくらい勇敢で、強く胸を打たれた。
 
やはりそのときは来た。
再発。
想定よりは遅かった。
だから、もしかしたらうちの母は、がんに打ち勝ったんじゃないかと、思いたかった。
医師は、父にこう告げたそうだ。
「もう私にできることはありません」
 
終末期の痛みや苦しみを和らげるケアをしてくれる病院に母は入院した。
そこには90歳を越えた祖母も片道1時間かけて何度も足を運んでくれた。
母は話せなくなった。
言語を司る箇所がやられた。
父は、ひらがな50音が1文字ずつ書かれた「あいうえお表」を手作りしていた。
母は、左手で指さして、父に食べたいものを伝えていた。
母はけいれんを起こすようになった。
脳内ががん細胞で圧迫されているらしい。
父は母の手を握ったり、腕をさすったりしていた。
母は歩くことがなくなり、足は腕のように細くなり、乾燥もしていた。
私はボディクリームを買ってきて、乾いた肌に塗り込んだ。
これくらいしかできない。
少しでも、心地よく感じてくれたら。
またこの足で歩いて欲しいけど、期待することも空しいなら、せめてこの時間だけでも、少しでも、快適でいてくれたら。
 
「お母さん、亡くなってしもうたわ」
夜中の3時に、父から電話があった。
 
車で4時間かけて病院に着くと、石みたいに冷たくて動かない母がベットの上に横たわっていた。
姉が選んだお洒落着に着せ替えてもらっていた。
 
私もいい歳になったけど、でもどうしたって母に甘えたい気持ちって無くならないもんだなあと思う。
この世で一番の味方でいてくれる存在だった。
 
お母さん、愛してる。
 
月を見ると、母がずっと私を追いかけてくれてるんじゃないかな、そんな風に思いたくなるときがある。
子供のころ母と家に向かっていたときと同じように、温かい気持ちになれるから。
 
 
 
 
***

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《終わり》


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