メディアグランプリ

コーヒーを飲むように、書くことを楽しむきっかけとなった話

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:石橋はるか(ライティング・ゼミ集中コース)
 
 
インクブレンダーという職業がある。コーヒーでいえばバリスタのような職業である。日本でたった二人しかいない、その人に、私が出会った日の話である。
 
その日、私は東北旅行を終えて東京駅にいた。東北新幹線から夜行列車に乗り換える予定だが、空いた時間ができてしまった。土地勘のない場所で、ちょっと空いた時間を過ごせる気の利いた場所を探すのは難しい。無料で時間をつぶせるとの思いから、東京駅そばの大型書店へ向かった。
折しも開催されていたのが「世界の万年筆展」だった。ずいぶんと敷居の高い展示会である。広々とした会場に並ぶペンはどれも1本ウン万円以上で、暇つぶしでのぞくのもはばかられるような場所だった。
その一角にひときわ目を引く場所があった。「インクブレンダーによるインク工房」と書かれたコーナーだ。穏やかそうな男性が座り、周りの棚にはカラフルな色水が瓶に入った状態で展示されている。万年筆インクの販売コーナーかと思いきや、どうやらお客さんの持つイメージに合わせて、オリジナルのインクを調合するイベントのようだ。取材された新聞記事も掲示されている。
私は1本だけ万年筆を持っている。大学の卒業記念に買ったものだ。数千円の安いもので、なんとなくオシャレだというイメージで購入してしまった。最初につくインクを使ったあとは、次のインクを購入することもなくそのままになっていた。
「よかったらされてみますか」
インク工房の案内を見ていると、笑顔の男性に声をかけられた。彼がインクブレンダーらしい。
「予約制のイベントなのですが、ちょうど一人キャンセルが入ったところです。20分程度でお伺いさせていただければ」
時計を見るとまだ時間の余裕はある。タイミングよくキャンセルにたまたまあたったことも何かの縁、インクならば値段も手が届く、とのことで、ありがたくその提案に乗ることにした。
「どういったイメージにしましょうか」
席に着くと、インクブレンダーが訪ねてくる。
「なんでもできますよ。ただ、『私のイメージにあったインク』だけは無理ですよ」
予約しているお客さんはあらかじめ考えてきているのだろうが、すぐには思い浮かばない。少し焦りながらも、私のあたまに浮かんだのは、旅先で見た海の色だった。「深い青をお願いします」
青、特にブルーブラックは万年筆インクの中で最も種類が多いのではないかと思う。日常的に使いやすく、万年筆ならではの醍醐味も感じられる。彼は手慣れた様子で手元のインクを混ぜ合わせた。
試作ができると、ペンにつけて試し書きである。紙にインクをのせると、鮮やかな青が一瞬顔を出し、紙に吸収されていく。乾いた後の筆跡は深い青になっていた。
これはちがう、と直感した。
「海の色のイメージです。もう少し緑がかかっている色を」
さらにインクを混ぜていく。次に出されたものは、明るい緑が主張しすぎていた。よくリゾートの海であるようなエメラルドグリーンだ。
「もっと深くくすんだ色をお願いします」
どのくらいわがままを言えるのだろう、と遠慮すると同時に、どのくらいイメージを再現できるのだろうという興味もあった。
「これはいかがでしょうか?」
今度は青が深く緑がでてこない。それを伝えると、インクブレンダーは「ふふ」と笑った。
「どんどん色が変わりますね、面白いです」
そして出てきた色をペン先につけて、紙にのせる。
一文字目はちがうと感じた。まだ青ばかりが出てくるのだ。そのままペン先を滑らせていると、最初の文字色が変化していることに気づいた。
まず濃い青が出るが、インクが乾くにつれて緑が浮かびあがるのだ。完全に乾くとくすんだ青緑。少し筆記スピードをあげると緑が引き立つ。ゆっくり書くとインクがたまり、深い青が残る。その変化が面白くて、しばらくペンを走らせていた。このインクに私が満足したことは言うまでもない。
「名前をつけてあげてください」インクブレンダーがいう。名前は決まっていた。
「今日は東北旅行の帰りで、『三陸の海』としようと思います」
「三陸の海は、こんな色なのですね。私は見たことがありませんでした」
インクブレンダーがほう、とため息をつく。
海の色は場所で違う。普段私がみている瀬戸内海は明るい青とエメラルドグリーンで、二番目に出されたインクの色に近い。三陸の海は、天候のせいか、深くくすんだ青緑だった。
彼が私と同郷の出身であったことを知るのは、しばらく後のことである。
 
幸いなことに手持ちの万年筆でもボトルインクが使えた。それ以来、手帳に、日記に、さらには仕事の書類に、万年筆を使うようになった。一度使えばなかなか手放せない上に、紙によってインク色が変化するのがまた面白く、万年筆によいと評判のノートも購入してしまった。紙とペン、そしてインクの組み合わせは奥が深い。
 
書くことはコーヒーを飲むことに似ている。日常的には廉価なインスタントで用は足りるが、よい豆とよい焙煎、そしてよい器を使うことは格別である。そして、素晴らしい体験を提供するバリスタがいる。お気に入りのコーヒーが毎日を豊かにするように、お気に入りのインクとペンは、書くことを至上の体験に変える、日常生活のささやかなぜいたくなのである。
 
 
 
 
***

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2021-05-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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