fbpx
メディアグランプリ

短編小説『和寝巻の愛』


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:いのまたかなこ(ライティング・ゼミ平日コース)
※フィクションです
 
 
大正十年六月。
喜一郎と弥生は、新婚旅行先である鎌倉の宿から帰った時分である。
交際していた頃から外出先といえば、専ら、設立されたばかりの明治神宮へ参拝するのが常だった。喜一郎は可憐な弥生との日常に感謝し、永遠に続くよう神頼みをしていたが、
 
「貴方が何を祈っているのか知らないけど、こう何度も行っちゃア、私つまんないわ。近所だし。折角洋服も新調したのよ。もっとハイカラな所へ遊びに行きたいわ」
 
と、二十一歳の幼妻は機嫌を損ね出していた。
だから今回の旅で、ようやく弥生の好奇心を満たすのに成功したのだった。
彼は心地良い疲れと幸福感に酔いしれながら、窓から覗く月を肴に日本酒を味わう。
 
「涼暮月らしくない夜空だ。まるで僕らの帰りを喜んでいるようだな」
 
弥生はそれには答えず、他所行きの服のまま、せかせかと荷物を広げている。
 
「ネェ、これをご覧になって? 喜一郎さんのもあるのよ」
 
包みからはガーゼ地の和寝巻が出てきた。白地に紺の柄で、弥生のには花蕾、喜一郎のには幾何学模様が描かれていた。どちらも旅先で着たのと同じ浴衣である。しかもよく見ると、襟と腰紐には宿名の刺繍が施されていた。
 
「ははっ、そうか。君はまだ東京に友人がいないのに、誰に土産を買ったのかと思っていたが。成程、自分用か」
 
弥生は時代の変化に柔軟で、普段から着物よりも西洋服を好んだ。寝る時もネグリジェを着る。大正時代に急速に広がる西洋文化を、存分に謳歌していた。
しかし三十八歳の喜一郎にとって、洋服姿の女がまだ何となく恥ずかしかった。
だから、宿で和寝巻を着た弥生を一段と色っぽく感じた。
それを弥生自身も十分に自覚したから、こうして和寝巻を買ったのだろう。
奥の部屋で素早く和寝巻に着替えて来ると、喜一郎にしな垂れた。新妻の企みが可愛らしい。喜一郎は盃を置き、弥生を抱こうとした、が、弱い力で抵抗される。
 
「アッ、駄目よ。貴方もコレに着替えて?」
 
どうせ脱いでしまうのに、はやる気持ちを抑えつつも彼は素直に従った。旅の疲れなど無かった様に、新婚の夫婦は愛し合った。
その夜、弥生が厠に起きると、喜一郎は珍しく高鼾をかいていた。弥生はその鼾さえも愛おしく、夫の背中に顔を埋め、またすぐに眠りについた。
翌日、弥生が目を覚ましても喜一郎はまだ眠っていた。
 
(うふふ、疲れたのね)
 
弥生は、夫の顔を隠している掛け布団をずらした。
顔がひどく白い。
 
「喜一郎さん……?」
 
弥生の心音がどくどく大きくなる。しかし、いくら揺すっても目を覚まさない。
弥生はばっと心が冷たくなり、震える足で医者へと走った。
 
喜一郎は死んでいた。
死因は急性心臓死。昨夜の高鼾もこれによる脳溢血の所為らしい。
酒も煙草もやる夫は、高血圧気味だった。だが極度に病院を嫌った。
弥生が何度となく説得し、ようやく「旅から帰ったら医者に行くよ」と約束させたばかりだった。
 
弥生は夫の急死に呆け、暫くどうやって過ごしたのかわからなかった。
納骨が済むと静まり返った家は広く感じた。
徐に箪笥の抽斗を開ける。夫が最後に着た和寝巻を取り出すと、きゅっと抱きしめた。
喜一郎の死後、弥生は初めて慟哭した。
 
ひとしきり泣くと、自死を決めた。
喜一郎が死んでから身なりなど構わなかったが、こんな姿であの世の夫に会うのは恥ずかしい。
弥生は風呂に入り、髪も丹念に梳かした。薄くだが丁寧に寝化粧もする。最後に、あの日以来、袖を通せなかった花蕾柄の和寝巻に身を包んだ。
夫の好物だった酒に多量の眠り薬を混ぜる。透明の液体を口にすると、喉がジンと熱くなった。喜一郎と接吻をしているようで弥生はうっとりした。
布団の片隅に夫の和寝巻を人型に広げる。そのすぐ隣に横たわった。
 
(すぐに弥生もそっちに逝くわ……)
 
ほどなく眠気が襲った。
女は頬を濡らしたが、多分嬉し涙だった。
 
気がつくと、弥生は鎌倉の宿にいた。見渡すまでもなく隣に夫がいる。縁側に座り、二人とも和寝巻姿で竹林を眺めていた。竹林からは雨上がりの淡い光が差している。
弥生は、喜一郎の太い左腕に恐る恐る抱きつく。触れると、とたんに想いが溢れた。
 
「嗚呼ッ、会いたかった!」
 
喜一郎の大きな掌が、弥生の頭を包むように撫でた。
 
「君の言う事を聞いて、早く医者に行っていればな」
 
喜一郎はしょげて見せたかと思うと、今度は軽口を叩く。
 
「なあ、知っているかい? 君って人は案外寝相が悪い。和寝巻で寝ると腹を冷やしていけないなァ」
 
「いじわるね」
 
やっと弥生が白い歯を見せると、喜一郎は子供のように弥生の腰回りに抱きついた。布一枚で頼りなく身体を包む和寝巻からは、容易に互いの裸体を想像させた。
弥生は甘える夫に戸惑いつつ、細腕で優しく包み込んだ。
喜一郎が何か言ったが、弥生の腹に顔を押し付けたままだったので声がくぐもって聞こえない。
 
「なァに? もうずっと一緒よ、大丈夫」
 
弥生は最愛の夫と会えたのが嬉しくて堪らなかった。
妻の明るい声に、喜一郎は顔を上げた。きつく結んだ唇が震えている。それから少し臆病そうに微笑んだ。こんな弱々しい夫は初めてだった。
 
「一緒には居られない」
 
「どうしてそんな事言うの? 一緒に居たくて自決したのに!」
 
喜一郎は、無垢過ぎる弥生を、愛おしくも不憫に思った。
悲しみを吐き出す弥生の唇を接吻で塞ぎ、優しく抱き締める。いやいやする妻を、それでも強引に抱き竦めたまま耳元へ囁いた。
 
「赤ん坊がいる」
 
弥生は耳を疑って抵抗を止めた。訝しげに次の言葉を待つ。
 
「僕が死んだ前の晩。この和寝巻で愛し合ったね。その時できた子が君の腹にいる」
 
「嘘よ……」
 
喜一郎は弥生から身体を離して
 
「ほんとさ」
 
と妻の腹を撫でた。弥生は、自分が赤子をも殺したのではないかと怯えた。察した喜一郎は温和に言う。
 
「大丈夫、君はまだ死んでない」
 
入り混じる感情の渦の中、弥生は震える両手を喜一郎の手に重ねた。
 
「君は思いやりがあって聡明だ。子の為にも生きろ」
 
刹那、喜一郎の掌が置かれた腹の内側が熱くなるのを、弥生はハッキリと感じた。
 
「いいかい? 君はまだ若い。いつか他の男を好きになるだろう。いい、僕は構わない。幸せになってくれ」
 
自分の愛を軽んじられた気になって弥生は詰った。詰られながら喜一郎は華奢な体を抱き締める。
 
「ただひとつ願いがある。君が買ったこの和寝巻。これで赤ん坊の産衣を作ってくれないだろうか」
 
その声は微かに上ずっていた。喜一郎だって死にたくなんかなかったのだ。その逞しい腕で子を抱きたいのだ。
弥生は夫の大きな背中に手を回し、必死にしがみついた。涙を流しながら、喜一郎の最後の願いに、何度も頷いた。
辺りはもう暗く、いつの間にか降り始めた霧雨が、夜ごと夫婦を湿らせた。
 
弥生は自室の布団で目を覚ました。和寝巻がはだけているのが見なくてもわかった。涙の流れた跡が乾いて頬がパリパリする。果たして、あれは夢だったのだろうか。
しかし弥生が半身を起こして腹を見やると、隣に置いたはずの夫の和寝巻が腹の上に掛けてあった。
大事なものを守るように包み込むように、腹には優しく和寝巻が掛けられていた。
弥生は夫の和寝巻ごと腹を抱いた。
 
日差しは強く、梅雨は明けていた。
明治神宮に安産祈願をしに行こう。それから夫の和寝巻を解いて、産衣をこしらえよう。
外からは蝉の声が赤子の様に賑やかに響いていた。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


 


関連記事