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貴重な帰省を有意義にするために自分自身と向き合ってみた

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:赤羽かなえ(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
私は、実家に帰るのが苦手なんだ……。
 
去年コロナ禍で帰省が出来なくて、いよいよ自覚してしまった。
 
帰省をしたくないと思うことは親不孝なことだろうという意識が強いから見て見ぬふりをしてきた。
 
親に会いたくないわけではない。
 
それでも、毎年帰省の計画を立てるたびに心が重く沈んだ。
 
実家との距離が離れているから、帰省は年に一度、夏休みだけ。その代わりに3週間ほどと長い時間滞在するようにしている。
 
自分の重くなる気持ちと反比例するように母のテンションはうなぎ登りで、子供達の予定が出る前から、いつから来るのか、何日泊まるのかと度々催促が来る。忙しくてそれどころではない時にも自分のペースで連絡をよこすものだから、どんどん息苦しくなる。
 
しまいには、
 
「こちらの予定が立たない。あんたは迷惑ばかりかける」
「早くチケットを抑えなさい。そんなこともできないわけ?」
「荷造りを早くしてこちらに荷物を送りなさい。どんくさい」
 
と、高いテンションについていけない私を責めるような言葉までついてくるので、ついついこちらも機嫌が悪くなり、売り言葉に買い言葉で小競り合いになる。
 
険悪なムードになり、向こうも思ってもいないのに
 
「だったら、もう、来なくていい」
 
という捨て台詞まで飛び出す。
 
結局、なんだかんだで帰省することにはなるのだが、帰省中の日々がますます思いやられてため息しか出ないのだ。
 
でも、年に一度のことだから、子供が小さいうちしかできないからと、自分に言い聞かせてきた。出産をした年以外、帰省しないという選択肢はなかった。
 
去年のコロナ禍という大義名分で帰省ができないことは、帰省という行事を見直すいい機会になった。
 
とりあえず、帰省は私にとってものすごく重荷で、帰省しないという選択肢ができたことで、例年よりも心穏やかに夏休みを過ごすことができた。
 
それと同時に、自分と両親との関係に向き合わなければいけないと思うようになった。
 
10年も実家に帰省する機会があったのに、楽しみと道中ウキウキすることがないのは自分としても居心地が悪い。義務で戻っているという気持ちが強いのはやっぱり寂しい。
 
コロナ禍のおかげで帰省はできなくてホッとはしたけれど、こんな状況ならば、今後、帰省をするという機会は、もしかしたら数えるほどしかないのかもしれない。
 
もちろん、コロナだけでなく、人の命はいつ終わりが来るかわからない。ある日突然別れがくるということだってあるのかもしれない。
 
そう思ったら、いつまでも、今のような気持ちで帰省することは避けたかった。何かがあったときにきっと後悔するだろう。
 
そうは言っても、自分で考えているだけではらちが明かないので、私は、心のケアをしている友人に相談をしてみることにした。
 
こんなことを相談するのは本当にためらわれた。普段、人付き合いはソツなくこなしている方なので、親との関係に悩んでいることを人に知られるのは怖かった。
 
でも、友人は親身に相談に乗ってくれた。
 
「親を嫌いになっちゃいけない、そういう風に思っていない?」
開口一番、友人に問われ、返す言葉がない。
 
「親と子は血がつながっているから特別な関係だけど、でも、一人の人と人でもある。だから、親のことを苦手と思う人がいても当然なんだよ。そう思っている自分を否定したり責めたりしないんだよ」
 
そこまで聞いて、涙が出ていることに気づいた。
 
別に親のことが嫌いなわけではない。むしろ、親のことは好きだし、多分まだ心のどこかで、自慢の娘でいたい、ちゃんとした自分でいたい、という気持ちが大きくある。
 
そうやって、自分と親の関係を紐解いていくと、付き合いが長い分、仕方がないで過ごしてきた部分が沢山あることに気づいた。
 
友人に手伝ってもらいながら、ゆっくりと自分と両親の関係をさかのぼっていくと、問題点が色んなところで浮かび上がってくる。
 
大きく分けて、自分と母親の関係、自分と父親の関係、そして、自分と両親の関係が浮かび上がってきた。
 
母親にとって私は、作品のような存在だ。手をかけ、お金をかけてきた娘が、どのように育ったのかということ自体が母にとってのステータスの部分があった。
 
だから、私はいつも、母が望むような私像を演じなければいけなかった。小さい頃から、親戚の集まりで、子供同士でケンカをしたり、誰かと私が話した内容で母が気に入らないことがあったりすると、帰りの道中で怒られた。
 
いつしか、母の顔色を見て、母が喜ぶような「模範解答」を探すのが私になっていた。
 
母に褒められるために一生懸命勉強して、大学に進学した。
「家の手伝いなどしなくていい、おまえは勉強をしていればいい」と言われたので、その通りにしてきた。
 
大学を出て社会人になったとき、就職氷河期でおもうような就職先につくことができなかったときに、私の就職先を母は恥ずかしい、と言った。
 
「お母さん、あんたの就職先を誰にも言えない」
と言われたときに初めて、母が人に自慢するために私は就職をするのではない、と反発をした。
 
その後、結婚してからは、「主婦の仕事が何もできない」と嘆かれた。当たり前だ。母に言われた通り勉強と仕事しかしてこなかったのだ。母がそれでいいと言っていたから。でも、一転して何もできない劣等生のように言われ、実家に帰るたびに、「実家に帰っても、家事も何もせずにゴロゴロしてばかりだ」と言われて、母との関係は重くなるばかりだった。
 
私は、母にとって、流行おくれの洋服みたいな存在だったのだ。
 
主婦になった今、必要なのは学歴でも職歴でもなかった。でも、私は、いつまでも勉強したり仕事をしていれば、母が褒めてくれると思い込んでいたのだ。ある時、いつものように、仕事の話を母にしていたら、母は冷たい声で、「もう、仕事なんてどうでもいいから、もっと家事や子育てのことをきちんとしないさい」と言われてものすごくショックを受けたのだ。
 
「優等生であることがお母さんに喜ばれると思っていたのね。勉強も仕事も頑張ってきたのに、お母さんは、既にそんなことを求めていなかったことにショックを感じていたんですね」
 
相談をした友人に言われて、深く納得したのだ。私が一生懸命やってきたことは、結局、母に褒められたくてやっていたことだったのだ。仕事で資格や賞を取ったら母が認めてくれるかもしれないという潜在的な意識の上で仕事に夢中になり、子供をおろそかにすることで、逆に母からは、子供をそっちのけにして自分のことばかりやっていると言われて戸惑っていたのだということに気づいた。
 
次に、父親との関係について紐解いていった。父親とは、話自体は合うのにいつも結論が合わなくてぶつかる、ということが多い。
 
私が、子供達の食生活を気遣って素材にこだわった食事をさせていることを、「子供達が好きなものをたべさせてあげないのはかわいそうだ」と言われる。私が、医者に極力頼らずに自然療法で子供達の身体のトラブルに対処しようとすると、「宗教にでもハマっているのか」と言われる。
 
「でも、それって、選択肢の取り方で違う場所に着地しただけで、実は、子供達のことを考えているという根本は一緒なんじゃないですか?」
 
そう友人に指摘されると、確かにその通りなのだ。
 
最初の時点で子供や家族のことを考えているという点で一致しているのに、それに対処するために何をするのか、という部分が違っていて、その選択肢がお互いに相いれないだけなのだと気づいた。
 
そして、最後の私と両親の関係についての紐解きが始まった。
 
最初は、私と母、私と父を見るだけでいいのではないか? と思ったけど、一番根が深いのが両親との関係だということに気づいた。
 
私の両親は不仲だ。
どうして不仲かということについては、双方の言い分がいつも食い違うので、一人一人と話し合っても埒があかないのだ。
 
小さい頃から、両親が喧嘩をすると、家に居場所がなく、早くこの時間が過ぎますように、と祈ることしかできなかった。
 
「こんな話をすると、ちょっとスピリチュアルっぽい感じになるかもしれないですけどね、あなたは、お父さんとお母さんの血を半々に受け継いでいるでしょう。お父さんがお母さんのことを、お母さんがお父さんの攻撃する姿を見ていたら、自分の身体の中のお父さんからもらった部分もお母さんからもらった部分も両方が傷ついていたのかもしれませんよね」
 
そう言われて、私は、腑に落ちたのだ。
 
いつも、両親が争いになった時には、母の言い分も聞いてあげたかったし、父の言い分も聞いてあげたかった。でも、小さい頃は、特に、父の味方をすれば、母の機嫌が悪くなり、それは、私の生活に直接影響した。母が、父の味方をするなら私の世話を放棄するといったからだ。だから、父の言い分をきちんと聞いて仲裁をするということをすることがどうしてもできなかった。
 
「そりゃあ、これだけ沢山の原因があったら、実家に帰るのは苦しかったでしょうね、10年以上、頑張って帰省していましたね」
 
何度も何度も友人にカウンセリングをしてもらって、沢山の話をして、自分の心の中をのぞいてきた。言われた通り、本当に沢山の原因が詰まっていて、それに対して、臭いものに蓋をする要領で、自分の感情を身体の奥底に押し込めてきていたのだ。
 
我ながら、本当に頑張っていたし、限界がきていたんだな、と思う。
 
もちろん、この掘り起こした沢山の事象や感情を直接両親にぶつけたわけではない。友人と行ったのは、自分が辛かったことを書き出しては、どんな気持ちだったのか、本当はどうしたかったのかという自分の気持ちを見つめただけだった。
 
「使い古された言葉だけど、たとえご両親だとしても他人は変えられない。じゃあ、自分がどうしたいか、これ以上険悪になりたくないから、周りからどういわれようともう二度と帰省しない、ということだってできるし、実家で思いっきりケンカするのだって悪いことじゃない。帰省するにあたって、自分がどうしたら前向きになれるのかという風に切り替えられるといいよね」
 
何度も私に付き合ってくれた友人の言葉が少しずつ自分の中で消化されていく。
 
今年も、この情勢で実家に戻ることは難しそうだ。
 
けれど、1年かけて気持ちの整理を行うことで、帰省を前向きにとらえられる自分が出てきた。
 
年に1回とは言え、3週間実家で過ごすことがまず難しかったのだということにようやく気がついた。滞在は長くても1週間にする。計画は早めに立てて母を安心させる。両親の喧嘩には口を挟まない。
 
一つ一つルールができると心が軽くなっていく。
 
これまで、長いこと親子関係に悩まされてきた。
他人じゃないからこそ、お互いに甘えが出る。
付き合いが長いからこそ、気遣いに欠ける。
 
でも、今回、自分と向き合うことによって、両親も私とは別の人格であることを改めて確認することができた。
 
人生80年としたらもう折り返し地点を回った。いい意味で、親を私とは違う人格という見方ができるようになった。
 
遅ればせながら、自立への一歩を踏み出せたのかもしれない。
 
来年の夏こそは、きっと素敵な帰省にしよう。
 
 
 
 
***
 
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2021-08-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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