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僕は頭が春い


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:喜多村敬子(ライティング・ゼミ超通信講座)
 
 
世の中には、笑っていい話といけない話がある。
私にとって、安心して笑っていい話は、
子供が幼稚園に行っていた頃の映画の話だ。
ママ友からお嬢さんとそのお友達を映画に連れて行ったと聞いた。
その映画は、見て泣かない人はいないという
忠犬パトラッシュと薄幸の少年ネロの名作アニメ。
寒い夜に、天国へ旅立つラストに泣いてしまうあのアニメである。
幼い女の子2人も、かわいそうと涙したという事だった。
下園時の園庭で、そのうちの1人に
「何の映画見たの?」と尋ねてみた。
可哀想だったのを思い出したらしく、神妙な顔をしてこう答えてくれた、
「あのね、フラダンスの犬」
それを聞いた瞬間、私の頭に浮かんだのは、
ハワイのビーチで腰蓑つけて、二本足で立ってフラを踊る名犬パトラッシュの姿。
「いや、フランダースの犬だし、それ、とっても幸せそうだし」と思いながら、
真剣な表情のその子に悪いと、笑いをこらえるのに必死だった。
あまりに可愛い。笑わせようとは少しも思っていない。
こんな笑いは大好きだ。
誰に話しても、この話は「可愛い」と受ける。
罪のない、無邪気な笑いだ。
 
笑いにしても怖い話にしても、
聞いてすぐに自分の頭にそのイメージが浮かぶのは、
自分の想像力のなせる業だ。
聞いた瞬間に何を思うかで、笑いや恐怖が決まる。
特に笑いは、その際のちょっとした思い込み、不注意、前提の違いで、
無邪気にも残酷にもなる。
聞く人の理解の範囲、言葉の文脈や使われる局面で、
言葉は全然違う意味になるからだ。
例えば、「三重」がそうだ。
 
東海地方に住んでいた30年前、
私にとって「三重」は「三重県」だった。
迷わず「みえ」と読んでいた。
天気予報、ニュースに出てくる「三重」は、すべて「三重県」のことだった。
その後、東海地方から関東に移り住むと、「三重県」は生活圏外になった。
親戚の子がさんざん悩んだ挙句に、「三菱重工」に就職すると、
私にとって「三重」は「みつじゅう」になった。
新聞などでは、「三重」は「三菱重工」にしか見えなくなった。
そういうシフトが、自分の中に起きたことにさえ、しばらく気づかなかった。
そして、今、改めて「三重」を見ていて、
三つ重なると言う意味の「三重」の「さんじゅう」「みえ」もあったと再発見した。
「三重」は、「三重県」「三菱重工」でも「二重三重」でもある。
どれも当たり前のことだが、
30年以上掛かって、今頃、頭の中が整理された。
 
自分の考えの範囲だけにとどまっていると、
この「三重」のようなことが起きてしまう。
「フラダンスの犬」は無邪気な笑いだったが、
自分の考えの範囲があるべき範囲とずれていると、
笑いも残酷になる。
学生時代の教育実習先でそんな経験をした、
というか、やってしまった。
 
 
 
教育実習は、卒業した公立中学でさせてもらった。
私の中学は、小さい山の脇にあり、水田、住宅地に囲まれていた。
夏に学校のプールから見る、
隣の水田の風に揺れる青々とした稲の波は美しかった。
生徒は白いスニーカーにセーラー服や学生服で、
住宅地や田畑の間を歩いて登校して来る。
のんびりした所だった。
 
その春の教育実習生は、英語の私を含めて4人だった。
小学校から高校まで同じだったA君は音楽、
高校から大学まで女子校のB子ちゃんは国語、
一年先輩の男性Cさんは社会科だった。
当時の教育実習は2週間、面談室を実習生の控室に使わせてもらっていた。
放課後に面談室に4人そろうと、
A君がとつとつと、家でゴキブリを成敗した話など、
しょうもない面白いことを言った。
A君をはじめ、実習生4人は、総じてまじめで比較的おっとりしていた。
 
音楽のA君は、受け持ちの中一クラスのD君の事を気にしていた。
D君がリコーダーがずば抜けて、上手くないというのだ。
D君のことは、私も英語の授業で知っていた。
のんびりしていて、体育も勉強も得意ではないが、
特に気にせず、給食が一番楽しみというタイプに見えた。
見かねたA君が、
放課後にD君のリコーダーの練習を見てあげることにした。
そのリコーダーの練習の日、放課後の面談室に、
かなり遅れてA君ががっくりした様子で入ってきた。
てっきり練習がうまくいかなかったのかと思った。
そうではなくて、D君が来なかったと言う。
A君はずっと一人で、音楽室で待っていたのだった。
熱心な実習生の申し出に約束はしたものの、
練習が嫌で帰ってしまったのだろうかと皆で話した。
翌日に分かったのは、D君はすっかり忘れて帰ったという事だった。
見事にすっこーんと忘れたようで、
あっけらかんと、「忘れてた」と言ったそうだ。
A君はそれを聞いて、気が抜けた様子だった。
お天気の良い中、田んぼ道をニコニコと帰るD君の姿が想像された。
のんびり屋のD君らしいと皆が納得した。
一人でポツンと待っていたA君の様子を想像すると、
A君のキャラのせいで、何だかほんわかとユーモラスだった。
その後、何回かA君がD君にリコーダーを教えたが、
どのくらい助けになったのかは分からない。
 
控室に、A君がクラスの学級日誌を持ってきたことがあった。
D君が日直当番で書いた所をA君が見つけた。
そこには「ぼくはあたまがはるい」と書かれていた。
それを見て、実習生一同、「かわいい」と吹き出してしまった。
のんびり屋のD君のイメージから、「頭が春い」と言っているのだと思った。
「悪い」では語調がきついから「はるい」と書いたのだと思った。
季節は春で、「はるい」という音の響きは、ユーモラスに聞こえた。
 
その後、2週間の実習は無事に終わった。
その年は、社会科の教員の募集がなく、
Cさんは採用試験さえ受けられなかった。
残りの3人も学校の教員にはならなかった。
どうしてもという意気込みがなかったせいだろう。
教育実習は、現場の先生方の負担になるので、
随分申し訳ない事だった。
 
 
 
それから15年近く経って、自分の子供が小学生になった頃、
学習障害や発達障害という言葉が、一般的に知られるようになってきた。
我が子のひらがなや漢字の覚え方を見ていて、
何に引っかかりやすいのかなどを、具体的に知る機会もたくさんあった。
ふと、D君のことが思い出された。
そこで、やっと私は気がついた。
「ぼくはあたまがはるい」は、
「僕は頭が悪い」だったのではないか。
わざと「はるい」と書いたのではなく、
「は」と「わ」の使い分けができなかったのでないか。
それは、学習障害だったのかもと。
 
あれは、ユーモラスなものではなかったのだ。
中学一年生で、小学校3年生までに習う漢字「頭」「悪」が書けず、
「は」と「わ」の使い分けができないのは、学習困難児と言える。
自分が中学生の時に、
「は」と「わ」の使い分けのできない同級生は、見当たらなかった。
これらを考えると、ちょっとではない学習の遅れだと分かる。
 
ご存知のように「は」は、
ひらがなの中で唯一、2通りの読み方がある。
「あいうえお……はひふへと」と読む時、「は」はhaと読む。
大抵は、この通りに読めばいい。
ただ一つの例外は、「は」が主語につく助詞の時はwaと読むことだ。
「主語の助詞」は、子供には難しい概念だ。
だから、文章を書く事を習い始めた子供は、
「私は」を「私わ」と書いてしまう事がよくある。
どういう教え方をするのかは知らないが、
小学校低学年の内に使い分けるようになる。
「僕は」「犬は」などの「は」は、waと読むと分かれば、あとは楽だ。
それ以外の「は」はhaと読めばいい。
コツはこの二つだ。
 
D君は、「ぼくは」を「ぼくわ」にはしていなかった。
「悪い」を「はるい」と書いていた。
「は」はいつもwaと読むとだけ覚えていたのかもしれない。
二つのコツが分からず、混乱していたのかもしれない。
 
「は」の使い分けに引っかかるのは、自分も小学校で経験した。
だから、簡単なことだとは思わない。
私は、アメリカから日本の小学校に、
1年生の夏休み明けから遅れて入学した。
2年しかアメリカにはいなかったが、
国語で追いつくにはそれなりの時間がかかった。
初めて「私わ」ではなく、「私は」だと直された時は衝撃的だった。
「そんなの知らない! なぜそうなるの? 初めて聞いた!」
という理屈が全く分からない苛立ち、
恥ずかしさと怒りの感覚を今も思い出せる。
同級生は既に習い終わっていた部分だった。
それでも、どう理解したのか覚えていないが、
いつの間にか使い分けできるようになっていた。
その後、国語力、読書力がどんなに大切かも思い知った。
D君はよく分からないまま、
どんどん学年が進んでいったのだろう。
 
ちょっとした「つまづき」が学力の足を引っ張ることがある。
算数の計算で、勘違いをしていた小学生の話があった。
その少年は他の教科には問題がないのに、
数学だけが恐ろしくできなかった。
原因は、引き算・割り算の左と右の数字の意味を、
逆に理解していたことだった。
6-5を「5から6を引く」、8÷2は「2を8で割る」と思っていた。
左右の数字を入れ替えても、
答えが変わらない足し算・掛け算は、いつも正答。
引き算・割り算になると、途端に答えが違う。
本人は、計算は正しいのにと、不思議でたまらなかっただろう。
6年生になって、担任がその勘違いに気付いて教えた。
それから夢のように、計算が合うようになったという。
なぜ、6年になるまで、誰も勘違いに気付かなかったのか。
そのままだったらと思うと怖い話である。
 
D君の様子を思い出すと、
この計算の勘違いのような単純なケースでは、ないように思える。
今なら療育の助けが必要だと判断されたかもしれない。
家庭に何かあったのかもしれない。
教育実習生が無邪気に「はるい」を笑っていては、いけなかったのだ。
いや、他の実習生は意図的な「はるい」ではないと気づいた上で、
言葉の幼さが微笑ましかったのかもしれない。
国語のB子ちゃんは、問題点が分かっていたかもしれない。
私に想像力が足りていなかったのは、確かだ。
まさに、自分が「私は頭が悪い」だった。
 
その後、D君はどうなったのだろう。
誰かが手を差し伸べただろうか。
識字率がほぼ100%と言われる日本では、
社会人として期待される読み書きのレベルは、
「とりあえず読み書きできる」ではない。
大人として必要な読み書きの力がついただろうか。
「僕は頭が悪い」と思い続けたのだろうか。
学級日誌にまでそう書いた少年の気持ちは、どんなものだっただろうか。
D君本人の前で笑ったのではないことが、せめてもの救いだ。
 
「フラダンスの犬」のように無邪気な笑いは、楽しめばいい。
でも、本当は無邪気なこととではない場合もある。
笑っていい話といけない話がある。
それを忘れないでいたい。
 
 
 
 
***
 
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2021-09-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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