ジュンさんが割った牛丼
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:石綿大夢 (ライティング・ゼミ平日コース)
「あ〜ごめんごめん〜」
まただ。もう何回目だろう。
昔、牛丼屋のアルバイトをしていた頃、僕よりひと回り以上年上の“ジュンさん”という先輩がいた。
ジュンさんはバンドマンでいくつもバイトを掛け持ちして、高い左利き用のエレキギターを借金して買い、三人も入ればぎゅうぎゅうになってしまう休憩室で、時間を見つけては曲を作っていた。主婦のパートの方々を除けばダントツに年上で、その店のボスであり相談役だった。ロン毛でいつも金がなく、賄いの牛丼をいつも少し多めによそって食べていた。
そんなジュンさんが、またミスをした。ベテランにも関わらず、ミスが多い。本人曰く、音楽のことばかり考えてしまうからしょうがないらしい。初めはそのアーティスト然とした雰囲気に若かった僕は憧れを抱いていたが、それとこれとは別問題だ。自分が仕事に慣れてくるとだんだんとそのスタンスが目につくようになってきた。
牛丼チェーンのお昼時は、さながら戦場だ。
銃弾のようにオーダーが飛び交う、ある日のお昼のピークタイム。元気でハキハキとした声が店内に響く。店内の従業員たちは、僕を含めて皆、スポーツをしているかのごとくテンポよくオーダーを処理していく。
その時、不吉な音が聞こえた。
バリン。
ジュンさんが丼を割って牛肉の鍋に落としてしまった。なんとなく重大さが伝わりにくいが、これはお昼時の牛丼屋にとってはかなり致命的なミスだ。割れた丼の破片が牛丼に入り込もうものなら、異物混入騒ぎで大ごとになるし、何より破片でも間違ってお客様が食べてしまったら……。
そばにいた僕を含めて何人かのメンバーはひっきりなしに入ってくるオーダーを眺めながら、少し青ざめていた。この場合、後処理にどれだけ急いでも5分以上はかかる。まだ次々とやってくる目の前の仕事を処理していくだけで精一杯だった僕は、完全に思考停止して、なんならこんな初歩的で致命的なミスをしたジュンさんに怒りさえ覚えていた。
ジュンさん! なにやってんですか? てゆうかどうしてくれるんですか?
口から非難の言葉が飛び出る寸前、ジュンさんはまるで優雅なティータイムでも嗜むかのようなテンポでこう言った。
「あらぁ、ごめん〜ちょっと待ってて〜」
焦る僕たちを知ってか知らずか、ジュンさんはこの調子である。機関銃のように降り注いでくるオーダーを気にもとめず、冷静に後処理を行い、止まっていたオーダーからさばき始めた。「一個ずついくよ〜」なんだかしまらないジュンさんの声掛けに、僕の沸いていた怒りはもう前線を退いていた。
この人はなんでこんなに落ち着いているんだろう。
なんとかその日のピークを乗り切り、ジュンさんが話しかけてきた。
「悪かったなぁ〜フォローありがとう! お前いなかったら、やばかったわぁ〜」
人間は、弱いし、間違う。ミスをする。だからその対極にある“完璧”に憧れる。
僕は子供の頃から、ヒーローや戦隊モノが好きだった。
凶悪な力を持った怪人が地球を襲う。それをやっつけるスーパーヒーロー。かっこいい変身シーンと必殺技は少年時代の僕の憧れだった。いつかは僕もあんな完璧にカッコイイ大人になれるんだ。未来を微塵も疑わず、ヒーローごっこに明け暮れていた。僕だけじゃなく、日本中のいや世界中の子供たちが、その“完璧さ”に憧れたはずだ。
ヒーロー=完璧。この方程式に一石を投じたのが、アメリカン・コミックを映画化した、マーベル映画だ。
映画に出てくるヒーローは、その人並み外れた能力で、地球外生命体や未知の脅威に立ち向かっていく。己の正義、か弱き市民を守るために自分を奮い立たせ敵に立ち向かっていく様は、昔から描かれるスーパーヒーローそのものだ。
しかし、マーベル・ヒーローに代表される昨今のヒーローは、少し事情が違う。己の力の至らなさや、生まれてきた境遇に悩み、時に投げやりに自暴自棄となる。自分がしてきたことは、本当に世のため人のためになったのか。本当に正しいことをしてきたのか。そう言った内省を繰り返しながら、再び武器を取る。
つまり最近のヒーローには、“弱さ”がある。
決して昔の完璧ヒーローに弱さ=弱点がないという話ではないが、昨今のヒーローはその超人的な能力と同じくらいに人間的な弱さも描かれる。
そして人々は、その“弱さ”に共感するのだ。
おそらくジュンさんは、あの店の誰よりも弱かった。
翌日が新潟でのライブなのに自分の左利き用ギターを壊してしまい、周りにお金を無心していたこともある。一番安かったから、と言って上履みたいなペラッペラの靴を私物で履いていた。
でもそんなジュンさんに限らずとも、人は誰でも間違える。
アルバイトでも仕事でも、ミスをしない人間はいないし、大体の場合、問題は突発的に起こる。
そんな時に大事なのは、完璧を目指して悔やむより、そのミスを受け止め立ち上がるスピード感だ。自分の至らなさを肯定していく心の余白と言い換えてもいいかもしれない。ジュンさんが割った牛丼はもう元には戻らないけれど、それでも弱さを肯定して、立ち上がっていく。
「……かっこよかったな」
その日の勤務終わり。自転車を漕いで家路につきながら、一人、妙に納得してしまった。
子供の頃憧れたような大人に、自分はなれているのだろうか。最近、そう自問することが多くなった。
確かに、“完璧”な人はかっこいい。仕事もできて、プライベートも充実し、異性にもモテる。もちろん彼らなりの悩みはあるんだろうけど、平凡な僕から見れば、そんなの取るに足らないことだ。周りに憧れの眼差しを向けられるのは当然と言っていい。
だけどあの時僕に、揺るぎないヒーロー像が出来た。
たとえ完璧じゃなくても、間違えても、立ち上がるのが早い人。自分とか他人とか関係なく、その“弱さ”を肯定して、受け入れられる人。
きっと僕のヒーローは、今でもどこかのスタジオで、左利き用のエレキギターをかき鳴らしているだろう。
***
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