メディアグランプリ

電車の優先席に座って考えたこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:イシイミチコ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
おおかたの人は、歳をとってもなるべく若く見られたい、と思っているはずだ。自分はけっこう若く見える方だと思っている人も多い。
しかし、たいていはしっかり歳相応に見られているものだ。
 
60歳になったばかりの頃、映画館でシニア割引チケットを買い求めた時のことだ。
若いチケット係の女性は、身分証明書の提示を求めもせず、こちらの年齢を疑う素振りなど皆無で、無表情に淡々と割引チケットを販売してくれた。
若く見えるつもりでも、人の目は誤魔化せないのである。
 
しかし、若く見られない方が好都合な場面もある。
それを感じることが多いのが、電車の優先席に座る時だ。
この時ばかりは、歳をとって見えるのがありがたく思える。
 
もう少し若い時は、優先席に座るのは憚られるところがあった。一般席が埋まっている時など、立っている乗客が多いと混雑するから優先席が空いているなら座る方が良いのだ、と心の中で言い訳をして座ったりしていたものだ。
 
今は、一般席が開いていない場合、明らかに私よりも高齢のおじいさん、おばあさんが立っていない限りは、遠慮なく優先席に座っている。
しかしそれでも、先に優先席に座っている人を見てみて、自分より年下に見えたら、私も座っていい、と自分に許していたりする。じゅうぶん歳をとっているのに、未だに優先席に座ることを気兼ねする気持ちが残っているのだ。
 
そういう人は案外多いように見受けられる。電車よりも優先席が少ないバスで、高齢に見える人が、優先席が空いているのに、一般席の方に座るのをよく見かける。そういう時、私は「あの人、じゅうぶん歳をとっているんだから、優先席に座ればいいのに」と思うのだ。その人は、自分よりもっと高齢の人が乗って来るかも知れないから、気兼ねせずに座っていられる一般席に座ったのだろう。しかし、私は「後から乗って来た若い人が座れるように一般席を空けておいて、高齢者は優先席に座る方がいいのに」と思ってしまう。考え過ぎというか、意地が悪いというか・・・・・・
だが同時に、もっと若い人から私も同じように見えているのかも知れない、という思いがよぎる。私も同じことをしているからだ。
 
 
高齢者であるという事実、実年齢よりも若く見えているだろうという願望まじりの自己認識、「高齢者に席を譲るべき」という若い時からひきずっている道徳観、そういったものが入り混じって、気持ちがもやもやしている。
 
先日、乗りこんだ電車で優先席が1つ空いていた。その席の前には女性が立っているが、座る気配がない。それなら、座らせてもらおうと、ぐぐいとその女性の横から割り込むようにしてその席に座った。いかにも図々しく割り込むのは避けたいのだが、そうしないと席にたどりつけなかったのだ。
 
座ってからチラっと前に立っている女性を見上げると、私よりは年下だろうがそんなに若そうでもなかった。しかも、はみ出さんばかりに物がたくさん入っている大きなバッグを持っていて、けっこう疲れているように見えた。その人は重い荷物を持っているにもかかわらず、「高齢者ではないのに優先席に座るものじゃない」と遠慮していたのだと思われる。
 
しかし、彼女が持つバッグはあまりにも重そうだ。
私は急に、その席に座ったことに気が咎めて来た。
そして、そのいかにも重そうなバッグを「お持ちしましょう」と申し出るべきではないか、と思った。
しかし、なかなか踏ん切りがつかなかった。
 
中学・高校時代は通学電車やバスで、座っている学生が前に立っている学生に手を差し伸べて学生カバンを持ってあげていた。みんな当然のようにそうしていた。
学生だけじゃない。電車やバスで目の前に立っている人の荷物を持ってあげるのはごく普通のことだった。特に女性はそうだった。
そんなことを思い出す。
 
でも、今はもうそんなことをしている人は見かけなくなった。
前に立っている人の荷物に手を差し伸べる姿を最後に見たのはもう20年以上も前だろうか。
いくら親切なことでも、誰もしなくなったことをするのは勇気が要る。
しかし、そんな勇気さえ出せなくていいのか。
 
昔、『小さな親切運動』というのがあった。
もし今、私ひとりで電車で荷物を持ってあげるという『小さな親切運動』を始めたら、東急線に「かばん持ちおばさん」が出没している、と噂が立ってしまうのではないか。
そんな妄想すら頭をよぎる。
 
最近は女性も体格が向上して重い荷物を網棚に乗せられるし、リュックにして手には持たない人も多いし、バッグを足元の床に置くことが多くなったから、前に立つ人の荷物が重そうで気の毒に思える場面が減っているのではないか。
そのように昨今の状況を分析(?)してみたりする。
 
しかし、今、目の前に立っている人の荷物は見るからに重そうで、持っているのが辛そうだ。
 
やっぱり手を差し出して「お持ちしましょう」と言った方がいい。
でも、やっぱり言いにくい。
私の気持ちは葛藤し続けた。
 
電車が次の駅に着いた。降りる人が多い駅で、ここで席が空くことが多い。
目の前の女性も、この駅で席が空くのを期待していたのではないだろうか。
しかし、この日は意外に降りる人が少なかった。
 
電車が発車すると、その人は、「もう我慢の限界」とばかりに、大きなバッグを足元の床に置いた。
やっぱり重かったんだ。心がチクチクした。
 
この先、自分の気がすむことがあるとしたら、目の前の彼女の方が私より先に降りるということだ。そうなれば、私の方が長く電車に乗らなければならないから、私が座ってよかったのだ、と苦し紛れだが言い訳が出来る。
 
果たして彼女は私よりだいぶ先の駅で下車した。私はほっと一息ついた。
 
優先席に気兼ねなく座れる歳になっても、こんな風に心が揺れてしまうことがある。
 
初めに書いたように、概して人は歳をとっても若く見られたがるが、電車の優先席に座る時などは、歳をとって見えるのをありがたく感じる。
しかし人間というのは、いくつになっても若い時の自己認識や道徳観念を年齢に合わせて書き換えることなくひきずっているようだ。少なくとも私はそうだ。それで、未だに日常生活の中で若い時と変わらない迷いや葛藤を抱くことがままある。
 
一方で、逆らえない老化とともに、社会の中で庇われる存在になることに肩身の狭さを感じることが増えて行きそうだという自覚もある。私の母がそうだった。どんなに高齢になっても、公共の場で人の迷惑にならないように気兼ねし、人に気を遣わせまいとするところがあった。
 
そんな母のことを思い出すと、もっと年齢なりの現実に対して素直になっていい、感謝して気遣いを受けるようになれたらいい、と思えて来る。
これからそんな老成への道をゆっくり進んで行きたいと思う。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325



2021-09-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事