生きる証
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記事:Hisanari Yonebayashi(ライティング・ゼミ平日コース)
僕は友人との約束を守るため、彼の奥さんと娘に会った。
その友人とは3年以上前に会ったきりだ。
そして、もう会うこともできない。
「わざわざ、ありがとう」
光太郎が右手を差し出し、僕たちはいつものように握手を交わした。
高校時代にやり投げをしていた筋骨隆々の身体は会う度に痩せていき、握る手も細く、握力も明らかに落ちてきていた。
それでも、その日は比較的元気だったようである。
ひとしきり思い出話に花を咲かせ、笑いあった。
大学からは別になり、住むところも遠く離れ、年に何度かしか会えなくなったけど交流は続いていた。
「なあ、お前と会うのは今日が最後になるかもしれないな」
起こしたベッドの枕に頭を着けたまま光太郎が言った。
「おいおい」
と、突っ込んではみたが、その言葉は重く、いたずらに否定することは憚れた。
「また、来るよ。誰か会いたい奴はいるか?」
僕の質問には答えず光太郎は僕の目をしっかり見ながら言った。
「お母さん(妻)は何も言わないけど、分かるんだ。もう退院は無いと思う。夏が来る前には……」
光太郎は大きく息は吐いて目を閉じた。
しばらくすると瞼を上げ再び僕の目を見ながら続けた。
「頼みがあるんだ。娘がもう少し大きくなったら俺のことを話して欲しいんだ。お母さんと会う前の事とか、どんなことでもいいよ。俺が生きて、笑ったり泣いたりしてきたことをさ。元気にならなきゃダメだって頑張ってきたけどもう無理だ。まだ二歳の沙梨に俺の記憶はほとんど無いだろう。俺の生きた証を沙梨に伝えて欲しいんだ。どんな些細なことでもいいから、俺のこと思い出して話して欲しい」
光太郎の顔は覚悟を決めた顔だった。
「分かった。約束する」
差し出した右手はふんわりと握り返された。
「じゃあな」
光太郎は目を閉じたまま僕に手を振ると、そのまま眠ったようにも見えた。
鎮痛剤で朦朧としていることが多く、もう会話が成立することも難しくなってきていたらしい。
「こんなにお話できたのは久しぶりなんですよ。嬉しそうでした。ありがとうございます」
2歳の子を抱っこしながら頭を下げる光太郎の奥さんに僕はかけてあげる言葉も見つからず、ただただ、何度も頷くしかできなかった。
それから1ヵ月ほどして夏を迎えることなく光太郎は亡くなった。
彼の言った通りあの日が光太郎との最後の思い出の日になった。
光太郎の娘は5歳になっている。
可愛い奥さんには似ずにあいつにそっくりになってきたのは年賀状で確認済みだ。
お父さんとの思い出話をいっぱいしてあげよう。
彼女は喜んでくれるだろうか。
光太郎と一緒に撮った写真をいっぱい持って光太郎にそっくりな沙梨ちゃんに会った。
何度かは会ってはいるけど当時2歳の彼女が僕を覚えているはずがない。
「こんにちは。さりです」
3年経って5歳になった沙梨ちゃんは立派に自己紹介できる女の子になっていた。
まるで初対面のように沙梨ちゃんは警戒心でいっぱいだ。
でも、若き父、光太郎と僕が一緒に写っている写真を見せたとたんに心が開いた。
光太郎がやりを持って横断幕の前で恥ずかしそうに写っている写真があった。
「輝け光太郎!」と書かれた横断幕は僕の提案だった。
「恥ずかしい話だけど俺の名前ってさ、輝くような存在になれってオヤジが考えたらしい」
お父さんの思惑通り、光太郎はスポーツ万能で明るくて人気もあった。
彼がいるところはいつでも光が当たっているように輝いていた。
沙梨ちゃんにとって17歳や20歳のお父さんは物珍しいようだった。写真を指差しては
「これがおとうさん?」
と、お母さんの方を向いて何度も確かめていた。
お父さんの記憶はやはりほとんど無いらしい。
最近は自分にはお父さんがいないということが理屈では分かっているようだが、納得はしていないのだそうだ。
「沙梨ちゃんのお父さんはカッコよかったんだぞ! 光太郎はもう年を取ることもないしね。ずっと若いまま」
「そうなの? おじさんは、としをとるの?」
「うん。沙梨ちゃんが大きくなったら、おじさんはおじいちゃんになっちゃうな」
「おじいちゃんになるの? きゃきゃっ」
沙梨ちゃんは無邪気に笑った。
僕は成長していく我が子を見守れずに亡くなってしまう無念さを思った。
一生幸せにするって言って結婚したのに先に亡くなってしまう無念さを思った。
そして残されてしまった人たちの悲しみを知った。
「また、おとうさんの、おはなし、きかせてください」
お母さんの耳打ちに促されて沙梨ちゃんがたどたどしく言った。
「また会おうね。お父さんの生きた証を聞いてね」
僕は沙梨ちゃんの小さな右手を握りしめながら言った。
「あかしってなーに?」
沙梨ちゃんはお母さんを見上げた。
「お父さんはね。みんなの心の中にいるのよ」
お母さんは愛おしそうに沙梨ちゃんの頭を撫でながら言った。
僕たちは私鉄の駅で別れた。
線路を挟んで向かいのホームに二人は立って手を振っていた。
僕はこらえていた涙がボロボロとこぼれ落ちたけど、悟られぬように表情は笑顔のまま頑張った。
奥さんは仕事を持ってしっかりと自立していた。
沙梨ちゃんも立派に成長していて光太郎の様に大きくなりそうだった。
光太郎の愛した宝物は今でもピカピカと輝いていた。
子供の頃、教会で「証(あかし)TESTIMONY」とは神からいただいた愛を人に伝えること、と教えてもらったことがある。
僕は光太郎から受け取った愛をきちんと伝えられただろうか。
沙梨ちゃんが大人になったら、お父さんとお母さんの馴れ初めやお母さんと会う前の光太郎の淡い恋の話をしてあげよう。
それがきっと僕にできる「生きる証」なのだろうから。
***
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