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人生の墓場は、悪くない。


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:石綿大夢(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ここが、人生の墓場か。少し建て付けの悪い扉を開けて、古い、少しカビ臭い匂いが鼻をついた。扉を開けるとそこには会社の事務所へ続く、急で短い階段が続いている。
この階段を登っていいものか。いや、でも迷っている余裕は自分にはないはずだ。
不安に支配されそうになりながら、足取り重く階段を登り始めた。
僕は、その日からタクシードライバーになった。
 
「良い仕事あるんだけど、やってみない?」
ある時、俳優仲間の友人が声をかけてきた。僕も彼も星の数ほどいる売れない俳優の一人だ。当然、生活費を捻出するためにアルバイトをしなければならない。だが、これがなかなか難しい。
まず、スケジュールが立てづらい。
急なオーディションが入ることもあるし、舞台の仕事ともなると、長期で休まなければならないこともある。頑張っている若者を応援したいという会社も増えてきていて融通がきくところも少なくないが、一昔前は、舞台の仕事が決まるたびにアルバイトをやめなければならなかったと、同じく売れていない俳優の先輩から聞いたこともある。
だから、時給が良くて急なシフト変更にも柔軟に対応してくれる、そんなアルバイト先はとても貴重だ。
友人曰く、スケジュールの融通は効くし、慣れればある程度の収入も見込める。そんな仕事を紹介してくれるというのだ。僕はちょうどその時、アルバイト先の人間関係で少し悩んでいたし借金もあった。良いイメージはあまりなかったが、仕方なく話に乗ることにした。
それで紹介されたのが、タクシー会社だったのである。
 
 
好きを仕事に。
ユーチューバーという仕事が世に認知されだしたくらいの時期だっただろうか。好きなことをして、お金を稼ぐ。そういった耳触りがいい言葉をここ数年よく耳にする。実際、インターネットやSNSの普及が後押しした部分は大きいが、システムとして好きなことで食べていく=生活費を稼いでいくことは、一昔前ほど不可能なものではなくなってきた。
だが僕はタクシードライバーという仕事を好きで始めたわけではなかった。
なんとか俳優を続けるための、それとは違う、お金稼ぎの手段。ただ単純にそれぐらいに思っていた。
 
 
 
「◯◯通りも知らないの?」
「大変申し訳ございません。私、新人でございまして……」
「しょうがねえなぁ。次の信号右」
もう何度目だろう。東京の道路に関する地理研修はあったけど、実際ハンドルを握って道路に出ると、全くといって良いほど道がわからなくなる。
カーナビは標準装備されているので、調べる時間さえもらえれば問題ない。だけどタクシーを利用する人というのは、基本的に急いでいる人だからそんな暇は与えてもらえないこともある。
指示された場所やそこまでのルートがわからず、頭を下げた回数は数えきれない。この日も、同じく朝から頭を下げ続けていた。
仕事を始めて1ヶ月。正直、僕は限界を感じていた。
タクシードライバーの仕事というのは生活が不規則になりがちである。
朝の8時に仕事に出れば、会社に帰ってくるのは日付の変わった夜中の3時か4時ごろだ。“隔日勤務”という働き方で、勤務の次の日は休みとなる。朝方家に帰って、起きたらお昼はとっくに過ぎている。しかも明るい時間に寝るから、眠りは浅いし、体調も不安定になる。
今まで飲食店でのアルバイト経験ばかりだった僕は、その不規則な生活に慣れることが出来ないでいた。
睡眠が不規則だから、気持ちも弱る。出勤の足取りは重く、体調も優れない。
その日も、やる気なく街を流していた。
 
 
確かあれは、日本橋の方だったと思う。一人のおばあさんが手を挙げていた。
いつも通りの手順で停車し、扉を開ける。
「ご乗車ありがとうございます」
「ごめんなさいねぇちょっと待ってねぇ」
おばあさんは足が悪いようで、杖をついていた。タクシーの段差でさえ乗るのも一苦労のようで、ゆっくりと乗車してきた。
「ごめんなさいねぇ時間かかっちゃって。ここに行きたいんだけど……」
おばあさんは住所の書いてある、小さいメモを僕に手渡してきた。
「かしこまりました。ご住所、お調べいたしますね」
ん? この住所……この辺りだぞ?
 
手渡された住所は、おばあさんを乗せた場所から100メートルも離れていない距離だった。しかしどれだけ距離が短かろうが、発車してしまえば初乗り料金がかかってしまう。
「お客様、このご住所、すぐそこなんですけど……」
半信半疑で、一応、聞いてみる。短めの距離でも利用される方はいるが、流石にこれほど近いのは初めてだった。
「あ、いいのよいいのよ、そこまで行って頂戴」
まぁいいなら、いいですけど……。普段通りの手順で車を発車させると、ものの数秒で目的地に到着した。そこには古いマンションがあった。
「お客様、先ほどのご住所は、このマンションのようですが……」
「ありがとう。ほんと助かったわ!!」
 
何気ない。本当に何気ない一言だった。
おばあさんからかけられた「ありがとう」と「助かったわ」が、スコーンと心に響いた。
そのおばあさんは、満面の笑みでこう続けた。
「ほんと、ありがとうね。これよかったら取っておいて」
差し出された手の中には、おばあさんの手の温もりが移った100円玉があった。
 
おばあさんが降りた後、不思議と気持ちが軽くなっていた。
仕事を“受ける側”になりがちな俳優の仕事や、今までやったアルバイトでは体験できなかった充足感があった。
人の役に立つ。本来“仕事”ってこういうものなのかも。
法律のことがよくわからないから、弁護士の仕事が成り立つし、手の込んだラーメンを家庭で作るのは難しいから、ラーメン屋は今日も賑わう。
人が困っていることを助けて、その対価としてお金をもらう。タクシードライバーが歩合による出来高制だからかもしれないが、お客さんから頂く料金の重みと温かみを改めて思い知らされた。
同時に、嫌で嫌でしょうがなかった仕事が、少し好きになった瞬間だった。
 
 
 
人生の墓場、と一部では揶揄されてきた仕事。それがタクシードライバーである。
リストラにあった会社員や、事業に失敗してしまった人。そんな人たちが集まる仕事というイメージが強いからだろう。実際、そのイメージは間違っていない。そういう境遇でタクシー会社に流れ着く人は多い。
だから憧れて、好きで始める人は、一握りだ。
今でも朝早起きするのはダルいし、長時間の運転はしんどい。しかもこのコロナ禍、緊急事態宣言の影響で街に人気がない時間も、必死になってお客さんを探す。そういう時は自分で自分を励まさないと、やってられないこともある。
でも悪くない仕事だよって、少し微笑みながら言えるくらいには、この仕事が好きなってきた。
 
 
 
 
***
 
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