僕たちは付箋に支配されている
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:日下秀之(ライティング・ライブ大阪会場)
「なんでもっと早く言わなかったの?」
妻(当時は彼女)からラインが届いた。明らかに怒っている。
「え、ごめん。そんな大事なことだった?」
何故怒っているのかよくわからないままに、そう返す。
・出張が長引いた
・彼女と彼女の友人の食事会に大遅刻する
・なんなら、多分行けない
そんなことを、本来なら着いているくらいの時間に送った直後だった。
「何故分かった段階で連絡しなかったのか」「時間通り付く予定だと思って準備していたのに」「相手にも失礼だ」その後も続けざまに彼女の正論がスマホを揺らす。
それを見ながら、頭の中でモヤモヤが駆け巡る。
(え? そもそも自分はこの会に必須だったのか。
彼女が友達と会うのであって、自分は行けたら行く、くらいの話じゃなかったのか。
……そもそも早く伝えたところで遅れる結果は変わらないじゃないか。
だいたい俺も急な仕事で忙しかったんだ。
逆の立場だったら、俺は『しょうがないよね』で済ませるし。
なんでこんなことで怒るんだ?)
冷静に見れば誰がどうみても報連相が出来ていない男でしかないが、その時の自分はただイラついていた。
心のこもっていない謝罪を改めて返し、帰路を急ぐ。
……ああ、帰るのが憂鬱だ。
だいたいいつもこうだ。
「これくらいいいや」と思ってやったことが、彼女を怒らせてしまう。
「自分は」怒らないものは「彼女も」怒らないだろう、と勝手に判断してしまう。「自分が」大事な価値観は、「彼女も」大事にしてくれるだろう、と思い込んでいる。
自分勝手な人間であることには気が付いているし、互いに価値観の溝があることはわかっているが、どうすればいいのかわからない。
自分は人の気持ちや価値観を、読み取る能力が欠落している。しょうがない。この言い訳を自分にするのが癖になっていた。
帰宅してからも喧嘩は終わらず、気まずい空気が流れていた。
こんな気持ちのずれの積み重ねが、この関係をあっさり終わらせてしまうのかもしれない。
悶々とした思いを抱えたまま、喧嘩から数日が立った。
彼女がおもむろに付箋とペンを取り出し「KPTをしよう」と言った。
ケーピーティー? なんだそれは。
「KはKeep。ありがとうを伝えたいこと、続けたいこと、そんなポジティブなことを書く。PはProblem。解決したいことだったり、ごめんねを伝えたいことを書く。最後にTはTryで、これから具体的にやっていきたいことを書くの」
元々はビジネスの振り返りの手法で、ソフトウェア開発で主に使われているらしい。
よくわからないけど、やってみるか。
言われるがまま、付箋を手に取る。
まずはK。今月はどんなことがあったっけ。そういえば、彼女が旅行の手続きをしてくれた。書いておこう。
次はP。ごめんねを伝えたいこと。やっぱりこの前の喧嘩か。
……今考えるとどう考えても自分が悪い。
当時のラインを振り返ってみると、どうみてもノリノリで行く旨を伝えていた。
遅れるのが分かってから連絡するまでの数時間、普通に休憩も取っていた。
そんな「ごめんね」や「ありがとう」は書き出せば意外とたくさんあるもので、お互いの手が止まるまで、数十枚の付箋を書いた。
続いて付箋の内容を声に出しながら、壁に貼っていく。
「旅行の準備をしてくれてありがとう」青の付箋を壁に貼る。
「いつも料理をつくってくれてありがとう」妻も黄色の付箋を壁に貼る。
心がほわっとした。
そうか、普段当たり前にやっていることでも、感謝されると嬉しいんだ。
同時に、自分が普段あまりにも感謝を伝えていないことにも気が付く。
Kの付箋が終わった後、緊張しながら数日前の喧嘩について書いた付箋を手に取る。
「わかった時点ですぐ連絡せずにごめんね」青の付箋を壁に貼る。
「うん、こっちもごめんね」黄色の付箋が壁に貼られた。
話し出すのすら億劫だった喧嘩が、あっさりと終わってしまった。
そこでようやく、あの時思っていたことを二人で冷静に話せた。
最後に二人でT、トライを考えた。
「喧嘩」ではなく「課題」を解決するように、どうすればあの喧嘩を防げたかを二人で考えた。すごくすっきりした気持ちだった。
それから、KPTが我々の恒例行事になった。
月の頭の土曜日、二人で付箋とペンを持ってクローゼットの前に座る。
黙々と気づいたことを付箋に書き、クローゼットの壁にはる。
日常の些細な「ありがとう」「ごめんね」「もやもや」に気が付くことが増えた。
互いの素直な気持ちを伝えることが増えた。
数か月続けると、KPTの効果は「気持ちを素直に伝えられる」だけじゃないことがわかった。
お互い、ネガティブなことを言われる心の準備ができるのだ。
普通なら、楽しい日常の中で重い話はしにくい。
空気が悪くなったらその後どうしよう? そんなことを思って、つい話題に出すのを避けてしまって、後回しになって、場合によっては手遅れになる。
KPTという場があるから、解決しようという意思があるから、お互いに耳の痛いことを言われる覚悟が持てる。
勿論、付箋に書いた内容がきっかけで逆に喧嘩したこともあるし、大喧嘩した月は何を書こうかと想像して気が重い。
けれど、僕たちはペンと付箋を持つ。
どこかで、気持ちを言葉にすることの大切さに気が付いているからだと思う。
1回のKPTで100枚くらいの付箋は使う。少なくとも15回はやっているから、二人で最低でも1500の気持ちを言葉にしたことになる。
それだけやっても、まだまだ喧嘩するし、お互いよくわからない価値観もある。
僕たちは、親友でも、恋人でも夫婦でも、どこまで行っても他人だ。
相手の考えていることも、自分の考えていることも、言葉にしないと伝わらない。
それでも今、妻と仲良くいられるのは、二人がお互いを理解しようとし続けているからだと思う。そのためには、我が家では付箋が欠かせないのだ。
これからも、我が家の付箋の支配は続く。
***
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