2人目育児楽勝! と思っていた私に起きた革命とは
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:吉田けい(ライティング・ゼミ超通信コース)
娘は育てやすい子だと思う。
新生児のお世話といえば授乳、げっぷ、オムツ替え、寝かしつけ、沐浴、着替え、これだけだ。どの母子も産後ボロボロの状態でこのリズムを整えるまでに苦労するのだが、娘は生まれたその瞬間から上手に母乳を飲み、たいした寝かしつけもせずにすんなり寝ついてくれた。寝すぎてはいけないからとぐっすり寝ているところを起こしても、泣きもせずにキョトンとしている。コロナ禍での出産後の入院中は夫すら面会できず、かと言って娘はスヤスヤ眠ってばかりで、私は病室で暇を持て余す羽目になった。娘と3歳差の息子の時は何もかもうまくいかず疲弊しきっていたので、どこか拍子抜けしたような心地で過ごした。
退院してからも娘は相変わらず育てやすかった。入院中に出来上がった授乳のリズムに合わせてだんだんと起きている時間が増え、しっかりと昼寝・夜寝をするようになった。息子の時は寝かしつけにとても苦労したので、当時の二の舞にはなるまいと娘の睡眠リズムの遵守に心血を注いだ。そうすると不思議なもので、親の私たちの生活リズムも整ってくる。昼寝をしたら昼食、夜寝までにお風呂と夕食。そうしているうちに、夜中の23時まで絶対寝ないマンだった息子もいつの間にか22時、21時と寝る時間が早くなっていった。
なるほど、生活リズムを整えるとはこういうことか。
当たり前の言葉が実践されていくのを見てやけにしみじみとした気持ちになったのを覚えている。息子の就寝時間改善は長らく悩みの種であれこれ手を尽くしていたのだが、20時に寝室に入っても、真っ暗な寝室で布団の上をのすのす3時間歩き続けるような子どもだったのだ。生活改善だって当然取り組んでいたが、息子1人の時は、何でもかんでも「イヤ!」という息子の説得の時間が伸びるばかりで、結局は彼の思惑通りになってしまう時も度々あった。娘が産まれ、生活をふにゃふにゃの赤ん坊に合わせるようになってから、彼の「イヤ!」だけではまかり通らないことも増えてきたのだ。今までバラバラの時計を持って生きてきて、そのせいで疲弊してきた私たちが、頭を突き合わせて各自の時計を合わせたかのようだった。
そうだ、家族になるとは時計を合わせるということなのだ。食事の時間、寝る時間、人の数だけ時計がある中で、わざわざ時計を合わせて一緒に暮らしていくのが結婚であり家族なんだ。私たちは今までそのことに気がついていないから辛かった。息子も娘のように、時間を最優先してお世話してあげていたら、もっとよく寝る子になっていたかも知れないな。でもそれは結果論で、息子の時の大変な記憶があるから、娘は気をつけようと思うことが出来たんだ。夫ももう少し、自分以外の時計も意識するようになってくれないかな。
家族の時計を意識しながら生活すると、食事やお昼寝、お迎えといったフェーズまでの残り時間に合わせてタスクを組み立てるようになる。それは単に仕事のタスクだけではなく、育児家事生活の全般に渡る。娘が元気な午前中のうちに、散歩がてら買い物に行こう。娘が昼寝をしたら、息子のお迎えまでに一気にこの仕事を片付ける。お迎えの時間ですぐ帰ると夫のzoomにモロ被りするから、ちょっと寄り道して時間をずらそう。帰ったらすぐお風呂に入れたいから、今のうちに風呂掃除も終わらせなくちゃ。ねえ、夕飯はこのおかずなら、お米3合炊いておけばいいかな? あっ風呂掃除の前に残り湯で洗濯しちゃいたい! いけない、メール返信してあの請求書をすぐに送らなくちゃ……。
家族の時計に合わせるための、同じようで少しずつ違う日々の積み重ねは、まるでカードゲームのようだった。学生の頃に友達の間で大流行した大貧民というトランプゲームだ。大富豪という呼び名の方が有名なのかも知れないが、慣れ親しんだ大貧民と書かせていただく。大貧民の開始時にカードが手元に配られるように、朝の私の手の中にタスクとアポイントとやりたいことがやって来る。私は場を見回して、あいつがジョーカーを持ってるなだとか、早めに切り抜けようだとか、アタリを付けて自分のカードの采配を決める。今日は散歩を諦めるだとか、寝静まってから一気に仕上げるだとか、そんな事を考える感覚が大貧民とよく似ている気がしたのだ。
大貧民は奥深いゲームだ。手札の出し方に戦略の幅があり、強いカードを持っているからと慢心していると、弱いカードの重ね技に太刀打ちできずに勝機を逃すようなことになったりもする。誰もが配られた手札を穴が開くほど眺めて、勝利を引き寄せるための戦略を考えるのだ。強いカードがあったらなあ、と嘆くのは簡単だが、配られた雑魚カードでどうこの場を切り抜けるのかを考えるのがたまらなく面白い。
そう、配られた手札の悪さを嘆くのではなく、今の手持ちでの最善策を考えるのだ。
洗濯のタイミング。仕事をする時間の捻出。割り切って子どもと遊ぶ時間。配られた24時間とタスクを並べて組み合わせて、どうすれば無駄がなくなるか、どうすれば効率よくなるか。夜型になればいいのか、超早起きすればいいのか。娘は相変わらずおりこうで、息子もだんだんと寝てくれるようになってきて、夫も育児だけでなく家事もかなり率先してやってくれるようになってきた。イタズラをした時の?り方はこう。この日は私の親に子守を頼もう。こっちはファミサポ。周りの手を借りて、仕事する時間を作って、遅れてしまった分も取り戻すんだ。私は大貧民に熱中するような感覚で、タスクのパズルを組み上げてはこなし続けた。そうやって工夫を積み重ねていけば、最強のカードを持っていなくてもうまいこと行くようになっているのだ、私は今まで何度も大貧民をそうやって勝ち抜いてきた。
「……変だなあ」
ある日、私は耳鳴りが止まなくて困惑していた。ちょうどアポイントがあり外出した日で、帰宅した頃から始まり、そのうち治るだろうと様子を見ていたが治るどころか強くなる一方だったので、夫に子どもを託して耳鼻科を受診した。医者の問診のあと聴力検査をして、検査結果を聞くころにはもうなんとなく察しがついていた。
「突発性難聴ですね」
診断を告げる声すらも、耳鳴りの向こうから聞こえてきた。
「……難聴……」
体が丈夫なことが取り柄だと思っていたのに。
耳の中の器官にリンパ液がたくさん入ってしまうことが難聴の原因だが、なぜリンパ液がたくさん入るのかは原因不明だそうだ。ストレスや疲労が原因とみなされているため、医師は静養するよう言ってきた。すぐに来院したので服薬で治る可能性が高いとのこと、一時的な断乳とともにステロイド薬が処方された。息子は哺乳瓶拒否をする子だったので娘はずっと哺乳瓶に慣れており、断乳期間中も問題なく過ごすことが出来た。幸い薬はよく効いてすぐに治ったが、一週間としないうちに同じ症状が再発した。もう一度受診すると、「急性低音障害型感音難聴」という正式な診断名と、メニエール病の可能性があることを告げられた。
難聴。
ストレスで、難聴。
体感として、夜に仕事などをして睡眠不足になると、翌日の耳鳴りが酷くなるようだった。夜にしっかり寝ないといけないとなると、今まで夜にまとめてやってきた仕事や家事が出来なくなってしまう。私が持つ最強のカードが封じられてしまったのだ、あとは日中という目まぐるしく忙しい時間帯でどうにかやりくりしてやっていくしかなくなってしまった。夫は慌てふためいて的外れな慰めの言葉をかけてくれたが、それで心が晴れやかになるわけでも、耳鳴りが収まるわけでもなかった。
今まで積み上げてきたものが、このまま上手くいくと思っていたものが、すべてダメになってしまった。
「…………革命だ」
大貧民で言うところの、革命が起きたのだ。
大貧民は、同じ数字のカードが4枚揃うと、革命という技を発動することが出来る。大貧民で革命が起きると、カードの強さが逆転し、最強だったカードが最弱に、最弱だったものが最強となるのだ。前のゲームの勝者で、敗者から強いカードを貢いでもらえる大富豪にとっては最も恐るべき事態である。
大貧民で革命が起きると、誰もが自分の手札を見ずにはいられない。強いカードが弱く、弱いカードが強くなる。革命が起きるのは大抵ゲームの中盤から終盤の頃なので、みんな雑魚カードは殆ど出し切ってしまっている。終盤に自分がクリアするために残していた強いカードが雑魚となるのだからたまらない。ついさきほどまで敗者の大貧民が苦しんでいたような状況に、誰しもが追いやられてしまうのだ。雑魚カードと成り果てた自分の手札で、どうやって勝ち抜いていけばいいのか。まるで強烈なインフレが起きた後の札束のように、かつて最強だったカードを場に出していく悔しさ。混乱の最中、何とか逃げ切れた時の安堵感。
突発性難聴の診断は、それまでの私の手札をすべてひっくり返した。再発したという事は今後何度も再発する可能性があると医師は言い、それはその分だけ通院の時間を割かなければならないという事を意味していた。睡眠時間を削ることが症状を悪化させるなら、毎日のように夜に作業することもできない。仕事を、タスクを、減らさないととてもやっていけなくなる。天狼院の課題や講義に時間を割くなんて到底できやしない。家族の時計に合わせることが出来なくなる……。どうしよう、どうしよう。
「…………本当に、革命だったらなあ」
大貧民では、革命のカードが出た瞬間は最高に場が盛り上がる。そんな時に別の人が革命返しという、更に革命のカードを出してカードの強さの反転を反転、つまり元に戻すようなカードを出したりするともうどうしようもなくマックスボルテージで湧き上がるのだ。難聴ではなくて大貧民の革命だったらどんなにかよかっただろう。これはとんでもないことになってきた、どんな風に勝ち抜いてやろうかと、興奮に震える指で自分の手札を並べ替えていたに違いない。
「…………」
私という人間の生き方をがらりと変えるという意味では、やはり革命というにふさわしいのかもしれない。でもそれは、自分は病気だとうじうじと落ち込むための革命なのだろうか? 幸い薬は効くのだから、働き方を、生き方を見直して、より良く生きるための革命と捉えることはできないだろうか? 家族の時計のためにあれこれ尽くしていた私だが、夫や息子、娘も、私の病気のために通院の時間などで協力してくれているのではないか?
これは、本当に、革命なのかもしれない。
ここからが面白くなってきたと、興奮に指を震わせるところなのかもしれない。
そう考えると、耳鳴りが少し小さくなったような気がした。
***
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