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愛犬の死の間際、私はその姿を絵に描いていた。〜君を線で追いかけた〜


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
 
 
なぜ、そんなことをしようと思ったのか、今でははっきりと思い出せない。そのとき、私はクロッキー帳を開いて、今まさに死に向かおうとしている愛犬を描きはじめた。
紙の上を、スーッと鉛筆がすべる。鼻先からのぼっていくなめらかなライン。それは耳の付け根につながって、柔らかな耳元の毛が伸びる。ゴールデンレトリバー特有の長い毛並みは流れるようで、茶色の瞳と金色のまつ毛がきれいで……
 
その頃、私は絵画教室に通っていた。ちょうど新しい画法の「クロッキー」を習っており、毎週、愛犬の「ロビン」をモデルに絵を描いていた。
クロッキーとは「短時間に線のみで描く画法」で、一気に対象を描き上げることで集中力や観察力がグッと高まり、その瞬間や雰囲気をそのまま紙の上に描きとることができる。頭であれこれ考えるのではなく、限られた時間の中で、感性をそのまま線にのせるのだ。
そんな短時間で描くというクロッキーの特性上、動くものの方が緊張感があっていいということで、私は愛犬をモデルにしていた。
 
クロッキーを描きながら初めて気がついたこともある。ロビンはいつも庭先から、家の中ばかり見ているのだ。夕飯前の忙しい時間、パタパタと家事をこなす母。その姿をずっと目で追っては、母が窓に近づくたびに、ピクリと耳を立てて期待するように待機する。一緒に遊んでくれるかもしれない、散歩に連れて行ってもらえるかもしれない、と。そんな表情一つひとつを拾いながら、線にしていった。
 
けれども、ロビンが病院へ運ばれたのは、本当に急な出来事だった。高校受験を控えた中学3年生の夏。塾で講義を受けていると、一本の電話がかかってきた。
「今病院で、ロビンが、もう危ないかもしれない……」
母の切羽詰まった声に、まだ状況を理解できないながらも泣きながらタクシーに乗り込んだ。昨日まで元気だったのに……
 
『血管肉腫』。体内に腫瘍ができ、それが破裂すると体内に血が流れ出て貧血状態となり、死に至ることもある病気。医師には、今回は出血が多く手術をしても保たないかもしれない、と言われてしまった。
 
自宅へ戻ると、ロビンは痙攣を繰り返した。いいときには少し回復し、尻尾をふって起きあがろうとするが、時間がたつと痙攣し苦しそうに胃液を吐く。確実に、体の中で命が削れていく。
嫌だ、嫌だ、きっと大丈夫。絶対、また動けるようになる。私は多分、家族の中で誰よりもそう信じて疑わなかった。こんなに急にいなくなってしまうなんて、受け入れられなかった。
 
痙攣の合間、なぜ、そんなことをしようと思ったのか、今ではよく覚えていない。私は、クロッキー帳を開いた。鼻先から始まって、何度も撫でた頭へ、それから、柔らかくて大好きな耳へ。何度も何度も、なぞった線。クロッキー用の薄い紙の上を、鉛筆がするすると滑った。手は、いつの間にかロビンの輪郭を覚えてしまっていた。もう頭で理解するよりも先に手が動いて、線が写し出されていく。ゆるやかな線で、輪郭だけではなくて、今この瞬間の空気を紙の上に描きとめるんだ……
 
今にして思えば、きっと私は「怖かった」のだ。ロビンが死んでしまうことが怖くて不安で仕方なかった。こんなに大好きで、こんなに愛しているのに。もちろん、いつか死の瞬間が来ることは分かっていた。だけど、こんなになんの前触れもなく……
毎日抱きしめている、その身体がなくなってしまうことが怖かった。そこにはもうどうしようもない、とてつもない虚無感が広がっているのではないか、自分はそれに耐えられるのだろうか。
だから、描きとめようとしたのだと思う。当時はそんなふうに言語化できてはいなかったけれど、「残さなきゃ」という気持ちを強く覚えている。ロビンがまだ“生きている”この瞬間を、なんとか残しておかなければならない。ある種の強迫観念とも言えるような気持ちは、この後に訪れるであろう虚無への恐怖からで、誰より「行かないで」と泣いた私は、心の奥では誰よりも臆病にその瞬間を覚悟していたのかもしれない。
 
後々、「死」というものは、時間で癒すしかないのだと知った。大切な相手がいなくなっても、日常は続く。どうしようもなく悲しくても、受け入れる他に選択肢はなく、時間はその助けとなってくれる。
それならあんなに怖がって、クロッキーなんて描く必要はなかったのかもしれない。でも絵というのは、ことさらクロッキーというものは、ふと見返せば、あの瞬間に自分がとらえた空気と感情が、言葉ではない感覚の塊として胸の内によみがえるのだ。
 
最後のときを迎えていく愛犬は、最初は少し気怠げで、ずっと寝てなければいけないのがちょっと不服そうだった。私はその瞳を大事に描いて、なんとか生きている光を描き残そうとした。最後はとても穏やかで、ゆっくりと吐息の感覚が遠くなっていった。死後に描いたクロッキーは、不思議と何枚描いてもぬいぐるみのように体温を感じなかった。私が死後硬直を知ってしまったからかもしれない。
 
やっぱり、あの瞬間をこんな風にそのままごろりと胸の中に残すには、クロッキー以外に方法がなかっただろう。今は、寂しいけれど、最後の瞬間の悲しみも含めて、大事な思い出のようにも思える。
 
クロッキーを描きながら、いつも、何気ない仕草の中に見つけた感情の一つひとつを愛でていた。それは死の間際でも同じで、描きながらその消えゆく心を一番近くで感じていれたのかもしれない。大好きだったロビン。最後の最後まで、線で君を追いかけた。
 
 
 
 
***
 
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