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メディアグランプリ

不法出入国顛末記


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:山口萬里(ライティング・ゼミ2月生)
 
 
電話中の、Sさんの様子が、なんだか変だ。
「あれ〜? ちょっと待ってくださいよ……、エ〜ッと……」
と、どうやら言っているらしい。
言っているらしいというのは、英語だからだ。
 
なにか、トラブっているのだろうか?
と思っていたら、
「ちょっと山口さん、これおかしいですよ。どうなってますか?」
と今度は日本語で問いがきた。
 
ハワイのSさん宅に、ひと月ばかり居候中の出来事だった。
 
Sさんは、英語のできないわたしに代わって、航空券購入の交渉を旅行会社と電話でやりとりしているところだった。むろん、わたしの帰国用チケットである。滞在を延ばしたので、オープンチケット分を廃棄して、新しく購入することにしたのだ。パスポートが必要だからと、先に手渡していた。
 
ところが、必要事項を相手に伝えている最中に、Sさんはなんと私の旅券が期限切れであることに気づいたのである。それでも、澄まして手続きの方は手配を終わらせてくれたのだが……。
 
翌日、チケットを受け取りに行くわたしは、正直おっかなびっくりだった。旅行会社の係員が事実に気づいたら、チケットは手に入らないだろう。そうなったら、わたしは一体どうなるのであろうか。不法滞在者として、アメリカで収監されてしまうのだろうか?
 
 
渡米用のチケットを手配したのは、そこいらの旅行代理店のカウンターではなかった。実は、行きつけの飲み屋のママさんの采配で、さる大手旅行会社の社長が自ら部下に指図して、今回の段取りをつけてくれていた。シャキッシャキの若い社員に旅券を手渡し、わたしのチケットを直に準備してもらったのだった。そんな精鋭のはずの彼なのに、期限切れに気づかなかったのかしら?
 
思えば、この旅券で、わたしはよくぞアメリカに入国できたものだ。期限切れパスポートを澄まして提示して日本の出国を済ませ、アメリカのあのしつこいイミグレーションを平然とすり抜けたのだもの。
 
翌朝出向いた旅行会社の社員は、わたしの心中の逡巡を知ってか知らずか、パスポートをざーっと事務的にチェックし、わたしの顔をちらりと確認しただけで、あっさりとチケットと共に旅券を返却してくれた。どうやら重要なのは、顔と名前とナンバーのようであった。
 
 
しかし、問題はここからなのだ。チケットは手に入れたものの、これからさらに、出国手続きと日本での入国手続きの二つの関所を通過しなければならない。
 
知らずに通過してきたときは、何の不安も感じないでいられたのに、不備を知ってしまうともう平静ではいられない。心の負担は相当である。帰国の日までの数日間は、ハワイを楽しむどころではなかった。
 
 
ドッグドッグと鼓動が次第に早くなってきているのが、自分でもわかる。早朝の空港は人気が少ないから、余計に四方八方から自分だけが注視されているような気がしてきて、神経が昂ぶる。タクシーでホノルル空港まで送ってくれたSさんが戻ってしまうと、一人になって一気に緊張が増した。
 
そういえば、TVドキュメンタリーでやっていたなー。麻薬の持ち込みをする人間を見極めるには、彼らの挙措動作を基本的に注視しているのだという話だった。意図を持った人間は、巧みに平静を装っていても、何かしらの妙な仕草をするものらしい。特に目の動きにそれが出やすいと言っていた。長年検閲をやっていると、気配のようなものをやはり感じものらしい。
 
う〜ん、やっぱり心を無にすることだな。何も考えない、考えない。呪文のように「考えない」を繰り返しながら、出国審査を受ける。右手でひょいと突き返された旅券を見たときは「ハッ」としたが、黙って受け取ったわたしは、感情を高揚させないよう心して、忍び足でその場を離れた。
 
やったー! 出国成功!!
 
緊張がほぐれると同時に、日本に到着するまではもう考えることはやめて、ひたすら眠ることにしようとわたしは思った。そこで、安定飛行に入るなり酒をたらふく飲み、日本までの9時間近くを眠って過ごした。
 
それが良かったのかもしれない。日本の入国審査のときは少々頭がぼんやりしていて、惰性に流されるような気分で審査場を通り過ぎた。そのせいか、いつも無愛想な審査員に「お疲れさまでした」と声をかけられて、かえってびっくりしたのである。
 
 
それにしても、アメリカに1ヶ月近く不法に滞在してきたことに、われながら驚く。まめに慎重そうなくせに、ズボラな性格がこんなところで発現するなんて。反省して、わたしは帰国後すぐに、新しいパスポートを申請した。
 
考えてみれば、審査も人の仕事だもの。あれほど厳密そうなイミグレーションの係員たちも、要はポイントを押さえているだけだったのか。と、少し拍子抜けした気分でもあった。もちろん顔による本人認証以外は、確かに名前と旅券番号よりほかは、おまけみたいなものかもしれない。
 
しかし、これは現在の話ではない。9.11よりも以前の話である。現在は審査ももっと厳しくなっているし、コンピュータのチェックも加わってきているから、こんな長閑な話など生まれてくる余地はないだろうう。


2022-05-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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