メディアグランプリ

18年前の「交換日記」から私たちの人生は始まった


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:秋篠奈菜絵(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「こん人は『人物』やけんなぁ~」
 
これまで何人かの人が私の夫を「人物」だと言っていた。「人物」には、「人柄が良い」「立派な人」という意味合いがあるそうだ。その意味を知って、私は深く納得する。妻の私から見ても、夫は本当によくできた人だなぁと思うからだ。それは、何か秀でているものがあるとか、器用だとか、能力が高いとかそういうことではない。ただただ、とにかく優しいのだ。しかも、その優しさが押し付けがましくもなく、人のために動いているように見えて半分は自分の楽しみでやってのけるような軽快さが、いつもある。
 
そんな彼との出会いは、19歳の時だった。大学の新歓コンパでフラフラと酔っ払ってる私にさりげなく水を汲んできてくれた。「2週間前に彼女と別れたばかり」ということを友だちにからかわれて苦笑いをする彼の口数が少ないところも雰囲気もなぜか忘れられなかった。
 
数日後、彼からデートのお誘いのメールが来て心臓が飛び出るほど驚いた。彼はポーカーフェイスなところもあり、好意を持ってもらえてるとは全く思ってなかったからだった。こうして、出会って一週間で私たちは付き合うことになった。
 
付き合ってみたものの、やっぱり彼の気持ちはよくわからなかった。彼が口下手なのもあるのか、私がペラペラ本音を言いすぎるからなのか、とにかく彼のことをもっと理解したいと思った。
 
「ねぇ、交換日記しない?」
 
ダメ元で提案した。すると、「おう、いいね」とまさかの快諾! そこから私たちの交換日記が始まった。
 
もちろんその時代には、携帯電話もお互い持っていたし、気持ちを伝えるのはメールで事足りた。でも、敢えて「めんどくさい」交換日記をしたかった。交換日記を渡すためだけに、待ち合わせ場所と時間をメールでやりとりした。待ち合わせ場所に行くときには、なぜか毎回ドキドキした。もらった交換日記を開くたびにワクワクしたし、「彼の新たな一面」を知ることができて嬉しかった。そして、やりとりを交わすたびに彼の純粋さと優しさをひしひしと感じ、もっともっと愛情が深まっていくのを感じていた。
 
結局そのやりとりは一年半ほど続き、自然となくなっていった。もう、交換日記を必要としないくらいお互いのことをわかっていったからかもしれない。
それから私たちは6年間付き合った後に結婚した。そのうちの3年間は県を跨いで遠距離恋愛だった。一足先に故郷に戻り、就職した彼と大学生の私を3年間繋いでくれたのは、「文通」だった。お互い忙しく、数ヶ月に一度しか会えなかったけど、月に一度は届く手紙はいつも心を温めてくれた。メールはいつも簡単なものばかりだったけど、手紙となると彼の気持ちがよく伝わってくるから不思議だ。お金が無かったので、彼に会いに行くときはいつも鈍行列車で乗り継ぎ乗り継ぎ、片道4時間かけて会いに行った。毎回別れ際は辛かったけど、いつか一緒に暮らせると信じてお互いの場所で頑張っていた。
 
そしてその日々が実を結び、小さな海の町で二人の結婚生活が始まった。二人とも夢だった小学校の先生になり、毎晩色んな話をした。金曜日は、必ず海の町の居酒屋に出で釣れたばかりの魚と地元のお酒を楽しみながらお互いを労った。
 
結婚して3年が経ち、息子が産まれた。この世にこんなに愛おしい存在がいるのかと衝撃を受けた。その2年半後には次男が産まれた。夫はどちらの出産にも立ち会ってくれて「2人を産んでくれてありがとう」と何度も伝えてくれた。
 
幸せの絶頂、のはずだった。
 
けれど私の身体はいつの間にか病に侵されていた。次男が8ヶ月になった頃、夜高熱にうなされ、呼吸がおかしくなり、意識が朦朧とするなか救急車に運ばれた。これが最後かもしれないと思いながら次男に授乳をしたのが、本当に最後になってしまった。
 
病名は「バセドウ病」だった。聞いたことがある病名だった。
看護師さんが言った。
 
「こんなになるまで頑張って……色々不調はあったでしょう?早めに病院に来てくれたらよかったのに」
 
思い起こせば、色んな不調があった。体重はどんどん落ちていたし、お腹の調子もずっと悪かった。動悸も激しかった。でも、子育てに必死すぎて自分が病院に行くという発想が生まれなかった。
 
私が緊急搬送された夜、ギャン泣きする次男をあやしながら、不安に押し潰されそうになりながら、夫は車で1時間の距離を数時間かけて病院に辿り着いた。そして、医師に告げられた。
 
「今日奥さんの意識がなくなったら、覚悟してください」
 
たくさんの管に繋がれた私の足元で、夫は私の目を見て「愛してるよ」と言った。その時のことはなぜか昨日のことのように覚えている。「まだ一緒に生きていたい」心からそう思った。頬を涙が伝った。
 
一命を取り留め、一週間ほどで退院することになった。夫は、「次は自分が育児休暇とるよ」と言って、当時まだ珍しかった小学校男性教諭の育児休暇を一年間とってくれた。その一年間は彼にとっては「壮絶」だったらしく、「世の中のお母さんたちすごい」「4年間も育児休暇とってくれてありがとう」と何度も言ってくれた。とはいえ、息子たちとのかけがえのない時間を共にできたこともとてもよかったようだ。
 
それから仕事に復帰してからも、これまで以上に家事をしてくれる。してくれるどころか、私よりも確実に頑張っている。洗濯も掃除も料理も、薪割りも草刈りも畑仕事も。どこからそのエネルギーが出てくるのかと驚くほどだ。
 
そういえば結婚する前も結婚してからも、私たちは滅多に喧嘩をしていない。周りの人に「なんでそんなに仲がいいの?」と聞かれたことがある。
 
「ご飯作ってくれてありがとう」
「洗濯物してくれて助かった」
「今週もお疲れ様」
「この前はごめんね」
「大好きだよ」
 
私たちはよく自分の気持ちを相手に伝えている。伝えるのが恥ずかしいときは、手紙を書く。日々のことは、きちんと言葉で相手に伝える。出会ってから18年。ずっとそうやって関係を紡いできた。その一つ一つが今の私たちをつくっているのだと思う。
 
人の気持ちは、言葉にして伝えないとなかなか伝わらない。
 
18年前の「交換日記」がなかったら、もしかしたら私たちは夫婦にすらなっていなかったかもしれない。「文通」がなかったら、遠距離恋愛も寂しさに耐えられなかったかもしれない。気持ちを伝えるって、大事だ。
 
夫婦に限らず、誰にでも「言葉にして気持ちを伝える」ということを大事にしながら、これからも生きていこうと思う。
 
 
 
 
***
 
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2022-05-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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