大学時代はどどめ色の青春だったと思っていたけど
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:近本由美子(ライティング・ゼミNEO)
最近、大好きな若手のミュージシャンがいる。年甲斐もなくハマっている。
その彼の歌の一つに「青春病」というのがある。歌詞を聞いていると時代は変わっても、若い時の悩みっていつもやるせないものだと思う。
「青春はどどめ色~♪」というフレーズが新鮮に響いてくる。
青春は青でなくどどめ色だと。それはどす黒い紫色のことだ。さわやかでもなんでもない、ドロドロになって濁った色の果てのような色だ。
そんなことを思って聞いると、30数年前の自分のどどめ色の青春の頃が思い出されてきた。それは奈落の底にいるような気分を味わっていた時期だった。そして同時に強く記憶に残っているある人のことも一緒に思い出す。
その人との出会いは19才の夏の終わりの頃、渋谷の富ヶ谷にある治療院だった。
わたしは当時、福岡の田舎から陸上競技でインカレ優勝を目指す強豪校に進学していた。さらに競技者としてもっと自分の可能性に挑戦したいと思ったのだ。
だけど、現実はそうそう順調にはいかなかった。
ある夏の日、練習中に左太ももの肉離れ、つまり筋断裂をおこして歩くこともままならない状態になってしまった。しばらくして少し回復すると練習をはじめてまた悪化するというなんとも絶望的なループ状態になっていた。
それを見ていた、3年生の先輩が「Sさんのところに行ってみたら。わたしもお世話になっている女性の治療院の 先生だから」と紹介をしてくれた。
小田急線の代々木八幡駅から徒歩5分のマンションの中にその治療院はあった。
まだ東京の街になれていないわたしは、紹介とはいえ知らない治療院に一人訪ねていくのはとても心細いものだった。
恐る恐る「こんにちは……」とドアを開くと「どうぞ。あ、古賀さんね。ちょっと待っててね」と小柄な30代半ばくらいの女性が笑顔で迎えてくれた。それがSさんとの最初の出会いだった。
治療台でうつ伏せにになったわたしのカラダをSさんは丁寧に触れながら痛みの個所を的確におさえていった。
「あなた、ずいぶん無理しちゃったわねぇ」とまるでわたしの心の悲しみに同調するような声でつぶやいた。
しっかり数か月間でも休養すれば、まだ回復の見込みはあったのかもしれない。だけどその頃は試合に出ないという選択はなく、だましだまししながら練習し試合に出ていた。個人競技のような陸上競技だけど、リレーメンバーに選ばれていて、インカレ総合優勝とか、そういうことが関係していると先の自分のことを考える余裕も勇気もなかった。
そんなわけだから、筋肉はドンドン硬くなり大学2年の頃は、背中全体に圧迫感がでて、夜寝る時は痛みで仰向けになることが出来なくなった。いつもくの字でカラダを丸めながら寝ていた。「あ~、すっきり快調なカラダに戻りたい……」と願ってもそれはもう叶わぬことのように思えた。
そうしてそんな辛さは誰にも言えない孤独を抱えていた。
その頃はSさんのところには2週間に1回のペースで通っていた。仕送りの中からやりくりして治療費を払うとそれくらいが限界だった。
Sさんの治療院はアスリートや市民ランナーも多かった。Sさん自身も市民ランナーでマラソンを走ることもある人だった。そのためアスリートのコンディショニングにも精通していた。
メンタルケア―という言葉が日本にまだない頃だったが、治療しながらこころをほぐしてくれるようなおしゃべりがわたしの唯一の救いでもあった。
Sさん流のチャーミングな応援のおしゃべりを聞き続けているとだんだんケガを嘆くより、今の自分が出来ることをやるしかないのだと思えるようになった。
わたしは自分のことをSさんに話すことはなかったのだけれど、Sさんは不思議とわたしの胸の内をわかってくれているようなところがあった。
田舎から出てきたこと。期待の沿えない辛さ。不甲斐なさを感じていること。無理して明るくしていること。お見通しだったと思う。
Sさんの治療院は一人でやっていてプライベートな住まいも兼ねていた。待合室という区切りはなく、忙しいためか いつも部屋が雑然としていた。
「Sさん、ここ洗ってもいいですか?」
わたしは自分の治療を待つ間、たまった洗い物など許可をもらって片付けることがあった。お世話になりっぱなしで何か役に立ちたいと思ったのだった。
3年生になる頃には随分カラダも楽になり治療時間に空きがあると「ねぇ、今から代々木公園にジョギングに行かない?」と誘われて一緒にジョギングに出かけることがあった。木々の擦れ合う音を聞き、風を感じながら一緒におしゃべりしながら走っていると不思議とリラックスできた。
その頃には治療院の先生と患者という関係が友人のような、同志のようなそんな関係に変化している気がした。
4年生になった頃「あなた3日に1度治療に来なさい。その代わりお願いしたいことがあるの。治療は最後の時間でいいかしら。早めに来て片付けを手伝ってしてほしいんだけど。それを治療費にするから」とSさんは言った。
つまり治療費はいらないと。その思いがけない提案を聞いて涙が出そうになった。
わたしはそんな提案のおかげで、なんとか4年間の競技生活を終えることが出来、4年生の時は100名以上いる部の主将を任されていた。
競技者としての自分成績は、ちっとも満足のいくものではなく辛く感じることの方が多い4年間だった。それはまさしくどどめ色の青春だった。
卒業がまじかに迫った頃、「あなたが卒業して田舎に帰ると寂しくなるわ」としみじみSさんはわたしに言った。
わたしは春から地元で高校の体育教師になるのが決まっていた。
「ねぇ、今から銀座までシャンソンを聞きにいかない?」といたずらぽい笑顔でSさんは誘った。それはお決まりのジョギングで行くという意味だ。
そのお店は銀座7丁目にあった「銀パリ」というシャンソン喫茶だった。大人の雰囲気が漂うお店のすみっこの席に座りSさんは飲み物を注文してくれた。するとしばらくして女性の歌手がシャンソンを歌い始めた。それに聞き入っていたSさんの横顔から涙が一筋流れていくのが見えた。
Sさんの中にある悲しみをわたしは知らないのだと思った。
思えばSさんも田舎から出てきて働きながら学校に通い、治療院を開いた人なのだ。
大学4年間の時の中でこの人と出会い過ごした時間があったおかげで嫌いになりそうだったどどめ色の東京の記憶が温かく優しい色の記憶に変わったのだった。
***
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