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母親による陽水と春樹の英才教育


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記事:籔田聡(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
都会で自殺する若者の増加よりも、様々な問題を抱える日本の将来よりも、恋人の所に行くための傘がないことの方が今の私には問題だ。私が幼い頃によく聴いた井上陽水「傘がない」の歌詞は、ざっとこんな感じだ。7歳まで住んだ家の記憶には、必ずBGMに井上陽水が流れている。幼い子どもに相応しい歌では無いだろう。陽水をセレクトしたのは母親だが、親としての意図はない。彼女は井上陽水のファンだった。だから、ごく当たり前のように井上陽水が家の中で流れていた。
 
母親は、親らしく振る舞おうと気を張るタイプの人ではなく、自然体の大人だった。私が小学校に上がる頃、ファミコンソフト「ドラゴンクエストIII」が流行した。我が家でも兄がねだって買ってもらい、兄弟で夢中になって遊んだ。しかし、一番最初にクリアしたのは母親だった。息子達からゲームの遊び方を聞いた彼女は、夜な夜な息子達が寝静まってから冒険を進めていたのだ。流行りものをやってみたいという気持ちに素直に従い、大いに「ドラクエ」を楽しんでいた。また私が小学生の頃に、母親は薬剤師としてパートを始めた。家計の足しという側面もあったのだろうが、それよりも同世代の人とコミュニケーションを取りながら働くこと自体を楽しんでいたように思う。母親はそんな人だ。
 
一方で、母親はとても真っ当な大人でもあった。薬科大学を卒業して企業に就職、結婚して二人の子どもを育てた。特に教育熱心なわけでもなかった。医者や弁護士になって欲しいだとか、一流企業に入って欲しいだとか、そういう類いの過度な期待を息子達にかけるような親ではなく、何かを押し付けられた記憶はない。井上陽水に関しても同じだった。私は母親が好きだからと言って興味を持つこともなく、ただ特徴的な歌声の歌手だなぐらいに思っていた。
 
高校生になると、私は周りの音楽や本に片っ端から手を伸ばした。お金がないので、自然と家にある物を手に取った。私はそこで井上陽水との再会を果たした。聴いてみると、不思議とどの曲も口ずさむことができた。メロディを知っているのだ。歌詞はあやふやだが、何となくこんな言葉だとわかる。その時、自分は知らぬ間に井上陽水の英才教育を受けていたのだと気づいた。それから、井上陽水が少しお気に入りになった。
 
同じ頃、私は村上春樹という作家にも出会った。「ノルウェイの森」と「風の歌を聴け」、それといくつかの短編集が家にあった。どれも母親が買って読んだ本だった。読んだ順番は覚えていないが、小説の中で「僕」と「鼠」と「ジェイ」がいる街のモチーフが自分の住む街であることを知り、親近感を覚えた。そこから村上春樹が描く世界観にどっぷり浸かり、酔いしれた。とても心地良かった。大学時代、小説に出てくる「ジェイズ・バー」に憧れて、接客は苦手にもかかわらずバーでアルバイトをした。こうして、私は大学を卒業するまでに、短編のほとんどと文庫化されていた長編を読んだ。ただ、その頃はストーリーを咀嚼することなく、丸呑みするような感じだった。話の筋はまるで頭に入っておらず、母親と同じ本を読んでいたのに感想についてさほど話したことはなかった。どうやら母親は同世代同郷の村上春樹に親近感を抱いていたらしい。それぐらいしか知らなかったが、当時の自分にとってそれは自然なことだった。
 
私は社会人になってからしばらくの間、井上陽水とも村上春樹とも距離を置いていた。日々目の前の仕事をこなすのが精一杯で、自分のキャリアだとか仕事のスキルだとか、とても現実的なことに目が向いていた。
 
2022年5月7日。村上春樹の短編小説「トニー滝谷」を読んだ。おそらく今回が二度目だ。何となく記憶にあるその不思議なストーリーに、自然と私は考えさせられた。主人公の妻の空っぽになった衣装部屋と父親が収容されていた独房がリンクするように描かれているのは何故か? 大人になった主人公がジャズ奏者である父親の演奏を久しぶりに聴き抱いた違和感の正体は何か? ストーリーに隠された意図を自分なりに解釈するようになっていた。最初に読んだ時には気がつかなかったことに、自然と気がつくようになっていた。そして余韻に浸った。丸呑みしていた大学生の自分はきっと、読み終わったあとすぐに短編集に収録されている次の物語「7番目の男」を読み進めていたに違いない。
 
4、5年前から自分の世界に井上陽水が帰ってきた。久しぶりに聴く井上陽水の歌詞は、大人でも意味を汲み取ることが難しい。曲のテーマは「人生」や「男と女」などが多く、今だからこそ良さがよく身に沁みる。「リバーサイドホテル」、「いっそセレナーデ」、「人生が二度あれば」、「とまどうペリカン」など、幼い子どもが井上陽水の曲に詳しいという状況がいかに可笑しいかに、今になって気がついた。
 
3年前、母親が亡くなった。余命半年と言われてから、できるだけ多くの会話をした。井上陽水の歌声や歌詞の素晴らしさ、村上春樹のストーリーの面白さついて、短い時間だったが一緒に語ることができた。幼い頃から刷り込まれた井上陽水や村上春樹の作品。歳を重ねてから再会し、懐かしさと共に楽しめるのは、母親の英才教育のお陰だったのだ。
 
亡くなる1ヶ月前のある時、母親が言った。
「自分の人生は良かった。いろんな所に行き、いろんな物を楽しみ、二人の息子を育てた。これ以上何を望むことがあるのか? とそう思えるようになったら気が楽になったのよ」
 
今日2022年5月8日は母の日。昨日読んだ「トニー滝谷」について母親と話してみたかった。
 
 
 
 
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2022-05-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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