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空を飛ぶ女性の正体


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小川大輔(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「は? 何この人? なんで空が飛べるの?」
 
全く理解できない。
 
それは、もう15年以上前のこと。20代だった僕はある企業で派遣社員として働いていた。内容は化学商品開発のための研究補助。その企業は日本を代表するような会社であったが、別の商品での認知度が高く、化学の研究をしているなんて全然知らなかった。
僕は化学事業部へ配属され、社員の人から依頼を受けた実験をひたすら繰り返しては結果を提出していた。……思いきり文系なのに。
 
この企業で出会った人達は僕の固定観念を大きく変えることになる。
化学の研究者といえば理系。理系の頭のいい人=プライドが高く、変わっていて、傲慢。そんな偏見を勝手に抱いていた。
でも、全然違った。
 
想像もできないような難しい仕事をし、恐ろしいほどの能力を持っているにも関わらず、皆さんびっくりするほど穏やかだった。傲慢に接してくるどころか僕に気を遣ってくれ、大切に扱ってくれた。それは「辞められたら困る」というような負の感情からくるものではなく、皆さんの「人柄からにじみ出る大らかさ」からくるものであることは、疑いようもなく肌で感じることができた。
偏見はいつしか尊敬へ変わっていた。
仕事量も最初は1人の社員さんの仕事を任されるだけだったが、徐々に増えていき、最終的には10人程の仕事を任せてもらえるようになった。
楽しかった。そして嬉しかった。こんなにも尊敬できる人達と働くことができていることが。そして信用してもらえていることが。「この人たちのようになりたい」と強く思った。
 
そんなある日、自分の感情を揺さぶるきっかけとなる出来事が起きる。
いつものように出社し実験室へ向かう途中、見たことのない若い人が実験装置について先輩から説明を受けている。「誰だろう?」と思ったものの、あまり気にせずその場を去り、仕事を開始する。
後で聞いてみるとその人はどうやら新入社員だったようで、本配属が決まる前の半年ほど研修期間として僕と同じ課に配属されるとのこと。他にもう1人、計2人の新入社員さんが同じ課に配属されてきた。
 
話をしてみると、2人とも僕と同い年。他の社員さんと同じように頭も人柄も良い。
それまで周りの人はみんな年上だったので友達ができたみたいで最初はとても嬉しかった。仕事は前にも増して楽しくなった。
……でも……。
いつものように過ごす日常の中、ふと頭にこんなことがよぎった。
「あの2人はこれまで、努力して努力して、今ここにいるんだろうな。それに比べて僕は何をやってきたんだろう」
 
同じ職場で働く者同士。本当に友達のように、同僚のように接してくれている。でも僕は正社員ではない。研究者として入社してきた2人に圧倒的な差を感じた。正確に言えば、重ねてきた努力の差と能力の差に、だ。
その瞬間、一緒に働けていた「嬉しさ」は本当に驚くほど一発で「劣等感」に変わった。
 
もちろんその後も他の社員さんやその2人とは変わらず楽しく仕事をし、関係性は変わらない。でも劣等感が消えることはなかった。
 
派遣期間満了の3年を迎える頃、僕は選択に迫られた。派遣社員として働いている以上、就職活動もしていた僕は内定をもらっているところがあった。派遣社員としての契約を更新するか、内定先へ移るのか。大好きな会社、働いていて楽しいと思える環境、そして心から尊敬できる人達。ここで働いていたい。でも僕は正社員じゃない……。
「断腸の思い」とはあの時の気持ちをいうのだろう。僕はその大好きな会社から去ることを決心した。
 
大好きな人達がいた会社。僕はここで働いたことがきっかけ、と言える何かを始めようと思っていた。ここの人達の能力全てに追いつくのは無理。でも何か1つに絞ればその部分だけでも追いつくことができるんじゃないか。
 
何がいいか考えた結果出た答え、それが「英語」だ。
 
グローバル企業であるこの会社ではよくTOEICの話がでてきていた。TOEICはご存じの人も多いかと思うが、英語の「聞く」「読む」のスコアを990点満点で測る、かなり認知度の高いテストだ。これに挑戦してみようと考え、会話の中でそれとなく自然に社員の人の点数を聞いていた。僕が聞いた中で最も高かったのは680。もっと高い人も当然いるだろうが、これを越えれば少なくとも追いついたといえるのではないか。「英語」の部分だけでも。
 
She takes off her shoes.
 
「なんだこの女? なんで靴で空が飛べるの? サイボーグなのか?」
 
take off を「離陸」と訳し、空を飛んでいる女性の姿が頭に浮かぶ。僕はそれほど英語が苦手で、拒絶反応すら持っていた。意味が分からん……。
当たり前と言えば当たり前だが、まず単語が分からない。文章の構造がどうなっているのかもさっぱり。意味が分からないという点で言えば、英語は僕にとって象形文字と何ら変わりなかった。
勉強方法すら分からなかった僕は、貪るようにインターネットで良さそうな教材を探し、パソコンにインストールして「聞く」「読む」両方の訓練ができ、TOEICの範囲を網羅しているものを見つけた。少し胡散臭い気もしたが購入。すぐさまその教材で勉強を始める。あれもこれもと他の教材には手を出さず、ひたすらこれだけを1日2時間、毎日やり続けた。
 
どうしても、どうしても、憧れてやまなかった人達に追いつきたかった。
 
実際に試験にも申込み、試験の空気を肌で感じ取ってみる。長い。とにかく長い。それなのに時間が全く足りない。最後の問題まで解ききれない。問題数は選択方式で200問あるが、だいたい170~180問くらいで時間切れになってしまう。間に合わない問題の解答を時間切れ寸前に適当に答えることもできたが、それは絶対にしなかった。なぜなら自分の実力を測るためにやっているのだから。
 
1年を過ぎたころ、僕のスコアはなんとか600前後にまで上がっていた。
しかしここでまた壁にあたる。何度受けてもそこから上へスコアが伸びない。「同じように勉強を続けているのになぜ?」気持ちがヤキモキする。
他の教材にも手を出したが、まだまだ680に届かない。
 
そこでどうしたか。
僕は思いきって勉強方法を変えた。発売されている「TOEIC公式問題集」を買ってきてやりこむ方法に切り替えた。この問題集は実際の試験と同じ内容で構成されており、解説もついている。限りなく実戦に近い問題集だ。デカいし、値段も高いが……。
この問題集を何度も何度も繰り返し解き続けた。
効果があるかわからない。
でも必死で。
 
「空を飛ぶ女性」を見てから3年弱が経っただろうか。部屋に1通の封筒が届いた。
TOEIC公式委員会からのもの。落胆しないよう期待値を下げておそるおそる結果を見る。
スコア……700。
 
嬉しかった。この結果が出たところであの人達が雲の上の存在であることに変わりはない。ただの自己満足だということもわかっている。それでも嬉しかった。
あの企業で働けたことがきっかけで始めた英語。追いつきたい一心で始めた英語。その副産物として、多少なりとも今の仕事に役立っていることは間違いない。
 
She takes off her shoes.
 
空を飛ぶ女性の正体はサイボーグではなく、ただ靴を脱いでいる普通の人間だった。
 
今の僕を見て、あの頃のように「やるねぇ、小川くん」と言ってくれるだろうか。
僕はもう1度、大好きだったあの人達に会いたい。
 
 
 
 
***
 
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2022-05-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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