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ショート小説『サヨナラと今日も言えない毎日で。』


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事はフィクションです。

母親というものはこれほど小さくなるものだろうか。
あれほど大きく眩しかった私の太陽が、今では棺桶の中で小さくしぼんで横たわっている。

齢158。
生きるにつれて体は衰えていくのだから仕方がない。けれどあまりに小さいではないか。

「姉さん、またそんなしかめっ面して」

喪服の裾を掴まれて、弟の方を振り返ると、

「もう、母さんを心配させんで」

ひそひそと囁く。葬式会場には、すでに親戚たちが集まってきていた。
弟には分からないのだ。この家にずっといて、母さんが少しずつ衰えていく様子を見ていたからなのか……

あぁ、肩が狭い。この人の肩は、こんなに狭かっただろうか。
骨に皮が張り付いて、指が枯れ木のように細い。目が落ち窪んでしまって、閉じたまぶたに暗い影が落ちている。そうして母さんの身体を見るほどに、眉間に力が入ってしまうのだ。
母さん似とよく言われていた私も、いつかこんな風になっていくのだろうか。

式は粛々と進む。黒服の人々が次々に棺桶に手を合わせていくけれど、その背中は既に曲がっていて、一礼しているのか分からない。長い長い、黒い列。線香の煙が充満してきて息が詰まり、途中で窓を開けに立った。

『いつ死んだら、いいんやろうかねぇ』

120歳を超えたころ、母さんは紅茶のカップをゆっくり持ち上げながら呟いた。

『どうしたの、そんな』

医療技術はすでに発達していた。この国の平均寿命は、昨年137歳に更新されたという。

『もう私はいいんやけどね、やっぱり自分じゃ死ねんけん』

思い返せば、紅茶をすする母さんは、至極真っ当なことを言っていた。
今年で私も123歳。体の痛みは、薬を飲めば緩和される。けれど、思った通りにすぐには動けないし、顔のシワが想像以上に深まるにつれてだんだん鏡が苦手になった。
結局、どんなに痛みを麻痺させて先端技術で抗ってみても、細胞一つひとつの衰えを止めることはできないのだ。身体の中で血が巡るスピードがゆるみ、いろんな音を奏でていた体内がだんだん静まっていくのが自分でも分かる。

「姉ちゃん、もうこっちに戻って来んね」

110歳になった弟の口元にも、たてシワが目立つ。

「都会での生活もそろそろきついんじゃなかか? 施設ば使ってから。お金はあるんやろう?」

そうだ、私も120歳まで現役だった。筋トレ・脳トレを毎日かかさず続けて、あとは長年の経験と人脈で働き続けた。仕事は楽しかった。

「もちろん、おふくろが使ってた部屋もあるし……」

骨ばかりの細い指を思い出す。けれど、すり合わせた私の指も、コツッと骨のぶつかる感覚がする。

「ねぇ、あんたはいつ死ぬか決めてる?」

そう聞くと、弟は、小さく萎んだ目を少しだけ広げた。

決行を決めると、何故だか心はすぅっと軽くなった。あのときの母さんの言葉の意味が、じわじわと分かっていくほどに、重苦しい何かを背負っていたのかもしれない。
どんなに体が重たくなっても、愛着のわいたそれを自ら手放すのはやっぱり勇気がいる。自分のことを大切にしてくれる人たちもそばにいる。けれど、いつからか「死なずにすんでいる」のではなくて、「生かされ続けている」と感じるようになってしまった。

弟を先に帰らせると、私は、棺を開けた。
肩の狭くなった、小さな母さん。本当に骨ばかりで、思ったよりもずっと軽くて驚いた。受付のテーブルにかかっていた白い布をふわりとかけて運び出す。

ーーこんなことをする娘を、許してくれるよね?

全自動車のナビに、昔の秘密基地を入れる。弟と隠れてお菓子を食べた、防風林の松林だ。ここなら誰の目にも止まらないだろう。

少し迷って、布はかけたままにした。もうあまり母さんの姿をじっと見るのはやめにしよう。私より35年も多く生き続けたのだ。母さんはやっぱり偉大だ。

パチっと、火の中で松ぼっくりがはぜる。松の実の油分でよく燃えるんだといつか遠い日のキャンプで教えてくれた。その火に包まれて母さんの身体はとうとう形を崩していく。
小さな塊を火種にごうごうと上がっていく炎。それがチロチロと赤い舌に変わって、ついにただ一本の煙になるまで眺め終わると、まるで自分のことも見送ったような気持ちになった。

帰り着くと、そのまま棺に寝転んだ。母さんの好きだった白いゆりの香りがふわりと鼻先をかすめる。遺灰は拾ってきて、足元にこっそりまく。
こんな風に、母親の葬式を利用してしまうのは不謹慎だろうか。けれど、やっぱり私も怖いのだ。こんなチャンスがなければ、もうきっと、幕引きを自分で選べる気はしない。

薬を全部飲み終えてから、ふと気がつく。棺桶のすぐそばにコップがあると朝一番にやってきた弟が不審がるかもしれない。けれどもう、一度横たえた体を起こすのは億劫だ。もうここから起き上がるつもりなく、寝転んでしまったのだから。

あぁ、目をつぶってみると、久しぶりに少しだけ心臓の動きが早いような気がする。でも、ドキドキしているのは怖いからじゃない。いたずらっ子のような気持ちを、今になって思い出したのだ。

ーー誰か、気がつくかしら?

ううん、でもきっと大丈夫。私はよく、母さん似だと言われていたもの。それに、こんなにシワシワになった顔は、きっともう誰にも区別がつかない。みんな、ずいぶん目も悪くなっているはずだ。

胸にそっとおいた手に、脈が伝わる。
あぁ、私、生きてるなぁ……

そんなことを考えながら、意識はゆっくりと夢の中へ溶けていった。

***

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