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チカは今も歌っているだろうか


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:レティシア(ライティング・ライブ福岡会場)
 
 
初めて会ったとき、チカは17歳だった。
 
私は大学3年生で、就職活動に奔走し始めた友人たちを横目で見ながら、バンド活動に明け暮れていた。バブルの末期、平成という元号に慣れてきた頃だ。
 
大阪に住んでいた私がどんな経緯で神戸のあのカフェに行ったのか、今となっては定かではない。狭い階段を上った先の狭い店内には古い映画が流れていて、マスターが時折手品を披露していた。
 
カウンターで所在なく映画を見ている私に声をかけてきたのがチカだった。
休みの日にはよくこの店に来るのだという。高校を中退して、古着屋で働いているらしい。
なんとなくウマが合い、翌週もこの店に来ると約束した。
 
同世代の常連客が多い店だった。顔見知りが増えて行くにつれ、その店は、私の居場所的なものになっていった。
 
彼らは、親から仕送りを受けて大学に通っている私のことを「お嬢様」とからかいながら、時折本音を見せてくれるようになった。
 
いろいろな事情を抱えた子たちがそこには集っていた。明るさの裏に、大学の友人からもバンド仲間からも感じたことのない翳りが透けて見えることに、なぜかホッとする自分がいた。
 
チカは、母親とふたり暮らしだが、関係が悪く、家を出るための資金を貯めているそうだ。
 
高校を卒業したばかりのユカは「お母さんが、私のために離婚しないと言うのがいや。私を理由にしないでほしい」と怒っていた。
 
赤ちゃんの頃から施設で育ったというケンちゃんは、交通整理の仕事をしていた。赤い誘導棒は「カンテラ」といい、両手に持って誘導するのは技術がいるのだと教えてくれた。
 
大型バイクに乗っているイケメンのカッちゃんは、両親が離婚していて、バイクは離れて暮らす父親に買ってもらったという。
 
チカはカッちゃんとつきあっていたが、後から現れたサエちゃんに奪われた。
 
「サエちゃんに、『カツは、あったかい家庭を知らんと育ってるから、あんたじゃあかん。私はカツに家庭がどんなものかを教えてあげられる』って言われて、あたし何も言えんかった」
 
そう言って、チカは泣いた。
私は、ただオロオロするばかりで、チカの背中をさすることしかできなかった。
 
数週間後、私はチカに呼び出された。アルバイトの面接についてきてほしいという。
「姉と行きます、って言うてるから、よろしくね」
 
チカに姉がいるのを初めて知った。お姉さんは母親と喧嘩して家を飛び出し、音信不通なのだという。
 
待ち合わせ場所から向かったのは、スナックなどが入った雑居ビルだった。
 
「水商売するの?」
「お酒を出す店ではあるんやけど、私、ジャズを歌いたいねん。この間18になったから、雇ってくださいって電話してん」
「へえ、ジャズ好きなんや……」
 
ジャズバーの重い扉を開けると、年配のマスターが出てきて、店の奥に通された。
カウンターと、テーブル席がいくつか。そして、黒いグランドピアノ。
 
「なんでうちで働きたいと思ったん?」
「ジャズを歌いたくて。働くんやったらこの店やと思ってました」
「そう。うれしいねえ。シンガーは誰が好きなん?」
 
チカは何人かの名前を挙げたが、知らない名前ばかりだった。
 
「いいねえ。僕も好きやで。……うん、君はジャズの顔をしとる。採用。詳しいことはまた連絡する。すぐに歌えるわけやないけど、ウエイトレスとして働きながら、いろいろ学んでいきなさい」
「ありがとうございます!」
 
私たちは、駅前のファストフードで、ささやかなお祝いをした。
 
マスターに「ジャズの顔」と言われたチカの顔を見る。
日に焼けた肌に、くっきりした目鼻立ち。意志の強そうな目が印象的だ。おばあちゃんが黒人です、と言われたら信じるかもしれない。ちなみに「姉」だと紹介された私とは、どこも似ていない。
 
「ジャズ、好きやなんて知らんかった」
「ロックしか聞かへん?」
「うん。ジャズ全然わからへん。あ、けど、あの曲は好きやで。奇妙な果実」
 
ビリー・ホリディの歌う「奇妙な果実」とは、虐殺され木に吊りさげられた黒人の死体のことで、人種差別を告発する歌として知られる。
 
「私も好き。けど、あの歌は、黒人じゃないと歌ったらあかん歌やと思う」
 
それからしばらく話をして、私たちは別れた。
 
私は遅まきながら、就職活動を始めた。私より年下なのに目標を持って働いているチカや、その周りの子たちに触発されたのだ。夢を追うのは、自分で食えるようになってからだ。
 
「黒人じゃないと歌ったらあかん歌」というチカの言葉が、ずっと胸に残っていた。
「お嬢様」な私が、店に集う子たちの話を聞いて感じていたことと重なった。
 
私は家族との折り合いが悪かったので、彼らの親に対する思いには共感できるところがたくさんあった。でも、決して「わかる」なんて言っちゃいけない。たやすくわかったつもりになってはいけない。そんなふうに自分を戒めていたからだ。
 
その後、私は就職を決め、大学を卒業した。チカは頑張っているみたいだとケンちゃんから聞いたけれど、なかなか会えなかった。就職し、忙しい日々を送るようになった私は、次第に神戸から足が遠のいた。
 
そして、阪神淡路大震災が起こった。
 
連絡先を交換していなかったことが悔やまれた。店に行けば会えると思っていたのに、あのカフェもチカのジャズバーもなくなってしまった。
チカと会ったのは、あの面接の日が最後になった。
 
あれから数十年が経つ。
 
幼いなりに、つたないなりに、私たちは懸命に生きていた。彼らの生い立ちの過酷さに戸惑いながら、それでもそばにいたのは、傷つきを抱えたまま、たくましく生きている彼らに力をもらっていたからだ。
 
たやすくわかったつもりになってはいけない。
 
そう思いながら、私は今、カウンセラーとしていろいろな人の話を聞いている。
回復する力を信じられるのは、傷つきを言葉にできる人の強さを知っているからだ。
 
チカも彼らも、私のことなど、とうに忘れているかもしれない。
でも、彼らと過ごした濃密な時間は、今も私を支えている。
 
チカは今もどこかで歌っているだろうか。
 
きっと歌っているよね。
だって、チカは「ジャズの顔」なのだから。
 
 
 
 
***
 
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2022-05-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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