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午前1時、老女が読む森鴎外


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:光山ミツロウ(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「誰でしたっけ? 金閣寺。そうそう、三島由紀夫。全部読み返しましたもんねぇ」
「夏目漱石、あの人はホント、おもしろい」
「罪と罰でしたっけ? ドストエフスキー。2人も殺しちゃってねぇ。あれは苦しかった」
 
目の前の白髪老女の口から、文豪といわれる人たちの名前が次から次へと出てきた。
 
「小説が多かったんですか?」と私。
 
「そうね、半分くらいが小説で、あとは哲学書とか? 難しそうな本ばっかりでねぇ……私、その時はまったく興味なくて」
 
カウンターの向こうで、老女は苦笑した。
 
「全部を100としたら、今どれくらいまで読んだんですか?」
 
彼女に向かって私は言葉を投げてみた。
 
「7……くらいじゃないかなぁ」と彼女。
 
「あと93……まだまだ楽しめますね」と私。
 
カウンター越しに、老女と、残された本についての話をしながら、その人は一体どんな人だったんだろう……と、酔いに任せて、私は勝手な想像を膨らませていた。
 
「生きてたときは、本の話なんて、お互いしたことなかったんですよ。それが今は本ばっかり……笑っちゃいますよねぇ」
 
老女は静かに笑っていた。
 
午前1時の話だ。
 
居酒屋でさんざんっぱら酒を飲み、歌謡曲バーで阿呆ほど古い曲を歌った私は、小腹を空かせて深夜の飲み屋街をさまよっていた。
 
「カフェ◯◯、3:00amまで営業中」
 
人もまばらな暗い通りに、煌々と、そう灯っていたのが、この店の看板だった。
 
近づいてみると、長屋造りの2階、通りに面したガラス扉から直接伸びる階段を登った先に、その店はあるらしかった。
 
「あるらしかった」というのは、階段が暗く急なせいか、通りからは2階の様子がうかがえなかったからだ。
 
ただ、階段には、2階からと思しき、ぼんやりとした淡い光がかすかに届いていた。唯一、そのぼんやりとした光だけが、この階段を登った先に、何かしらがあることを私に教えてくれていたのだった。
 
看板に光る、みるからに80年代風のフォント。
ガラス扉の取っ手の、古い装飾。
カフェとは言い条、どこか古いブティックの雰囲気漂う店構え。
 
そして、ほの暗い階段に漏れる、ぼんやりとした淡い光。
 
他に行くあてもない私は、意を決した。
重いガラス扉を開き、淡い光だけを頼りに、暗くて急な階段をゆっくりと登っていった。
 
「いらっしゃいませ」
 
階段を登りきると、そこには、70代と思しき白髪の老女がいた。
彼女はひとり、カウンターの中に座り、読んでいた本から視線を上げ、立ち上がろうとしていた。
何となく、彼女のひとりの時間を邪魔したような気が、私はした。
 
「すいません、大丈夫ですか?」と私。
 
「はい、どうぞ、こんな店ですけど」と彼女。
 
店内は、西洋風なL字カウンターがあるだけの、細長い造りになっていた。
 
カウンターの上には、古いオーディオ、CDケース、リモコン、陶製の人形、造花、美術展のパンフレット、その他ジャンルのよく分からない雑貨のたぐい、そして何冊もの本が、淡い光に照らされて雑然と置かれていた。
 
クラシックが流れる店内は、飲食店というよりはサロンというか、彼女の趣味の部屋に遊びに来てしまったような、そんな雰囲気だった。
 
私はカウンターに座り、メニュー表にあった「生ビール(中)」と「お好み焼き」を頼んだ。
無論、この雰囲気でメニュー表にお好み焼きがあることに私は驚いた。
 
が、もっと驚いたことには、注文後しばらくして、彼女が私の前に笑顔でそっと差し出したのが、瓶ビールとグラスだった、ということだ。
 
「あの、生ビールを頼んだんですけど?」
 
とは、もちろん言えなかった。
 
とういうのも、私は客ではある……が、やはりここは彼女のサロンでもあったからだ。
 
ここは一番、彼女のサロン的な茶飲み友達に徹しよう。
だとすると、ビールが生だの瓶だの、そんなことにこだわるのは、このサロンでは野暮で無粋というもの。
 
そう頭を切り替えた私は、笑顔で瓶ビールを受けとり、中身をグラスに注いだ。
 
そうして、ふと横をみやると、カウンターに置かれた、一冊の分厚い本が目に入った。
 
「森鴎外全集」
 
それは、彼女が先ほど座っていた位置にそっと伏せて置かれてあった。
私は思わず聞いていた。
 
「森鴎外とか、読まれるんですか?」
 
「ええ、まぁ」と彼女。
 
カウンター内の小さな厨房で、手際よくお好み焼きをこしらえながら、彼女は続けた。
 
「今読んでるのは高瀬舟って話です。内容は、安楽死とか……かな。難しくて、何回も読んでるんですけどねぇ」
 
「すごい……ですね」と私。
 
午前1時に、クラシックをBGMに森鴎外の高瀬舟を読む、白髪の老女。
 
一方、さんざん飲んで、阿呆ほど昭和歌謡を歌った挙句、いまだ瓶ビールを離さず、お好み焼きをボサッと待つ、酔っ払いの男(私)。
 
何というか、あまりの知的ギャップに、私は頭がクラクラした。
そんな私に気づいたのか、彼女はやや恐縮した面持ちで言った。
 
「あ、これ私の本じゃないんですよ。もうずいぶん前に亡くなりましたけど、主人の本なんです」
 
「ご主人の……本?」と私。
 
「そうなんです、主人が残した本を読みだしたら、面白くて、ね」
 
そこから彼女は、亡くなったご主人にまつわる、次のようなことをゆっくりと話してくれた。
 
寡黙な彼(ご主人)は三度の飯より本が好きな文学青年であったこと。
休日もどこにも行かず黙々と本を読んでいた彼に、子供たちがつけたあだ名は「モクモク父さん」だったこと。
彼が生きている間、彼と本のことについて話をしたことは、一度たりともなかったこと。
あまり裕福ではなかった当時、家は二間だけで、そのほとんどが本で埋まっていたこと。
今は彼の残した本を読むのが唯一の娯楽と言っても良いくらい、自分でも驚くほど本の虫になったこと。
 
私は彼女の話を聞きながら、ビールが生だの瓶だの、クラシックだの昭和歌謡だの、もうそんなことは、本当に、本当にどうでもよくなっていた。
 
「なんでご主人が亡くなってから、彼の本を読むようになったんですか?」
 
聞かない方がよいかな、とも思ったが……考えるよりも先に聞いてしまっていた。
 
「それがね、本のなかに、アンダーラインが沢山ひいてあるんですよ。それだけで主人を身近に感じられるというか、彼がどんな気持ちで線を引いたのか、想像するのが楽しくって、ね」
 
彼(ご主人)亡きあと、彼が引いたアンダーラインを辿ることで、寡黙だった彼の気持ちや考えていたことを、一緒に辿ることができるかもしれない。
 
そうすると、彼のことをもっと知ることが出来るかもしれない。
 
これが、彼女が午前1時に本を読む理由だった。
 
彼女は、彼が残した本を読むことで、今は亡き彼と、永遠に対話をしていたのであった。
 
もう私に何か言葉を発する資格はなかった。
 
「こんなこと、お客さんに話すの初めてですよ? はい、お待たせしました」
 
そういって彼女は、熱々のお好み焼きを私の前に置いた。
 
私は何となく察しがついた。
このクラシックな雰囲気の店に、なぜお好み焼きがメニューとしてあるのか、を。
 
「もしかして、このお好み焼き、ご主人……の?」
 
彼女は笑うだけで、何も答えてはくれなかった。
 
午前1時に、こんなに気持ちがいっぱいになるお好み焼きを、私は食べたことがなかった。
 
 
 
 
***
 
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