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手のひらの上のタヌキが、気づかせてくれたこと

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:香月祐美(ライティング・ゼミ書塾)
 
 
「チェックアウトの時に、持って帰りますか?」
 
ん? なんでチェックアウトの時?
しかもなんか、ちょっと気を使ってもらってる言い方だなと、不思議に思った。
 
温泉宿にきて早々、抱えきれないほどデカい置き物を買ったとか、せっかく観光地に来たんだからとお土産を爆買いしたとか、そういうのではない。
今、買ったのは、手のひらに乗るほどのボトル1つ。
荷物になるわけでもないんだし、そのままもらって部屋に行くじゃダメなのかな……。
そんなことを思いながら受付の人に、「いえ、今お願いします」と言った。
 
 
この温泉宿に来れたのは、久しぶりだった。
楽しみにしていた温泉、でも、チェックインの手続きをしていた私は、気がそぞろだった。
カウンター脇に見つけた、手のひらサイズのボトルのせいだ。
手書きのたった7文字に、やられてしまった。
「その書き方は、ズルいわ」と心底思った。
 
源泉掛け流しの温泉宿。
ああ、何度聞いても素敵な響きだ。
温泉は食べ物ではない、なのに、聞くだけでよだれが出てくる。
連休でもない1日休みだったけど、温泉宿で休日を過ごせたら素敵だな。
そんな感じで急に行きたくなってしまい、奇跡的に宿の予約ができた。
梅雨の時期のおかげかもと思いながら、ウキウキでやってきたのだった。
 
普段、どこか出かけても、自分のためにお土産を買うことはほとんどない。
こんな言い方したら身も蓋もないのだけど、旅先で美味しそうな食べ物を見つけても、「ここじゃなくても食べれちゃうしなぁ」なんて思ってしまう私は、割と冷めてる方だと思う。
 
でも。
宿に入るなり見つけた、100均で売っていそうなスプレーボトルを、チェクインしながら2度見していた。
前に来た時、こんなのあったっけ?
温泉でたまに見るけど、ここではなかったはず……と思いながら、手書きで書かれた「美肌温泉ボトル」の文字を3度見した私は、受付の女性に言っていた。
「これ、ください」
 
そのボトルは、土産物の1つも売っていない、温泉に浸かるためだけの小さな素泊まり宿が売る、たった1つの商品だった。
商品の頭に「美肌」をつけるのはズルいと思った。
 
だって、源泉掛け流しの宿が売る「美肌温泉ボトル」なんて、パワーがありすぎやしないか?
実際、ここの温泉はお肌の新陳代謝を高める効能があるらしいから、もう間違いない。
 
美肌に憧れない女性なんてそうそういない。
私だって例外ではなく、美肌になりたいと思っている。
なんなら今の時代、男性だって化粧水をする人はいる。
 
美肌温泉ボトル
シンプルに書かれた、たった7文字のみの説明書き。
普段、滅多なことで旅先のお土産を買わない私だけど、視界に入った瞬間、負けた。
しかもめちゃ安い、多分、ほぼボトル代みたいな値段だ。
化粧水みたいになってるのかな、そう思いながら1本くださいと言うと、
「チェックアウトの時に、持って帰りますか?」
と聞かれた。
 
先に宿代の精算も済んでいたし、素泊まりだったので「いえ、今お願いします」と言うと、受付の女性はパタパタと廊下の奥に走っていった。
 
パタパタと足音とともに戻ってくると、「どうぞ」とボトルを手渡してくれた。
ポンと手のひらで受け取った私は、反射的に口走っていた。
「アチアチ!」
 
ん!?
遅れて、手元のボトルが「熱い」ことを理解した。
 
見ると、手渡した女性の手が、心なしかほんのり赤くなって濡れている。
まさか……。
 
「え、これ、今汲んできたんですか?」
「そうですよ」
 
なんてことだ。
思ってたのと違った。
化粧水になってるとか、そういうんじゃなかった。
美肌温泉ボトルの中身は、汲みたて100%の源泉だった。
 
「たった今、地球に出てきたばかりですよ」
 
私の手の上で転がり続けるボトルに目を向けながら、受付の女性は言った。
そういえば。
ここの源泉は割と温度が高いにもかかわらず、温度調整すらしていなかったってことを、今更だけど思い出した。
だからチェックアウトの時に、「冷めたのを」持って帰るかと聞かれたのか。
受付の女性に感じた気遣いの意味がやっと繋がった。
 
地球に出てきた……確かにそうだ、この温泉水は、言うなれば生まれたばかりだ。
手に乗るアチアチのボトルは、女性の言葉によって、生まれたばかりの赤ちゃんみたいな、不思議な温かさのモノに変えられた。
 
ボトルには、温泉につかるタヌキのイラストが貼られている。
不思議な縁だと思った。
だって、手のひらの上のタヌキは、奇しくも40年前の今日、生まれた私と誕生日が同じなのだから。
 
手のひらに感じる微かな重さと、人肌に落ち着いてきた温かさがなければ、40年前、自分も「生まれてきた」んだと連想しなかったかもしれない。
いつからだっただろう、誕生日がくるたび、「歳をとってしまった」ことばかりを気にするようになったのは。
 
手に収まるほどの大きさのボトルを見ながら思った。
生まれたてのタヌキに、この世界はどう見えるのだろう。
目に見えるもの、聞こえるもの、いろんな初めてに囲まれているのだろうか。
周りは目新しいものばかりで、ワクワクしてるのだろうか。
中身が温泉水のタヌキは、無言でこちらを見上げているだけなのだけど。
 
赤ちゃんの頃の記憶なんて残っていないけれど、生まれたばかりで、目新しいものに毎日ワクワクしていた時期が私にもあったのかもしれない。
その頃に比べたら、目新しい経験にワクワクする感覚は減っているのだろう。
 
気付かないうちに、いろんなことに「慣れ」ていた自分に、わずかな焦りのような寂しさを覚えながらチェックインを終え、部屋に向かう階段を上がろうとする私に、受付の女性が
「これ、ちょうど今日、やってるんですよ」
と階段の下に置いてあるチラシを取って、渡してくれた。
近くの公園で、ホタルが見れるイベントをやっているらしい。
 
チラシを手に、記憶を手繰る。
ホタルにつながる記憶の糸は、ない。
今夜、生まれて初めてホタルを見れるかも、たったそれだけのことなのに、不思議な感覚に包まれた。
何度か来たことがある温泉街の景色が、違って見える様だったから。
湧き上がったのは、単純に「ホタルが見れるなんて、ラッキー」という気持ちだけじゃなかった。
 
今まで見たことがないものを見れるって、こんなにワクワクするんだな。
そんなことを思えたのは、手のひらの上のタヌキのおかげかもしれない。
 
考えてみれば、40年も生きれば、与えられる刺激だけで、ワクワクできる機会が減るのは当たり前だった。
いつまでも、待つだけの受け身ではダメっていうことなのだ。
だから。
自分で学んで、行動して、ワクワクする世界は自分で作っていこう。
今日は、また1つ歳をとった日だけど、40代の自分が今日、始まった日とも言えるのだから。
そんなことを考えながら、夕暮れになるのを待つ間、温泉に向かうことにした。
 
 
 
 
***
 
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2022-06-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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