メディアグランプリ

虚と実の狭間をさまよった読書体験


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:北見 綾乃(ライティング・ゼミ書塾)
※この記事には本のネタバレが含まれます。
 
 
「お姉ちゃん、何も情報を入れずに、とにかくこの本を読んで!」
突然、弟からLINEが入った。
 
タイトルは「デルタの悲劇」。作者は浦賀和宏(うらが・かずひろ)氏。
私は読んだことがない作家の作品だった。タイトルの雰囲気からして、ミステリだろうか……?
 
「180ページで、軽く読めるから」
 
よく分からないが、弟の薦めるものなら素直に読んでみようと、電子書籍をその場で購入した。弟はいわば我が家のコンテンツ・コンシェルジュ。昔から映画でも本でもゲームでもかなりの分量のコンテンツをインプットしている(偏りは大きいけれど!)相手に合わせて薦めることが得意で、彼から薦められたものはたいてい楽しめるという実績があった。
 
購入したことを伝えると、次にこんなメッセージが来た。
 
「読み終えたら教えて。ある事実を僕から伝えます」
 
思わせぶりで、気になるじゃないか! 仕事で忙しい時期ではあったが、すぐ読み始めた。
 
読み始めて1分もしないうちに、私は混乱した。
冒頭、いきなり作者である“浦賀和宏”(本名「八木剛」)がある事件に巻き込まれて亡くなったという内容の母親からの手紙から始まる。誰に宛てた手紙かは伏せられているが、浦賀和宏の遺作『デルタの悲劇』を送るので、読んでほしいという。そして小説『デルタの悲劇』が始まる。
 
小説の中に小説。「不思議な構成の物語だな」それが第一印象だった。
そして私も悲劇の中に身を投じた。
 
 
物語の舞台は神奈川県横浜市の鶴見。私は同じ横浜出身で、大学生時代、塾講師のバイトで鶴見にはよく通っていた。物語が馴染みのある場所で展開されていたこともあり、すぐ夢中になって読んだ。
 
10歳の少年が公園の池で溺死体として発見される。その少年を日頃からいじめていた三人の同級生。当時は結局事故として処理されたが、ちょうど10年後、成人式の日――犠牲者の命日――に、彼ら三人が少年を殺したと疑う「八木剛」が現れ、彼らに自白を迫る……。そんなストーリーだ。
 
途中、見事な叙述トリックにまんまとひっかかっていたことに気づかされ、改めて最初から読み直した。こう作者の手の中で踊らされている感覚、嫌いではない。これこそミステリの醍醐味の一つだろう。
 
ほぼ2回読んだような感じだが、次々とページを繰り、一気に読み終えた。
 
読み終えたあと、ポジティブな感想とともにすぐ弟に報告した。気になるのは彼の言う「ある事実」である。
 
弟からはすぐ返信が来た。
 
そこには一本の記事のリンクがあった。
 
訃報、だった。
 
「浦賀 和宏さん(うらが・かずひろ=作家、本名八木剛〈やぎ・つよし〉)が2月25日、脳出血で死去した。41歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は母悦子(えつこ)さん。」(2020年3月5日 朝日新聞デジタル)
 
まさか……? 本当に亡くなっていたの!?
母親の名前こそ違うが、作者が事件に巻き込まれて亡くなり、その母親が出版にこぎつけたというストーリー。小説の中で作者が亡くなった年齢も近かった。
背中に冷たいものが走る。虚と実の境目がなくなったような、世界がぐにゃりと歪むような感覚を味わった。
 
実際、この作品と彼の死との間には因果関係はない。調べると、彼の死はこの作品が世に出てから3か月後のことである。
 
この作者は以前にも、「浦賀和宏」を登場させ、殺されてしまうというストーリーの作品書いており、ファンから見ればいつもの演出だったのかもしれないそれでも、ドキっとした。
 
 
弟は続けて浦賀氏への強い思いを語った。
1998年高校時代にデビュー作に出会ってから、ずっと気にかけていた作家だったということだ。浦賀氏は19歳で“天才”と謳われながらデビューしたものの、そこからなかなか思うように売れず、出版社から切られたこともある。10年くらいは読んでいて壮絶なほどに足掻いているのを感じたと弟は語る。しかし、そんな自虐的事実をまたネタにするような精神的タフネスに魅力を感じ、それでも応援をし続けていた。
 
そして、ここ数年は肩の力が抜けて、何かを掴み、楽しんで書いているように感じていたという。
 
それだけに訃報の衝撃たるや、凄まじかったのだ。
 
 
それだけではない。
 
「訃報で初めて本名が八木剛だってことを知ったんだ」
 
“八木剛(士)”という名前が彼の作品の至るところに出てくるのだが、本名が実際に「八木剛」だったということを訃報記事で初めて知らされたとのこと。
 
人生をかけた伏線回収を仕掛けていたのか。どんな部分にも、エンターテインメントを追求せずにはいられなかった人だったのかもしれない。
 
フィクション作品でありながら、現実の事実によって新たな色が付けられる。このような読書体験はあまり多くない。
 
出会ったばかりだが、もう新作が読めないというのは残念に思う。弟によると過去作品については読者を選ぶ内容のものが多く、他人には安易に薦められないということだが、「眠りの牢獄」や「究極の純愛小説を君に」あたりは楽しめるだろうと教えてもらった。改めて浦賀氏のご冥福を祈りつつ、読んでみようと思っている。
 
 
 
 
参考:https://www.asahi.com/articles/ASN355JB8N35UCVL00J.html
***
 
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2022-07-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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