娘、本日、水難の相あり
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:赤羽かなえ(ライティング・ゼミNEO)
シャーという音がした。
水が勢いよく吹き出す音だ。
それが、とんでもないことになっているなんて……。
その音はトイレから聞こえてきた。
娘がおしっこをする音だと思っていた。私は、廊下を隔てて向かいの洗面所にいて、洗い物をしながら、その吹き出すような勢いの良い音を聞いていた。そんな勢いでおしっこが出るのなら、そりゃあ「おもらし」するわけだな、と思う。
その時、私が洗っていたのは、娘のパンツだ。朝、彼女はおもらしをしたかも、と叫びながらいつもよりも早い時間に飛び起きてきた。実際、おもらしをしていたのだけど、私は濡れたパンツを見ながら、確実に成長しているなあと感慨に浸った。
子どもが「おねしょ」をせずに寝られるようになるまでを観察すると、夜のオムツが外れていく過程にも成長が見られるからおもしろい。最初のうちは、オムツに守られている感覚が残っているのだろう、夜中のおしっこを我慢することができなくてダダ漏らしになる。そんな時には、隣に寝ている私まで濡れることもあるから、夜中にげんなりして洗ったり乾かしたりすることもある。眠いのにおねしょの処理をしなければいけないのって、なかなかの修行なのだ。でも、だんだん、漏らさない日が増えてくる。オムツを外して数年たった最近では、ほとんどおねしょをしないし、してしまった時でも今朝のようにひどく漏れる前におしっこが出たと気づいて起きることができるようになる。
これは、脳の成長なのだ、と誰かが教えてくれた。寝ている間におしっこをしないように、脳がコントロールしてくれるようになるらしい。脳は、おねしょという経験を重ねながら少しずつ学習しているから、漏らさず朝まで寝られるようになる過程で、ちょっと漏らしただけで気づけるようになるという段階があるのだそう。
『でも、お母さんが、寝具を洗わなければいけないのが面倒くさくて、いつまでも紙オムツをしていると、脳が成長できないんだよ。年齢が大きくなればなるほど、おしっこの量が増えるから、オムツは小さいうちに外した方が絶対に楽だから』
その人はそんな風に言っていた。お母さん達が頑張って、早いうちにオムツ外しに付き合ってあげるのはとても尊いことなんだよ、そう励まされたことがオムツ外しのモチベーションになっていたなあ。
脳がちゃんと成長しているんだな……しみじみとした感動の中で蛇口を押し上げ、水を勢いよく流しながらパンツを洗っていた。洗面所に流れる水音のせいで、隣のトイレで起こっていた事件に気づけなかった。
でも、洗い物がひと段落して、洗面所からドアが開きっぱなしのトイレの方に目をやるととんでもない光景が広がっていた。
床が水浸しだった。
最初は何が起こっているのか事態を把握できなかった。シャーっという音が、彼女のおしっこの音だと思っていたから、座り方が浅すぎておしっこが外に飛び散ったのかと思った。
けれど、水は、娘の後方から、放物線を描いてトイレのドアや床や壁をみるみる濡らしていく。
おかしい。
もしかして、トイレが壊れて水が噴き出している? え、コレ、どうやって止めたらいいの??
半ばパニックになりながら、水の出どころを探るとその水はウォシュレットから出ていて、スプリンクラーの水撒き状態になっていた。ああ、これなら止めればどうにか解決する。
原因が分かって少しホッとしながらリモコンの止まるボタンを押し、水は止まった。娘は泣き出しそうな顔で私を見上げていた。床は水浸しになっていてげんなりしたけど、ずぶ濡れで途方にくれています、という表情の彼女見たら、こみ上げてきたのは、笑いだった。娘はきっと私に怒られるだろうと思っていたに違いない。一瞬拍子抜けしたような顔をして私を見ていたが、とにかく怒られなさそうだとわかって安心したのだろう、「私、お風呂入ってくる」とスキップで風呂場に駆け込んだ。
やれやれ……、水浸しの周辺を雑巾で拭き取る。便座に座る時に、ウォシュレットのスタートボタンに娘の手が当たってしまい、水が噴き出してしまったのだろう。
扉に貼ってあるカレンダーの水じみを拭き取りながら、30年ほど前の記憶を思い出していた。私が中学生の時のことだ。洋式の便器が家庭にあるのがようやく普通になってきたくらいの時に、友達の家に遊びに行った。お金持ちの家だったから、珍しくウォシュレットがついていたのだ。でも、当時、ウォシュレットという存在自体を私が知らなかった。
トイレの横に沢山のボタンが並んでいて、おしりとか、ビデとか書いてある。
なんだ、このボタン。
ボタンが目の前にあると、押したくなる……恐るべしボタン!
私は、便器の横にしゃがみこみ、ビデ、と書かれたボタンをおそるおそる押した……!
押してしまった!
ウィーンという機械音が少しだけして、次の瞬間、顔に嫌というほど水をかぶった。ものの見事に命中した。慌てて止めるボタンを押し、水が止まったのを見てホッとし、腰が抜けて床に座り込んだ。
きっとその時の表情は、さっきの娘みたいな顔だったに違いない。
その時は、ボタンを押したら水浸しになったなんて恥ずかしくて、口が裂けても言えなかった。仕方なく、トイレットペーパーだけで、必死にぬれた部分を拭き上げて、何事もなかったかのようにしれっと友達のもとに戻った。
ウォシュレットの水と冷や汗と、どちらか分からない水分がべとついて、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら取り繕った当時の触感が30年の時を経て見事によみがえった。
誰にも言えなくて笑うに笑えなかった思い出の箱が開いた。娘の顔に、照れくさそうに笑った中学生の私がかぶった。
30年分の利息がついた笑いはなかなか収まらなかった。私があまりにも笑い転げるので、娘も一緒になって笑っていた。
「あ、早くしないと、プールに間に合わない!」
娘の声に我に返る。そうだった、今日、保育園はプールの日でいつもよりもさらに早く送っていかなければいけないんだ。
おねしょに、ウォシュレットの暴走に、プールの日。
今日の娘は、水についているらしい。
この異常な暑さだし、水難の相も今日ばかりは悪くないかもね。
娘は嬉しそうに、集合場所まで走って行った。
***
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