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踏み外したところに道はあった


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:添田咲子(ライティング・ゼミ6月コース)
 
 
自分の名前が……ない。
 
私は東京のはずれにある大学に一人暮らしをして通っていた。
卒業式目前の4年の春、学部事務室に貼りだされた卒業確定者一覧の中に、私の名前がない。
これはどうしたことか。あらゆる思考が頭を駆け巡る。
 
就職先は既に決まっていて、春から地元企業の本社配属と内定式で言われている。
何かの間違いか……こんな場面でそんなことがあるもんだろうか。
 
思い当たるふしはあった。
ゼミの教授でもあったO教授の一つの授業で課題のレポートを提出していない。
でも、どうにも理屈が合わないがなぜか私は大丈夫だろうと考え、提出しないままにしていた。
 
まずはことの真偽を確かめようと、O教授を訪ねるべく学科の事務員さんを訪ねた。
驚いた様子で迎えてくれた事務員さんは私の話を聞き「O教授は、……頑固だから、どうかなぁ……。」と表情を曇らせた。
 
O教授は、その道ではかなり有名な教授らしく威厳ある雰囲気がある一方、学生との交流を好み気さくな人柄で親しまれていた。ゼミ終わりに学食で学生と一緒にごはんを食べるのが好きで、ご機嫌に学生にビールを勧めるのが名物だった。授業に関しては厳しい指導で知られていたが、その厳しさには優しさがあることを誰もが感じる人柄だった。
 
しばらくして、O教授の部屋に招き入れられた。
O教授はいつもの落ち着いた様子だ。
ソファに掛けさせてもらい、切り出した。
「あの……、名簿に名前がなかったんですが……」
「はい。単位が足りていないので、認められないですね」
もう、決まったことです。という雰囲気がひしひし伝わってくる。
「あの……、これからレポートを提出とかでなんとか変えられませんか」
言いながら、無理なことを言っているなと自分でも分かっていた。
「それはできませんね。変えられません」
1ミリも動じない。覆りようがない。
だって、私がその結果を招く行動をしたのだから。
 
たった2単位不足で大学留年、卒業できないという状況。
ずいぶん、マヌケだ。学費だって家賃だって余計にかかるわけで、ちょっとシャレにならない。親しくしていた同級生の友人Sに伝えると、自分よりも友人Sが興奮して「そんなの、何とでもなるだろ! 学生の人生、狂わせていいのかよ!」と言われたりしたが、私の方は不思議と、冷静だった。仕方がないのだ、と妙に納得していた。
 
田舎の母に電話をかけた。母がどんな反応をするのか、怖くもあったが事実は伝えなければならない。
「あら……、青天の霹靂ねぇ」
怒るわけでもなく、騒ぐわけでもなく、母は第一声でそう言った。
卒業取り消しになり、就職も取りやめになる。もっと激しく反応してもよさそうなのに
母は落ち着いた様子で、卒業はした方がいいだろうから頑張りなさい、ともう一年大学に留まることを許してくれた。こんな度の過ぎたおっちょこちょいをやらかしたにも関わらず、相変わらず私を信頼してくれる母は、器の大きい人だと思った。
実は、少し肩の荷がおりた感覚があった。小さいころから割と、「しっかり者」と言われて育った。自分ではそんなつもりはないが、いつの間にか期待に応えて、しっかり者を演じてきたようにも思う。でもこんな大マヌケをやらかしてしまったからには、もうしっかり者を演じなくてもよくなった。そんな気がした。
 
決まっていた就職先に電話をすると、電話口で人事担当が絶句していた。どうやら、よくあることではないらしい。「来春入社してください」とは言われなかった。当然か。
 
そんなわけで私は、思いがけず人生2度目の新卒採用としての就活をすることになった。
前年は、地元に帰ることを大前提に考えていたけどそこにこだわりはなくなった。
2年目でもやっぱり就活はよくわからなかった。「こんなことで御社に貢献できます」なんて、やってもないのにわからない。自己分析ってどういうこと? 企業研究って? 社会における自分の価値を疑いながらも、なんとかご縁をいただけたのは全国転勤ありの小売業界の企業だった。
 
そんなこんなで時が過ぎ、9月頃になっていただろうか。所属していたゼミでお世話になっていた方から、思いもよらない話を聞いた。
「O教授が癌で入院されている。状態はかなり進んでいるらしい」
私以外の同級生はそれぞれの道に進んでいる。O教授のお見舞いに行けるのは同級生では私だけだった。
O教授に会うのは、卒業式後の謝恩会で卒業していくクラスメイト達に混じって卒業できない私も出席したとき以来だった。あの謝恩会はなんとも微妙な立ち位置だった。
大学からそう遠くない、大きな国立公園に面した病院の一室。O教授の病室からは、広く街が見渡せて、柔らかな西日が差し込みとても穏やかな空だったのをよく覚えている。病室に入ると、O教授はベッドからとても嬉しそうに迎えてくださった。
「元気でやっていますか」
「そうですか、それはよかった」
そんな短い会話だった。帰り際に握手をした。すこし痩せたように感じたが、その時の手の温かさと力強さ、O教授の笑顔がいまだに記憶に残っている。
「がんばってくださいね」
そう、言われた。私のいのちを応援されたような、そんな気がした。
それからしばらくして、O教授が亡くなったと連絡を受けた。
 
私は5年生で大学を卒業し、2度目の就活で縁のあった会社に入社した。5年目の在学期間中に、仲の良かった同級生の友人Sと付き合い始めた。Sは4年で卒業したので、私より
1年社会人としては先輩になった。Sが会社で配属になった地域に、私もたまたま初任配属で行くことになった。自然とお互いに結婚を意識していたので2年後に結婚することになった。それから色々あったけど、子供にも恵まれて今、ともに人生を歩んでいる。ここに今たどり着いていることに一点の悔いもない。
私が予定通りに4年で大学を卒業して地元に帰っていたら、こうはなっていなかっただろう。私の不手際から引き起こしたミスにより、私は予定していた道を踏み外した。しかし、そこにはまた別の道があったのだ。むしろ、私はこの道を選ぶために、無意識の選択で道を外れたのではないかと思えてならない。そして、私があの時道を外れるためには、O教授の〝フォロー〟が必要だったのだ。O教授には、とても感謝している。
 
人生、思い通りになることばかりではない。けど、その〝失敗〟は実は失敗ではない。なぜなら、生きている限りそこは常に通過点だからだ。
失敗したら終わりだ、と恐れながら進む人生は辛く、孤独で、狭い。
人生の中で時々起こる不可抗力なアクシデントは、「〝失敗〟しても案外大丈夫」「〝失敗〟と思っていたものは実は失敗ではなかった」を知るためのギフトだ。それに気付けると、安心感から視野も可能性もぐっと広がる。
失敗しても、道を外れても、大丈夫。それは、いろんな形で、信じて支えてくれる人の存在がそこにあることに気付くチャンスであり、自分でも思ってもみなかった幸せに繋がるチャンスなのだ。
 
 
 
 
***

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2022-07-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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