“もんのきさん”~私が田舎暮らしを決めた話~
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記事:黒﨑良英(ライティング・ゼミNEO)
父方の祖父は、私が高校生の時に80半ばで他界したが、その妹であるおばあさんは、齢百歳を超えて天寿を全うした。
田舎の老婦人の気質なのか、何とも豪快で、にこやかな人であった。
祖母の苦労を人一倍理解しており、善き相談相手にもなってくれた。祖母が認知症を患ってからはなおさらであった。
そんなおばあさんが、あるとき昔話をしてくれた。
「今はみんな一緒になっているんだけんどね、昔は畑の中に“モンノキさん”のお宮があっただよ」
おばあさんが言っているのは、近所の氏神様に関することであった。
この氏神様だが、戦後、周辺のほこらや小さな神社を一緒にして合祀し、今の形になった。
だがそれ以前は、現在は畑になっている一角に、地域の人々が「モンノキさん」と呼ぶ小さな神社があったらしい。
「戦時中は空襲なんかがあると、そこに近所の人や隣町の人なんかがみんな集まってね、おさまるのを待ったものさ。そんなときは不思議と雨がふってねぇ。よけいに視界も悪くなったんじゃねえけ。そこが被害にあうことは一度もなかっただよ」
そう言って、以前そのお宮があった方向を指差した。
「ところが終戦後、近所のお宮を一つにしようってことになったのさ」
今度はさっきと逆の方向、現在の神社がある方角を指差して言った。
「そんときにね、うちで御神体をあずかっただけど……その日からうちのお母ちゃんがおかしな夢を見るようになっただよ」
おばあさんは少しまじめな顔で言った。
「夢にね、白い狐が出てくるんだと。どこからともなくやってきて、うちの中に入っていく。で、入ったかと思うと出て行って、今度は子狐をくわえて戻ってくるんだと。そんな夢をね、毎晩見たそうだよ」
自分は興味深くその話を聴いていたが、何だったんでしょうね? と尋ねると、
「さあてねぇ……やっぱり御神体をあずかってたからじゃねえけ? お宮からお引越しってこんずらよ」
と笑いながら言った。このおばあさんは小柄な体格ながらも、大きな声で笑う。
「だけんどね……」
おばあさんは続けた。
「終戦後が本当の戦争だっただよ。外国の兵隊さんたちが、家の中のものみぃんな持ってっちまう。隣近所も相当やられてねえ……でもそんな中、不思議なことにうちだけ何もとられなかったのさ。これは『モンノキさん』のご利益じゃねえけってお母ちゃんと話したもんだよ。だからね……」
と、お茶をすすってから、
「神さんも仏さんもいないって言うけど、必ずしもそういうわけではないんだよ」
そう言ってまた豪快に笑った。
自分も、そのとおりかもしれない、と思いながらまたつられて笑った。
同時に、この話に感銘を受けた。
当時、私は大学生で、将来をどうしようかと不安と焦燥に駆られていた。
だが、おばあさんのこの話を聞き、必ずここへ、故郷である山梨に帰ってこようと心に決めた。
持論だが、田舎というものは、突き詰めていけば何もない。新鮮な空気と美味しい水があったところで、結局何だというのか。
仕事は少なく限られていて、都会の潮流からもおいて行かれる。様々な技術やコンテンツが、いくらネットワークによって平等になってきたとはいえ、実際に暮らしてみると、限界があることが分かる。
だが、それでも帰ってきたい人が帰ってくるのが、田舎であり、故郷なのである。
私は、おばあさんのしてくれた話に、田舎独特の、何というか、信仰や風土というものの魅力を感じた。
もちろん、都会を始め、各所にこういった話は残っているだろう。
しかし、まざまざと経験譚を目の前で聞いた私にとって、直感的に、ここに帰ってきたいと感じたのだ。
民話とはおよそ、そこに棲まう人々と、それらを取り巻くやさしさが醸し出した産物である。
なるほど、確かにこの世には「神も仏もない」はずだ。だが、それでも、そこに息づく「カミ」と呼ばれる存在を、人々は昔から信じ、信仰してきた。
それらに包まれたこの地域が、私にはとても魅力的に見えたのである。
夏暑く、冬寒い盆地でも、周りを見渡しても山だらけでも、都会みたいに遊ぶところが多くなくても、それでも、ここには帰ってくるだけの価値がある。
いや、もちろん、実家もあるし仕事も見つかったということもあるのだが、多分、そういう要素も含めて考えて、帰ってきたい人が帰ってくるのだ。
幸い、現在私は非常勤講師だが、高校の教員という職を得て、何とか田舎で暮らすことができている。
これが都会だったらどうだろうか? あまち想像できないが、少なくとも、私は無理だと思う。大学時代に過ごした数年間で、それは確信したことである。
もちろん、逆もまた然りで、都会に住むことに魅力と意味を感じる人々も大勢いるだろう。というかそちらの方が多いはずだ。
要は、「空気」である。
もちろん、美味しい空気という問題ではない。
その地域に漂う空気が、自分に合っているか、そうでないか、だ。
空気が合わないながらも、そこに住まざるをえない人も、中にはいるだろう。そういった人は、時々、故郷に帰ったり、都会に出かけたりしてみてもよいかもしれない。
いずれにせよ、私たちは生きるべき所で生きている、という感覚を、私はいつからか抱いている。
あなたが今いるそこは、あなたが生きるべき所と言えるだろうか? たまには少し歩みを止め、考えてみてもよいかもしれない。
ちなみに、この「モンノキさん」だが、ほこらの札を見ると「杜ノ木」とあった。つまりは「モリノキさん」がなまった形なのだろう。
その名の通り、社の境内には、大きな桜の木が立ち、この地域を古くから見守っている。
私は、また来年、その花が咲くのを、この目で見たいと思う。
時々、狐の姿でも見かけないかな、とうかがいながら。
***
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