まずはあなた自身が幸せになってください
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:まつりか (ライティング・ライブ東京会場)
2021年3月、コロナウイルスが世界に発生し、まだそれがどのように社会に影響があるか、わからなかった時期。
私のおばあちゃんが息を引き取った。
それは、あまりにも突然の出来事で、おばあちゃんの娘だった私の母は
報せを聞いて駆けつけたけれど、もう長い眠りについていたという。
その月は、国民的スターとも言えるだろう著名人が急死したニュースが流れて
その人はコロナウイルスに感染していたということも助長し、
社会の不安が一気に増した時期だった。
「緊急事態宣言」というものが発令され、翌4月、多くの仕事だけではなく、単に外食で出かけることも含め”社会の動きが”ピタリと止まった。
長閑な陽気のその4月は、青空に桜を散らつかせながら、音もなく止まった。
今思えば、おばあちゃんはあの4月を、緊急事態宣言で止まった世界を
知らずに生涯を遂げたんだな。おばあちゃんの長い人生の中でも、予測できない世界だったんじゃないかな。
暢気だな……なんて、思ってはいないけど。おばあちゃんはおばあちゃんで、私の生涯で知らない世界をたくさん見てきているんだろう。
おばあちゃんは、
老衰だった。
最後の日の朝、自力で自宅のトイレに行き、躓いたのか急に苦しくなったのか、その場で倒れて、そのまま息を引き取った。
その日おばあちゃんは、地元のおじいちゃんおばあちゃんの集まりに行く予定があり、会のみんなに会うのを楽しみにしていたという。
そんなおばあちゃんに、死が急にやってきた。
家族は誰も、最後の瞬間を知らなかった。
なんだか、死期を悟ってそのままいなくなってしまう、猫みたいに思えた。
おばあちゃんは、とても大らかな人だった。
どんな人だったか話す時に「おばあちゃんは……抜けてたよね」というと、家族親戚は力が抜けて「そうだね」と笑えてくる人だった。
教育に熱心だった母の家系に嫁いだけれど、”甲斐甲斐しい妻像”みたいな人ではなく
かといって「笑える」とは言え、ひょうきんな人というわけではない。
人に優しく、大らかで、マイペースだけど自分の不満を言うような人ではなかった。
随分昔、母と3人で香港に旅行に行ったことがあった。地元の料理屋さんでトイレに行ったおばあちゃんがなかなか帰ってこないと思ったら、お店のトイレの水洗が不調だったようで、他にいたお客さんと一緒にバケツリレーをした後、何事もなかったかのように戻ってきた。
お盆の時に、仏壇に野菜を飾る風習があった。
茄子やきゅうりに爪楊枝や割り箸をつけたりして、動物のようにしていたのが印象的だ。後から知ったけれど、これは「聖霊馬」と言うそうだ。
”送り火”が終わると、近所の川のほとりでお供え物を焼き払う。おばあちゃんは躊躇なく藪の中に入っていき場所を見つけると、手際よく火をつけた。焼けていく野菜たちを見ておばあちゃんは「焼き茄子だね」と笑って私を振り返った。
お出掛けする時はちゃんと、さりげないおしゃれをしていた。
大雑把で頑固なところもあったので、絵に描いた優等生だった叔父さん(おばあちゃんの息子)とはぶつかることもあったみたいだった。
農家のお嫁さんだったから、長年広い田んぼの世話をしていた。田んぼに集まるお手伝いさんを含めたみなさんのご飯の世話をしたり、昔ながらの地方の農家だったから季節の行事の準備などもしていたんだろう。
田んぼをほぼ引退してからも畑は続けていて、90°近く腰が曲がっているのに、毎日畑の世話をしていた。
小柄だけど手足が大きくて、なんとなくアンバランス。その不釣り合いが、おばあちゃんの力の抜ける大らかさだったように感じる。
詳しい病名は小さい私は知らなかったけど、病気や怪我をした時はギリギリまで我慢して、一切騒がず、治療を進めていた記憶がある。
そんなおばあちゃんと再会したのは、
お通夜の棺の中だった。
記憶とほとんど変わらない、大らかなおばあちゃんの顔をしていたけど、口元に強い内出血があった。
痛い時も騒がず、人に迷惑を掛けない武士のような家系で生きた、私の記憶のおばあちゃんと重なった。最後はちょっと、苦しかったんだろなうと想像した。
コロナ禍で行われた葬儀は、近しい身内だけで行われた。
4月頭のその日、自宅での葬儀を終え、斎場に向かう田舎の田んぼ道を、バスで移動した。田植え前の田んぼが広がる一本道を、静かに、長閑に、進んでいった。
遠くに桜の木が何本も満開になっていて、菜の花も優しい黄色を広げていた。空は晴れて、青空は柔らかい水色だった。その日は、どこもかしこもスミレだのレンゲだのシロツメクサだの、春の花があちこちで花開く、鮮やかな午後だった。
あの頃、「ソーシャルディスタンス」が曖昧に、時に厳格に決められていたから、葬儀での食事も互い違いに座ったり、”コロナ禍に慣れない私たち”は、なんとなく不自然な空間を終始共有した。けれど、主役のおばあちゃんの大らかさからか、大っぴらに悲しむ人はいなくて、静かな、穏やかな時間が流れた。
お葬式は、
その人が関わった人の人生に、その人が人生の最後に作る、かけがえのない時間だと思った。
お葬式では、お坊さんがいくつかのお話をしてくれた。
その時、参列した私たちに向かって最初に言った言葉が、この言葉だった。
「まずはあなた自身が幸せになってください」
えっなんで?急に、どう言う意味?
すぐにその意図はわからなかった。
「まず自分が幸せになる」
それは、この場にはあまり関係のなさそうな、ともすれば利己的な言葉だ。
身内とお別れをする日に、そんなこと思えるだろうか。
お坊さんは、おばあちゃんにつけた戒名の話をしてくれた。
戒名は、息子である叔父さんと、娘である母から話を聴いてつけてくれたと言う。
「おばあちゃんは、周りの人が幸せでいることが、何よりも嬉しい人だと思いました。
みなさんがそれぞれに悲しんでくれることは知っています。
今日はこのおばあちゃんが、みなさんを集めた場です。
ここに集まった大切な人が幸せでいてくれることが、
おばあちゃんが一番嬉しく思うことだと思いました。
なので、まずはみなさん、ご自身が幸せでいてください」
と。
世の中では、いつ何が起こるかわからない。
人生もまた、いつ何が起こるかわからず、いつが最後の時なのか、わからない。
生きていることは当たり前ではなくて、たまたま死ななかった日が続いて、今日があるのかもしれない。
***
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