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彼は死に、己は生きた。


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:黒﨑良英(ライティング・ゼミNEO)
 
 
8月15日は終戦記念日である。テレビではそこかしこで、特集の番組が放送されている。
当時を生きた人の証言だとか、あの作戦の真実は、だとか……
 
そういったものを見るたび、感傷的になってしまって考えることがある。
 
「彼は死に、己は生きた。その違いは何だったか?」
 
思えば、高校生の時くらいから考えていた。いや、考えないようにしていたから、答えの一つも出てこなかったのかもしれない。
 
かの太平洋戦戦争では、多くの人が亡くなったという。
一方で、私の祖父母はその期間を生き延びた。
 
特に父方の祖父母は、疎開に来ていた子どもたちの面倒もみたことがあるというし、家庭の事情があって、父たち兄弟以外にも3人を、計6人もの子どもを育て上げたという。
 
祖父は小学校の教師だった(当時だから尋常小学校とでもいうのだろうか)。
そのために徴兵を免れたらしい。
専門教科は以外にも美術で、退職の時には、卒業生一人一人の似顔絵を描いて贈ったという。
子どもも、絵を描くのも大好きであったのだろう。
住んでいるところが田舎であったためか、そういえば、祖父から戦争の話を聞いたことはなかった。
 
それとも、はたまた話したくなかったのだろうか。
 
母方の祖父は、当時大学生だったらしい。
体調を崩したため、徴兵を免れたという。
 
しかし、勉強していると、教室から一人、また一人、と日毎に出席者数が減ってくる。
戦争に駆り出されるのである。
その徐々に人数が減っていく教室で、祖父は何を思っていたのだろうか。
悔しかったのか、恐ろしかったのか、具体的にそこらへんのことは言わなかった。
 
ただ、祖父が見た景色を、淡々と話してくれた。
 
職業とか、体調とか、祖父たちはそういったことで徴兵を免れ、死を免れた。
ただ、一方で、例えば母方の祖母などは、病で若くして亡くなった。
戦地から命からがら戻ってきた人もいる。
 
何が違ったのだろうか。
 
私の友人、と言うほどでもないのだろうが、小学校の時のクラスメイトが、当時、病で亡くなった。
さほど親しい関係ではなかったが、それでも委員会が同じで、少し話をした。
ただ、何の話をしたのか、私には思い出せない。
 
また、近所に住む女性が、やはり若くして亡くなった。
その人とは、同じ病を持っていた。といって、まるっきり同じ症状とかではないと思うが。
ただ、その人の方が、明らかに元気そうだった。退院した次の日から野球をしていたというのだから、アクティブな人だったのだろう。
愛犬の散歩の途中、出逢えばよく話しかけてくれた。
 
そして、同じ入院仲間だった友人も、一人、やはり病気で亡くなった。
 
なるほど、どうもこの体は死と隣合わせらしい。
ならば尚更だ。
 
どうして、彼らは死んで、私は生き残ったのか。生き残ってしまったのか。
 
いつも思う。
善悪の差とか、徳の差とか、日頃の行いとか、そういうものが生死を司どるならわかりやすい。
最もその場合、私は真っ先にあの世行きではあるが。
 
ただ、どうもそういうわけではないらしい。
悪の権化みたいな人物はのうのうと生きているだろうし、純真無垢な人々が若くして亡くなっていくこともある。
 
病で、事故で、そして、戦争で。
戦争は過去のものになったと思ったが、しかし、リアルタイムで行われるようになってしまった。
 
そこで戦死した一般人に、何か非があったのだろうか?
あるわけがない。ならばなぜだ。
 
生きていなければならない人々、中には才能のある人だっていただろうに、その人々が死に、どうしようもない私が生きているのは、どういうわけであろう。
 
ついつい、ネガティブに、そんなことを考えてしまう。
当然、私とて死にたくはないが、だからこそ、余計に、なぜ自分ではなく、あの人だったのか、という世の理不尽さを問うことになってしまうのである。
 
考えてみれば戦争なんて理不尽に起こるものだ。特に一般市民にとっては。
上層部からしてみれば、もっともな理由があっても、そんなのは末端の人々には関係ない。
 
改めて考える。
祖父たちが戦争に行かず、生き延びて、結果、私が生を受けたことはありがたく、嬉しいことだ。
 
では、なぜ、そのようなことになったのか?
運命? 必然? そんな単純なものではないだろう。
 
父方の祖父が教師になったのもたまたまだろうし、母方の祖父も意図的に病にかかったわけではない。
 
そうなのだ。
「たまたま」なのだ。
 
そこに才能の優劣だとか、運の良し悪しだとか、いわんや運命(さだめ)なんてものがあるはずがない。
いや、あってたまるか。
 
そこに理由などないのだ。
 
一見これは理不尽の極みのように思うが、しかし、こう思うことで少しは救われることもある。少なくとも私にとっては。
 
人としての差は大いにある。
あの人は優秀だ、自分は落ちこぼれだ、など、日常で感じることはあるが、それも含めて、そんな違いを見出すことは無意味な話なのだ。
 
人の優劣、人の善悪、そんなことは分け隔てなく、死は襲う。時ところ関係なく、だ。
 
それはたまたまなのだ。
たまたま、ある家庭に生まれ、たまたま、病もなく成長し、たまたま、寿命で息を引き取る。
たどる過程によって、様々な要素は生まれてくるが、それさえもたまたまだ。
 
そう考えた方が、救われるのである。
あえて、あの人との差は何だったか、など考えなくて済むし、何より、事実として、生死を分けた差はない。
 
これがサバイバルの場面なら、あれこれしたことが生死を分けた、ということが言えるが、普段の生活の中で、生死を分つ理由が生まれることは稀だ。
 
いや、そもそもそういう技術的なことを言っているのではない。
なぜ、あの人は死ななくてはならなかったか、だ。
 
だから、上の原理で言うのなら、「死ななくてはならない」と言う必然性はない。
全てはたまたまだったのだ。
たまたま、重い病にかかり、たまたま、戦争に駆り出され、たまたま、戦地で死ぬことになった。
 
そう、そこに理由を与えるのは酷な話だ。
だが、死になっとくができない私たちは、つい、理由を求めがちである。
 
私に理由を与えることは、なるほど、ある意味でなっとくできるための1手段である。
 
「〜なら仕方がない。〜なら当然だ。」
 
そう思えるならば良い。だが、大半の場合、そこからさらに「なぜ」が浮上する。
〇〇の理由で戦死したならしょうがない。
ならば、なぜ、あの人は戦争に行ったのか、なぜ行かねばならなかったのか、なぜ戻ってこられなかったのか……考え続ければキリがない。
 
だから、そこに理由はないよと、違いはないよと、言ってあげる方が、まだ救われるように思うのだ。
 
無論、全ての人がなっとくできるとは思わない。
 
我が子に先立たれた人や、愛する人を失った人の悲しみを、私は押しはかることをできない。
 
だから、主に私がなっとくする手段なのだと考える。共感できる方がいらっしゃれば、これ幸いとばかりの、だ。
 
8月のお盆に合わせて、母方の実家へ墓参りに行った。
墓地は山の斜面にある。手前の山と遠方の山、そして富士川の流れが一望できるその場所は、死者が眠るにはふさわしい場所に思える。
 
祖父は、徴兵者が出る教室の話をするとき、淡々と、少しの寂しさを漂わせて話していた。
実際はどう思っていたのだろうか。
悔しさ、恐ろしさ、後ろめたさ……考えれば色々考えられそうだが、その気持ちは定かではない。
はっきりしたことを聞くことができないうちに、祖父は痴呆症を患ってしまった。
 
痴呆症になると、忘れることと蘇ることがあるという。
あの教室のことはどうなのだろうか。
祖父の晩年が、穏やかな記憶に囲まれていたことを、祈るばかりである。
 
人はどうしようもなく、自分勝手だ。
相手の死にすら、理由を求めてしまう。それは主に、相手が死ななければならない理由、と言うより、自分が生き残ってしまった理由だ。
 
でも、そうじゃない。
そこに理由はない。相手の死をただ受け止め、自分が生きることを、さらに決意させ、覚悟させる機会でもある。
 
今年もまた、8月15日がやってくる。
せめて、今を生きる自分は、死ぬまで精一杯生きることを、先人たちに誓う所存である。
 
 
 
 
***
 
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2022-08-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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