メディアグランプリ

人気の宿で感じたおもてなしと、安らぎと、ときどき狂気


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:香月祐美(ライティング・ゼミ書塾)
 
 
それは、とある夏の午後。
「これからお寺を出ます」
事前に言われていた通り、今日の宿に連絡を入れ、寺から続く山道を下りはじめた。
 
朝起きたら、朝ごはんを食べる様に。
毎朝、歯を磨いて、顔を洗う様に。
夏休みに四国遍路に行くのは、ここ数年の私の日課みたいなものになっている。
 
ジリジリと肌を焦がそうとする太陽と、山の住民である虫から身を守るため、真夏にも関わらず目元以外を布で覆い、汗でグシャグシャになっている歩き遍路に、車道に出てからも声どころか目を合わせようとする人はいない。
幸いなことに、脇を走るパトロール中のパトカーも素通りしてくれるのは、四国にお遍路の文化があるためだろう。
 
今日泊まるのは、何十年もこの地でお遍路を受け入れ続けている宿だ。
地図を見ながらたどり着いた先は、思ったよりも年期を感じる外観の場所だった。
古さに一瞬ひるみながら、ガラスの引き戸を引き、暗い廊下に向かって口を開く。
「す……」
 
その瞬間。
疲れで気が抜けていた私は、何が起こったか一瞬理解できなかった。
バーン。
廊下を挟んだ部屋の引き戸が開いた。
「ようこそいらっしゃいましたぁ!」
満面の笑顔で飛び出してきた、この人が女将さんだと遅れて理解しながら「どうして私が来たと分かったんだろう」と疑問が胸に沸くのを感じたけれど、驚いて言葉が出ない。
 
「お茶と冷たい麦茶、どっちがいい?」
「麦茶お願いします」何とか答えると、「麦茶、おねがーい!」と廊下の奥に大声を投げる。
やたら元気な居酒屋に来たみたいだなと圧倒されながら思った。
 
暑さでヘロヘロになっている私にお構いなしの女将さん。
そして、暑さにやられ愛想の一つ返せる気力がない自分。
二人の間に明らかなテンションの差を感じるのに、どうしてだろう。
ギャップに煩わしさを感じるどころか、なんだか心地良さを感じている。
暑さでおかしくなったんだろうか。
私の金剛杖を手にした女将さんに「さぁさぁ」と促され、手すりを捕んでしまうくらい急な階段をギシギシ上りながら、答えを探す様に女将さんの背中を見上げた。
 
細い廊下を辿り、部屋に通される。
すでに布団が敷いてあり、窓際には小さなテレビとちゃぶ台が置かれている。
「西日が入ってしまうけど、涼しいでしょう」
その言葉で、お寺を出るときに電話する様に言われた理由を知った。
部屋がちょうど快適な温度になる様に、計算されていたというわけか。
 
私の杖を丁寧に杖置きに立てながら、「暑かったから大変だったでしょう。ちょっと休んで、お風呂もいつでも入れますから」笑顔の女将さん。
その姿に、なぜか母が重なった。
「よう来たね」
たまに帰省したとき、空港で私を見つけて笑顔で手を振る母の笑顔が。
ちょっと天然で、私と目が合うやぴょんぴょん跳ねながら嬉しそうに手を振る母の姿が。
 
そうか。
女将さんは、今日初めて会った私に、心からの「よくいらっしゃいました、疲れを癒してください」を伝えているんだ。
ただ元気がいいだけなくて、親しい人に向けるようなおもてなしだから、居心地よく感じている様だった。
今回四国に来て以来、初めて湯船に浸かりながら、そんなことを考えた。
 
巡礼中、ずっと湯船に入れていなかった。
疲れを取りたくて、きちんと漬かりたいとは思っていたけれど、想定外の暑さのせいで風呂に入る前から茹でダコだった。
だから四国に来て以来、ずっとシャワーしか浴びていなかった。
でも。
ここのお風呂は不思議な湯加減だった。
あれ? 浸かれるかも思っていたら、いつの間にか湯船の中で体育座りをしていた。
 
茹でダコが入っても上気せない湯加減は、絶妙としか言いようがなく、おかげで足の疲れも癒やすことができた。
 
風呂場の前には、100回以上巡礼した遍路だけが持つことを許される「錦札」が、何枚も飾ってあった。
錦札は、滅多にお目にかかることがない超レアカードみたいなもので、額縁の中できれいに整列して収まっている。
それは、たくさんのベテラン遍路も、この宿のファンになってしまったということを意味している。
その気持ち分かるなぁ、まだこの宿に来て1時間も経っていない私も思った。
 
外観も部屋も、新しさは遠い過去だとひと目見て分かる宿。
写真を撮れば、少し古いけど「普通」の宿にしか映らないだろう。
SNSに映える様なつくりでもなければ、特別に高級感あふれる雰囲気でもなく、むしろ昭和を感じさせられる。
なのに「また来たい」と思わされる居心地の良さの正体が腑に落ちた。
見た目の美しさや新しさといった目に見える部分を、目に見えない心遣いが上回るだなんて、とんでもないことだ。
とんでもない良い宿だなと一人うなずいていた。
 
 
「明日の朝は4時半ごろ出ます」
夕食時に伝えると、その時間はお見送りできなくてすみません、と申し訳なさそうな女将さんに、いえいえ、気にしないでくださいと返す。
むしろそんな時間に気を使わせてしまう方が申し訳なさすぎた。
 
翌日。
日の出1時間前で、まだ暗い廊下をギシギシならさない様にそっと玄関に向かう。
こんな朝早くに、まさか女将さんがいたら……と一瞬よぎる。
 
玄関に人の気配がないことにホッとしたのも束の間、薄明かりの中で主張する白いものに目がいく。
目を凝らして長い物体の元を辿ると、私の靴に繋がっていたそれは、靴べらだった。
だいぶ使い古されてきた運動靴に、長い靴べらが刺さっていたのである。
 
運動靴に靴べらなんて必要ないだろう。
ただ実を言うと、足の疲れも割とピークで、靴を履くためにリュックを背負ってしゃがむと「あいたたた」と思わずなってしまっていた。
全てお見通しですよと言わんばかりに、靴べらが白く光っている。
どこまでも考えられていたそれに、女将さんの狂気を感じた。
すでに宿の魅力に骨抜きにされていたのに、誰もいない玄関で、最後の骨一本を抜かれてしまった気分だ。
「お世話になりました、また来ます」
そっと呟いて玄関の引き戸を開き、今日の目的地に向かって暗い道を歩き出した。
 
 
 
 
***
 
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2022-08-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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