高学歴がトラウマになった日
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記事:赤羽かなえ(ライティング・ゼミNEO)
母の八つ当たりなのはわかっていた。
でも、それはいくらなんでもひどすぎる、と思った。
「あんた、ちょっといい大学に入れたからって、私のこと馬鹿にしているんでしょ!」
投げつけられた言葉に、思いっきり横っ面をはたかれたような気がした。
それに至るまでのやり取りがどんなものだったかはもう覚えていないが、母を馬鹿にするつもりは全くなかった。まさか、実の母に自分の学歴をやっかまれるとは思わなかった。
お母さんが「いい大学にいきなさい」って言ったから一生懸命頑張ったのに、いくらなんでもそんな言い方はないよ。心の中で母のことをなじるも、その言葉が口から出ることはない。そんなことを言ったが最後、売り言葉に買い言葉でさらにひどいことを言われて傷つくのは経験上わかっている。私はぐっと下唇を噛んで俯いた。
それから、私は自分の学歴の有効な活かし方がさっぱりわからなくなってしまった。在学している時は右も左も同じ大学の学生だから良かったけれど、社会人になった時に、同期から指摘された。
「慶応大学出ているのに、生命保険会社の営業職? もっといい職場、あったんじゃないの?」
私達の学年は、バブル崩壊のあおりを受けて、一気に就職氷河期に陥った年だ。慶応とはいえ、文学部に在学していた私達は、就職難の影響をモロに受けた。
当時、慶応にしか来ない求人は沢山あった。インターネットを使った就職活動もはじまっていたけれど、大量の新卒向け求人雑誌も届いていた時代だ。とても分厚い本で、なんだ、沢山の企業が私達に門戸を開いているじゃないか、と安心していた。
でも、実際は違った。分厚い本は、慶応の全学部の学生のところに来ていたけれど、学部で足切りをかけているらしいという噂を聞いた。就職の葉書をだしても、文学部以外の友達には連絡が来るけど、文学部の私には連絡が来ない、噂が噂ではないことを、身をもって体験した。
希望にみえた分厚さが重荷に変わった。情報誌に記載されている沢山の企業の海から、文学部生でも差別しない会社を見つけ出すのは至難の業だった。
私だって、まさかここに就職するなんて思ってなかったよ。そう言い返したかったけれど、曖昧に笑った。
仕事でも、なにかと大学名が足かせになることが多かった。営業先で「え、そんなに高学歴なのに生命保険の営業やっているの?」とあざ笑う人、「うわー、頭が良くていい子、引くわー、高学歴の女子なんて付き合えないね」と接待の時に言う人もいた。知らねーよ、こっちだって願い下げだよと心の中で悪態をつきながら、少なからず傷ついた。
一方で、自分なりに勉強を頑張ってきた自負があるから、屈折した自己顕示欲も育っていた。こっちは、慶応出てるんだよ、出身大学聞いてよ、すごいじゃんって言ってくれるでしょ。時にはそんな風に思いながらわざと大学名を聞かれるような話を振ったりもした。それにまんまと乗ってくれた人に、少しもったいぶりながら、大学名を告げると「え? すごいね。めっちゃ、頭いいじゃん」と言われるとほんの少しだけ溜飲が下がる。ただ、一時的に乾きが癒えても、結局虚しいだけだった。屈折した自己顕示欲に胸焼けし、私は学歴を封印した。
その後、結婚して仕事も辞めた。子供が生まれて、自分のことなど話す必要がなくなった。子供にスポットが当たるようになったからだ。ママ友たちの話題は、子供がなにをできるようになったか、だった。首がすわった、寝返りを打った、座った、歩いた、三輪車に乗れる、話せる、ケンケンができる……子供をコマに無限ループでマウントを取り合う。自分の子が、他の子ができる動きをできないと焦ることもあった。
そんな折、高学歴の弊害が新たな形でやってきた。両家の両親が私たちの子供の学歴についてあれこれ口を出し始めた。どのような教育を受けさせるのかと両親たちは聞いてくる。当時、まだ幼稚園に行く前のことだった、鬼が笑うにもほどがある。
彼らにとって子供である私と私の夫はそれぞれに優秀な作品だった。名の通った有名私立校を卒業して慶応大学に入った。その経歴だけを見れば親にとっては、鼻が高いだろう。でも、当の私たち夫婦は中学受験で勉強させられすぎてトラウマになっていた。両家の親は、私達の本当の姿を知らない。親の狂気じみた期待に巻き込まれて燃え尽きたような状態になったところから、なんとか自分を立て直して、大学受験に臨んだ。そんな共通点が私たちの赤い糸になってくれているというのは、皮肉な話だけど、今度は親の立場で中学受験を子供達に強いることだけは絶対にしたくない……そう夫婦で決めていた。
「ねえ、幼稚園はインターナショナルスクールに入れたらどうかしら?」
ある日、義母からそんな提案をもらった。冗談じゃない、と思った。指図に一度乗ってしまったらエスカレートする予感しかない。ゾッとした私は、実母に相談した。
「え、いいじゃない。インターナショナルスクールの何がいけないの?」
母の返答で、私には、義母が二人いるのではないか、と情けなくなった。逃げ場がない。
結局、インターナショナルスクールの話はやんわりと断った。義母の「二人とも熱心だから、きっともっといい所を選ぶわよね」という言葉が耳の奥に残った。その裏に、今の教育方針で子供達がどんな成果を出すのかやってみろという無言の圧力を感じた。まさか自分の高学歴がプレッシャーになるなんて思ってもみなかった。これから延々と自分達の学歴と子供達の進路が比較されていくのか……ため息しかでなかった。
だからと言って、子供達の進路のことを考えると公立にずっと行かせていいのかもわからない。夫も私も私立校の出身だから、公立に進学した場合どうなるのかがわからなかった。中学受験もしたくない、公立の学校に進むのも不安、親の言いなりにはなりたくない……考えた挙句に、私立の小学校に進学するという選択肢をとった。学歴から逃げたい、と思っているのに結局学歴から逃げられない。そんな自分が情けなくて悔しかった。
なんで、こんなに学歴のことをこじらせ続けているのだろう? 子供の進路とか教育とかを考えると必ず自分の学歴のトラウマが邪魔をする。これでは、子供の進路に影響するかもしれない、と危機感を感じた。恥を忍んで、友達に話を聞いてもらうことにした。
「私、自分の学歴がうまくアピールできないの。自分自身の色々な感情がでてきちゃって」
私は友人に、これまでの経緯をかいつまんで話した。彼女に誘導されるがままに、大学のことから始まり、中学受験のトラウマにも話が及んだ。いつの間にか、私は、中学受験に失敗した時のことを友人に話していた。
「第一希望の学校に不合格だったと分かった時に、私は自分が悔しいと思う前に、母に申し訳ない気持ちが先だった。中学受験って自分も頑張るけど、親はもっと頑張らないといけないから。塾の送り迎えはほぼ毎日だし、お弁当だって夏休みは1日2回作ってくれた。それを母は仕事と両立しながら頑張っていた。だから、私が中学受験に失敗して落ち込んでたら、母に気をつかせわせてしまうと思った。それで『私、滑り止めの学校でよかったわ、制服かわいいし』って言ったんだよね。そしたら、母が、『冷たい子だね』って返してきたの。私、どこで間違っちゃったんだろうって、夜中に布団にもぐってひとりで泣いてたんだ」
「その時の自分になんて言ってあげるとしたらなんて言う?」
絶妙なタイミングで相槌を打ちながら、友人は私に聞いた。思ってもみなかった質問で、宙に目線が泳いだ。
つらかったよね、とか、悲しかったよね、ではない。悔しかったよね、もなんかしっくりこない。だいぶ時間が経ってから、
「冷静に考えてみると、ひどいよね、ひどいよ、お母さん、ひどい……かな」
体のどこかにつっかえていたものが急に流れ出したような気がした。何回もひどい、ひどいと言いながら、目が少しうるんだ。今さらながらに、私、お母さんをちゃんと騙せていたんだな、ということに気づいた。母は、私の思惑通り、私が落ち込んでいることに気が付かないでくれた。だからこそ『冷たい子だね』と言ったんだ。表現がひどくて、ずいぶん傷ついてしまったけれど。
そして、私は、頑張ったんだ、中学受験も、そして大学受験も。とにかく一生懸命頑張ったんだ。そんなこと、他の誰よりも、私が知っていたのに。
頑張ったことをみんなから認めて欲しかったのに、学歴を前面に出せなかったことで、自分の頑張ったことまで無駄だったような気になってしまったんだ。
絡んで取れなかったひもが、ひょんなことから、全部ほどけたような気分だった。気がついたら自分に頑張った、頑張ったんだよと言い聞かせるようにつぶやいていた。
「話を聞いてくれてありがとう、すごく、スッキリした」
「他人に頑張ったね、と言われるんじゃなくて、自分が自分を頑張ったと褒めてあげればよかったね」
本当にその通りだ。他人にどんなに褒められたって、もてはやされたって、自分が自分を認めなかったら何の意味もなかった。
急に目の前が開けたような気持ちになった。外を眺めると秋の空がどこまでも澄み渡っていた。
***
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