ショート小説『愛の形』
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事は、フィクションです。
「あんまり刺激するとね、生霊になるよ、その男」
手のひらの線をスーッとなぞってピタリと動きをとめた占い師は、サヨの顔を見上げて言い放った。
「生きっ!?」
いつもは冷静なサヨも、思わず目をむいて八十歳はとうに超えているおばあさんを見つめ返す。
「ちょっと、彼はそんな人じゃないですから!」
気づけば、占い師の手から自分の手を胸の前へ引き戻していた。
「やっぱりいるんだろう、そういう男」
慣れたことだと言わんばかりに、サヨの怒りの気配を全く意に介さず占い師は続ける。
「優しい男だろう。でもね、あんたがするんだよ、その男を生霊に」
なんて失礼な占い師だろう。今週末にでも行ってきて!とすすめてきた、みよこの神経を疑う。
「あの、もういいです」
タイマーはまだ五分ほどしかたっていないけれど、財布から五千札を出してテーブルの上におく。
「……それじゃあ、どうも」
特段引き止める様子もなく、お札に手を伸ばす姿にサヨはいよいよ腹が立ってきた。プロとしての気概はないのだろうか。
「信じない人に何を言ったて無駄だからね」
視線で察したように、占い師はパッと顔をあげた。
「じゃあ、最後に一つだけ。周りが甘やかしてくれるからって、自分も自分を甘やかしたら、人生だめになるからね」
——どうして、そんなことを……
言うことがなんていちいち癪にさわる占い師だろう。腹の底からグツグツと迫ってくる熱に、サヨはお釣りももらわず立ち上がり、ヒールをカツカツと鳴らしながら風を切るようにして歩きだす。ともかくこの腹の熱をどうにか発散しなければ、じっと落ち着いていられない。
——別に、決定的なことは何もない。
ショートカットが風を受けてサラサラとなびいていく。その姿がガラス張りのビルに写っているのに、サヨはチラリと目をやった。
——そう、私とけんたくんは「妻の親友」と「親友の夫」であって、それ以上でも以下でもない。
まるで自分の中で確認作業をしているかのように、順番を追っていく。
——私たちの間に決定的なことは何もなくて、ただ例えば、みよこがいないときにソファで座った距離が少し近いとか、うっすら香水が香っていたとか。そういうのは、偶然にだっていくつも起こり得ることじゃない。
そもそも、サヨは別にけんたくんのことを全く好きではないのだ。どうにかなろうなんて微塵も思っていない。そのことに思い当たると、ようやく落ち着いてきて、少し歩みゆるめる。
——生き霊になる?
フンッと、自然と口元が緩んでしまう。もしそれが本当だとすれば、悪いのはサヨなんだろうか? みよこという妻がありながら、他の女性にうつつを抜かすけんたくんは、なんなのだろう。
ようやく気持ちが落ち着いてきて、スマホをふと目にするとちょうどみよこから連絡が入っていた。
『どうだった? 今日行ったんでしょ? うちに話に来てよ』
最後には目がうるうるしたうさぎのスタンプが送られてくる。まったく、みよこはこういう風に自然に人を誘えるところが愛されるところなんだろう。
けれど確かに、みよことは話されなければならないだろう。こうして爆速で歩いている間にサヨの脳内コンピュータがある憶測を立てたからだ。よくよく振り返ってみれば占い師のあの話し振りはどうも妙だった。出会って数分の人間にあんな風に言うだろうか。
——もしかして、あの占い師はみよこが………?
いいや、判断するにはまだ材料が足りなすぎた。『わかった、三十分後くらいにつく』と返事をすると、大通りに出てタクシーを探すことにした。
昔から、みよこはよく人に愛された。いわゆるふんわりした感じの女の子で、柔らかな笑顔とゆっくりとした話し方、くるんとカールした癖っ毛が、もう完全に愛されキャラだった。性格もおっとりしていて、中学時代からサヨがしっかり者として、テスト勉強やら修学旅行の準備やら、みよこの世話をよくやいたものだった。周りからも「サヨみよ」なんてセットで呼ばれていた。
高校まで同じ学校を二人で志望校にして、大学こそ別れてしまったものの、ずっと連絡は取り合っていた。そんなみよこから急に結婚の報告を聞いたときは、本当に驚いた。しかも、四年も前から付き合っていたという。確かにこれまで二人は恋愛の話をしたことはなかったけれど、サヨにしてみればそれは勝気な性格の自分がなよなよした相談をするのが気恥ずかしかったからで、親友ならもう少し前から結婚の話もしてくれたってよかったんじゃないかと寂しい思いをした。
——だから、邪魔したいっていうんじゃないけれど……
タクシーの窓から流れる風景を見ながら、サヨは学生時代のあれこれを思い出していた。けれど、思考がそこまで進むと、結局そこから先は考えたくなかった。知りたくないものを、知ってしまいそうな気がして。
「さすがサヨ。時間通りだね」
みよこはいつもわざわざ玄関の外まで出て迎えてくれる。一軒家の庭は、また植物が増えたようだ。
「けんたくんがね、最近もうガーデニングにはまっちゃって」
もとは、みよこが庭のある家がいいと言い出したのに虫が苦手なせいで全然ガーデンングができなくて、代わりに庭づくりをしていたけんたくんが、気づけば夢中になっていたそうだ。
「今日は日曜だからお仕事お休みだよね? ハーブティー淹れるね」
そう言いながら、みよこはレースのついたエプロンを腰に巻く。
「それで、どうだった? 当たったでしょ?」
茶葉の入った透明なポットをテーブルに置くなり、きらきらと輝く目をサヨの方へ向けてくる。
「どうだろ、私にはやっぱり占いってよくわからないかな。みんなに当てはまること言ってるように聞こえるっていうか」
「あ〜、やっぱりサヨは占い好きじゃないかぁ……」
わくわく顔を向けてきたわりに、意外にも、みよこは笑って応えた。そんな表情に、サヨの心はますます疑ってしまいたくなる。
「そうだよ、わかってるじゃん。なのに、みよはなんで私にあの占いをすすめたの?」
もしかして、みよこは何かけんたくんの異変に気づいたのではないか。人のことをよく見ている子だ。そして、サヨをうまく誘導してあの場所へ行かせて、占い師にあんなことを言わせたとしたら………
温かな午後のリビングの底を這う緊張を、みよこはまったく感じないように、ゆっくりとガラスのティーポットを回す。
「ん〜、だってさぁ……」
ポットの中では琥珀色の液体が揺れていて、ふんわりとハーブの香りが流れてくる。
「サヨ、最近何か悩んでるでしょ?」
チャポンッ、とポットの中で水が音を立てた。大きく揺らしすぎたらしい。
「わかるんだよ、ずっと一緒にいるから。サヨは仕事もすごく頑張ってるし、わたしにはわからない悩みもいっぱいあるんだろうな、と思ってたの」
みよこの家には、サヨ専用のマグカップがあって、今日もそれがテーブルの上に用意されていた。
「ちょうど、あそこの占い師さんはよく当たるって教えてもらって。ほらもしかしたら、全然知らない人の方が、サヨは相談もしやすいんじゃないかなって」
みよこの甘くやさしい声が、サヨの胸に耳を通さずそのまま入ってくるような気がした。
「わたしはすぐに主婦になっちゃったでしょ。それに、サヨみたいに頭も良くないし……ときどきうちにいるときも変な顔してるなってずっと思ってたけど、きっと、わたしじゃ頼りないだろうなって……思って」
最後の方はその声にしっとりと湿気を含んでいた。
——そうか……
その声を聞きながら、サヨは素直にそう思った。
——そもそも、みよがそんなこと思いつくわけないじゃない、私じゃないんだから。
みよこは、サヨの心の小さなトゲに気がついていたのだ。急に結婚してしまった親友。誰からも愛されて、ガーデニングをかってでてくれる夫もいて、全てが満ち足りた暮らし。そんな家の中にだって、みよこはサヨのことを変わらず招いてくれていたのに、夫婦の仲睦まじい会話を聞いていると、どうしても心に刺さったトゲがチクチクといつまでもうずいていた。
みよこがけんたくんとのことをサヨに話さなかったのだって、きっとあの二人のことだ、いつだって順調で悩むこともなければ相談することだってなかったからなのだろう。
「みよ、あのね、私……っ」
次の言葉を言おうとする前に、ガチャリと、扉が開いてけんたくんが入ってきた。
「あ、サヨちゃん、来てたんだ。こんにちは」
けんたくんは少し驚いたように、体を後ろにそらせて、けれども笑顔で挨拶をした。
「けんたくん、今日は家にいたんだ」
うん、買い物を頼んでたの、とみよこがビニール袋を受け取って、カウンターキッチンの向こうへまわる。けんたくんは、リビングに残されて一瞬サヨと目を合わせたが、スッと視線を外すとキッチンへ向かった。
「いいよ、みよこ。僕がやるから。サヨちゃんがきてるんだから、ゆっくり話しなよ」
——あれ?
以前だったら、けんたくんも一緒にテーブルでお茶をのんいたところだ。
——もしかして、避けられてる……?
僕はガーデニングの続きもあるから、とけんたくんは、みよこの背中を押して、冷蔵庫の前の場所をとってかわる。みよこに似て、気の優しい男なのだ。ひょっとすると、サヨの「小さな偶然の重なり」に気がついて戸惑ったのかもしれない。妻の親友を邪険にはできないし、相談もできないしと、夜毎に悩んだりして……
——悩ませすぎて『生き霊』になるぞって……?
あんな占い師の言ったこと、サヨは信じているわけではなかった。実際、初対面で五分足らずで一体サヨの何がわかるというんだろう。けれど、最後に言われた言葉だけは、今日ずっと、胸に引っかかっていたのだ。
『周りが甘やかしてくれるからって、自分も自分を甘やかしたら、人生だめになるからね』
——私、気づかないうちに甘やかされてた?
マグカップに口をつけると、それは、前回サヨが一番好きだと話したハーブティーだった。
——だって、「みよ」がどんどん「みよこ」になっていくみたいで……私と一緒に呼ばれてたのに……
とっくの昔に「サヨみよ」なんてセットで呼ぶ人はいなくなっていたのに、気づけばサヨばかりがみよこの存在に寄りかかっていたのかもしれない。気が強いからこそ人間関係が下手くそで、いつも「さすが、サヨ」といって頼ってくれるみよこに、どれほど自信をもらっていたか……
最初からけんたくんは「みよこ」と呼んでいて、苗字だって変わってしまうのに、それがまるで上塗りされていくみたいで、サヨはそれを聞くたびにどこか不安になっていったのだ。
——だからって、邪魔するつもりはなかったけど、みよからちょっとでも離れればいいのにって……
仲睦まじい様子を目にするたびに、サヨの不安はどんどん膨らんでいった。もうみよは、サヨと会う時間をとってくれなくなるかもしれない、誘いのメッセージも送ってくれなくなるかもしれない、と。
——みよ、ごめんね。そんな私を心配までしてくれて……
キッチンからテーブルに戻ってきたみよこは、このお菓子もサヨは好きだと思うよ、と自分は食べないビターチョコレートを差し出してくる。
「ねぇ、二人の結婚記念日って、もうすぐだよね?」
そう聞くと、キッチンの向こうにいたけんたくんも振り返った。
「私からも、一年記念なにか送りたいんだけど、ほしいものない?」
本心を全て言うことが、正しいことではないだろう。そうすればサヨはすっきりとするかもしれないけれど、このやさしい性格の二人をまた悩ませてしまうかもしれない。だから、せめてもの誠意をどうにか示したかった。
そんなのいいのに、と笑ったあとにみよこは「じゃあ、キルフェボンのケーキがいいな、白いちごのやつ」と上手に甘えてみせる。けんたくんも「それじゃあ、ケーキにあうチャンパンで」とおどけたように付け加える。
「ケーキにシャンパンって合うの? ていうか、けんたくんお酒飲めないじゃん」
サヨのつっこみにみんながくすくすと笑った。温かな日差しがだんだんと西日に変わっていって、大きなガラス窓から部屋の中をオレンジ色に染めていく。
——よかった、こんな温かい場所を、私が壊しちゃわなくて……
マギカップにたっぷり注がれたハーブティーに、気づけば心もすっかり落ちついていた。みよこが、少し濃くなっちゃったから、お湯を足そうかな、とキッチンの方へ戻っていって、けんたくんがポットを手渡す。仲のいい二人はいつも笑顔で見合う。
「よかったね、これで全部元通り」
みよこが、甘い声で、そんなことを言っているのが聞こえた気がした。
***
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