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メディアグランプリ

Tシャツになった猫


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小川大輔(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「寒いなあ、みんな楽しそうだけど、今は楽しむ余裕なんてないや」
 
息が白く見えるほど寒い去年の年末から、私は焦りを感じていた。仕事の忙しさに加え、巡ってきたチャンスを掴むために準備をしていたからだ。今の会社で働きだしてから10年。契約社員の私は周囲の人に恵まれたこともあり、正社員登用試験への推薦をしてもらうことが出来た。今回が2回目。おそらくこれが最後のチャンスになるだろう。協力してくれる人たちの期待にも結果で答えたい。焦りはいつしか不安になっていた。
 
「ただいま」
会社から帰宅してドアを開けると、どっと疲れが出て力が抜ける。ドアに体が押しつぶされそうだ。
部屋で待ってくれている最愛の猫の顔を見ると、「おかえり。今日もお疲れ様だったね」と言ってくれているようでやっと心が緩む。
猫の名前はチロ。白っぽいトラがら模様をしている。まだ赤ちゃん猫だった時に道に迷っていたところを拾って以来、19年間ずっと一緒に過ごしてきた。人間で言えばおばあちゃんになるだろう。大きな目と、ちょっとピンと尖った耳がかわいらしい。そんなチロがいるだけで不安は和らいだ。
「勉強しなきゃ」
部屋に帰ってからも試験対策だ。もともと旅行が好きで外に出たくて仕方ない性格だが、
カリカリと机に向かっている。そんな私を不思議そうに見ながら、遊んでほしいチロはそばにいる。
 
そんな矢先、いつ頃からだったろう。私は気持ちをなごませ続けてくれたチロに変化を感じ始めた。
 
3月。筆記試験になんとか合格した私は、前回突破できなかった面接試験に臨もうとしていた。もう、背水の陣の覚悟だ。心臓の音が大きくなっているのがわかる。「ふーっ」と深呼吸しドアをノックする。
「失礼します」
面接室に入るとお偉いさん方がズラッと並んでいる。真っ白になりそうな頭を必死で働かせる。
「今どんな仕事をしていますか?」「正社員になったらどうしますか?」「これからの目標は何ですか?」立て続けに飛んでくる質問がピストルの弾みたいに私を打ち抜いてくる。
「今まで必死に対策してきた。今回は絶対受かってやる!」
緊張を押さえつけ、冷静を装って懸命に答えた。
手応えはわからないが面接室を出ると、とりあえずホッとした。
やれることは全部やった。今までやってきたことは出し切った。後は結果を待つだけ。
 
「ただいま。試験、終わったよ」
部屋に帰ると元気のない姿が見える。チロに対して感じた変化は当たってしまっていた。「体が弱ってきている」という私の感覚は間違いではなかったのだ。その目が弱々しく「お疲れ様」と言っている。19年も生きている猫だ。どうしようもないと分かってはいる。
でも……。
だんだんと弱っていく様子を見ながら、試験結果を待つ日々。それは刑の執行を待つ受刑者のような気持ちだ。そわそわして生きた心地がしない。仕事をしていても、部屋にいる時も、結果やチロの具合が気になってしかたない。
 
「ちょっといいかな?」
会社で上司に声をかけられたとき、覚悟を決めた。試験の結果を告げられると悟ったからだ。これでダメならもう次はないなと感じながら、体全部が緊張に包まれる。そして……。
「受かったよ!」
部屋に帰るなり、私はチロを抱き上げた。10年。長かった、本当に長かった。ついに私は正社員になることが出来たのだ。
ずっと私を見てきてくれたチロ。その目が「おめでとう! 良かったね。本当に良かった」と祝福しているのが分かった。
やっと解放された! これで大好きな旅行にも行ける。どこに行こうかな。
 
でも
 
それまでなるべく心配をかけないように気力を振り絞っていたのかもしれない。私の合格を知って安心したかのように、チロの体調はみるみる悪化していった。食欲も無くなり、食事もほとんどとらなくなった。体も弱り、歩くことさえままならない。
「こんな状態のまま、旅行になんて行けない」
 
そんな状況が続いた4月のある日。外は桜が咲き始め、気持ちのいい日差しが部屋に差し込んでくる。春の陽気が元気を運んできてくれたのか、チロの体調が回復し始めたのである。食欲も出てきて、私が用意した食事もおいしそうに食べてくれる。歩くのさえ辛そうだった足取りは、目に見えて軽くなっていた。元気のなかった大きな目に活力が戻った。
「旅行、行っておいでよ。大丈夫だから」そう言ってくれている。
「え、いいの?」
「うん。だって元気戻ったし」
その姿に安心し、私は正社員になれた自分へのご褒美だと思って、これまでずっと我慢していた旅行に1泊2日で出かけた。
 
……お別れが近いことを薄々感じながら。
 
「ただいま」
旅行から帰ってきてから、命の力を使い果たしたかのようにチロの容体は急変した。旅行前のあの元気はきっと私を行かせるために最期の力を使ってくれていたのだ。ロウソクの炎が最後に大きく燃え上がるように。
 
旅行から帰ってすぐの月曜日の夜、不思議なことが起こった。
看病している私がそばを離れると、すぐに私を呼ぶように鳴いて甘える。離れると呼ばれる。それが何度も続いた。「どうしたの?」不思議に思った私は、しかたなく横で本を読んでいた。視線を感じ、そちらを見るとチロが何も言わずにじっと私を見つめている。私もなぜだかじっとその大きな目を見つめ返す。
 
人間と動物。別々の生命の間なのに、言葉では表現できない特別な時間が流れているのを感じた。
 
「さよならなんだね」
「うん、もう時間がないよ」
 
お互いの心が通じていたのだろう。その夜、私はずっとチロのそばにいた。
「ねえ、ねえ」
震える手でチロが横で眠る私に触れてくる。すっと私はその体を腕に抱きしめる。
4月のあの日、チロの命は桜の花びらのように静かに散った。私の腕の中で、まるで眠るように。その亡骸は本当に安らかで「美しい」とすら感じた。
 
息を引き取ったチロのお葬式を執り行った際、とてもとても悲しいのと同時に、こんな感覚に包まれていた。
 
それまでの私は火葬に対し、「亡骸を燃やして骨にし、処理する」というある種の作業的な一歩引いたような印象を持っていた。しかし、動かなくなったチロを最後に見た時「もうこの姿を見ることはできない。この感触を感じることもできない」という自分の事としての「死」の重みを感じた。頭には思い出が蘇る。今回の社員試験のように私が苦しい時も嬉しい時も、どんな時でも一緒だった。私の周りの人に捨てられそうになったこともあったけど、絶対に手放さなかった。
そんな思い出もあったからだろうか。チロの骨を私一人で全て拾い上げた時、「この子と19年一緒に生きてきて、最期まで看取ることが出来た。悔いなくやり遂げた」という納得感が沸いた。一つ一つ骨を拾うことで一つ一つの出来事が浄化され、区切りがつく感じがしたのだ。
 
「死」というものの重み。
最初から最後まで貫くことでしか得られない、後悔の無さや自分の中での納得感。
 
愛してやまなかった猫は最後にそんな大切なことを教えてくれた。
 
後日、私はチロとチロが教えてくれたことを忘れないように写真の入ったTシャツを作った。横にこんな文字を添えて。
Time spent with cats is never wasted. Chiro forever 2003-2022
(猫と過ごす時間は決して無駄にはならない。チロ、永遠に2003-2022)
 
チロと過ごした時間は無駄じゃなかった。
19年間の思い出と大切な学びを与えてくれてありがとう。
 
あなたのこと、絶対に忘れないよ。
 
 
 
 
***
 
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2022-10-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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